「夫は出て行った」の記事を書いてから、急に眠くなって、今まで眠っていた。
今日は、朝からレースのカーテンを洗ったり、冬物の始末をしたりして、よく働いた。
それで疲れていたのだろう。
夫も、朝から次男のところにもって行ってやるものの整理とかしていた。
西北さんへのコメント返しにも書いたが、
朝は日本人とユダヤ人の話題で盛り上がって、仲良く朝食を摂った。
夫は、私が買いだめしていた日本人とユダヤ人系統の本を読んで、
それをもとにシニアカレッジで歴史クラブなど作った話を私にしていた。
昨年の春のことだ。
それから発展して、日本の歴史についても私の買ってあった本で学んで、
シニアカレッジの人に感心されたりしたと言っていた。
が、問題が起こったのは、そんなクラブを作って、校外学習を始めてからだった。
数人で出かけることもあったが、特定の人と出かけることもあったりして、
それを私が問題にした。
いや、それだけならいいが、
これも何度も書いているが、
私に嘘をついたのがよくなかったのだ。
歴史の勉強に特定の人と行くのならまだいいが、
昨年の4月に特定の人とジャズ喫茶に行ったことがわかってから、私が怒った。
しかも、そのときに、私が疑念を抱いて追いかけたのに対して、
「今日は一人になりたいから放っておいてくれ」
などと返信してきたのだった。
それが嘘だったことが後でわかって、大騒ぎになった。
それだけじゃなく、秋には私が昼食の支度を整えたあとに急に出かけて、
夜遅くまで帰ってこなかったことがあった。
あとで聞くと、歴史の勉強に行ったが、ほかの人たちが来なかったから、
そのジャズ喫茶に行った未亡人と二人で映画を見て、焼肉を食べて帰ったと。
私は、夕食も作って待っていた。
だから、怒り心頭に発して、
玄関の鍵をかけただけでなく、チェーンもかけて家に入れなかった。
窓という窓はシャッターを下ろして、私は家の中で泣いた。
こんな裏切りをされたのは、結婚以来初めてだったから。
あのときの私の対応が悪かったというのだろうか。
こういうふうに裏切られても、
妻たるもの、にこにこしていなければならないというのか。
わたしはできない。
今年一月に母を亡くして、私は鬱気味になった。
今までは、母が支えだったところがあった。
母を亡くして、夫との関係もぎくしゃくしてきたから、私は精神的に不安定になっていた。
が、最近、関係修復してきたと思った矢先の夫の家出である。
なにがなんだかわからない。
なにもこんなに急に出て行かなくてもと思ったが、出て行きたければ仕方ない。
夫は家にあった、余分の炊飯器や湯沸かし器も車に積んで出て行った。
長期戦の構えのようだ。
長期戦じゃなく、このままずっとになるかもしれない。
それは私も覚悟しないといけないのだろう。
しかし、けさはあんなに仲良く話をしたというのに、なぜ急に?
今日は、朝からレースのカーテンを洗ったり、冬物の始末をしたりして、よく働いた。
それで疲れていたのだろう。
夫も、朝から次男のところにもって行ってやるものの整理とかしていた。
西北さんへのコメント返しにも書いたが、
朝は日本人とユダヤ人の話題で盛り上がって、仲良く朝食を摂った。
夫は、私が買いだめしていた日本人とユダヤ人系統の本を読んで、
それをもとにシニアカレッジで歴史クラブなど作った話を私にしていた。
昨年の春のことだ。
それから発展して、日本の歴史についても私の買ってあった本で学んで、
シニアカレッジの人に感心されたりしたと言っていた。
が、問題が起こったのは、そんなクラブを作って、校外学習を始めてからだった。
数人で出かけることもあったが、特定の人と出かけることもあったりして、
それを私が問題にした。
いや、それだけならいいが、
これも何度も書いているが、
私に嘘をついたのがよくなかったのだ。
歴史の勉強に特定の人と行くのならまだいいが、
昨年の4月に特定の人とジャズ喫茶に行ったことがわかってから、私が怒った。
しかも、そのときに、私が疑念を抱いて追いかけたのに対して、
「今日は一人になりたいから放っておいてくれ」
などと返信してきたのだった。
それが嘘だったことが後でわかって、大騒ぎになった。
それだけじゃなく、秋には私が昼食の支度を整えたあとに急に出かけて、
夜遅くまで帰ってこなかったことがあった。
あとで聞くと、歴史の勉強に行ったが、ほかの人たちが来なかったから、
そのジャズ喫茶に行った未亡人と二人で映画を見て、焼肉を食べて帰ったと。
私は、夕食も作って待っていた。
だから、怒り心頭に発して、
玄関の鍵をかけただけでなく、チェーンもかけて家に入れなかった。
窓という窓はシャッターを下ろして、私は家の中で泣いた。
こんな裏切りをされたのは、結婚以来初めてだったから。
あのときの私の対応が悪かったというのだろうか。
こういうふうに裏切られても、
妻たるもの、にこにこしていなければならないというのか。
わたしはできない。
今年一月に母を亡くして、私は鬱気味になった。
今までは、母が支えだったところがあった。
母を亡くして、夫との関係もぎくしゃくしてきたから、私は精神的に不安定になっていた。
が、最近、関係修復してきたと思った矢先の夫の家出である。
なにがなんだかわからない。
なにもこんなに急に出て行かなくてもと思ったが、出て行きたければ仕方ない。
夫は家にあった、余分の炊飯器や湯沸かし器も車に積んで出て行った。
長期戦の構えのようだ。
長期戦じゃなく、このままずっとになるかもしれない。
それは私も覚悟しないといけないのだろう。
しかし、けさはあんなに仲良く話をしたというのに、なぜ急に?
多分私とびこさんは同じような真っ直ぐな性格なので許す事が出来ないんだと思います。
私は夫と義母のモラハラに40年間耐えましたがある日ブチ切れました。
色んな事があっても最後には夫が守ってくれるものだと思ってましたがそれも見事に裏切られ別れる事がベストだと決めました。
今の生活は寂しさも徐々に薄れ自分なりに楽しく暮らしています。身体障碍者1級でその頃はまだまだ体調が悪かった私を追い出した恨みはどうしても許せません。何度も相手から歩み寄って来ますが人間の本質は変わる事はありません。
もはや顔を見るのも声を聞くのも嫌悪感を感じます。
モラ夫は突然態度が急変するんですよ。
夫は仕事が立て込んできたりしたら、突然理由もなく怒鳴ったりするから、私の神経が参るのです。
それでいて、よその女性には親切で、そんなところはおくびにも出しません。
だから、モテるのです。
義母も晩年は認知症になり、私に頼り切りでしたが、元気なころは随分モラハラな人でした。
そのころは、夫が盾になって義母から守ってくれていたのでしたが・・・。
が、若い頃から、夫自身もモラハラの傾向はありました。
優しい時は優しかったのでしたが、義父の会社が倒産したときも、義父と義妹を大阪のマンションに引き取らなくてはならなくなって、困った私が夫に相談すると、夫は怒って突然テーブルの上でしていたお鍋をひっくり返したことがありました。あの時の恐怖は、今でも忘れることができません。私は被害者だったのに、なぜ夫は私に八つ当たりしたんだろうと今でも思い出すと怒りで身体が震えます。まだ実家の父が存命の頃だったので、離婚して帰ってこいと言われましたが、子供のことを考えて我慢しました。
ご主人は、自由に女性と会える為に出て行かれたのでしょう。
酷な言い方で申し訳ありません。
私は、二十代から夫の裏切りにあって来ましたのでそんな気がします。
その時私は、一切騒ぎませんでした。
だって、ご主人にとってその女性と奥様
全てに比較されているでしょう。
まして相手は、良い所しか見せてないから
どちらに分があるかは一目瞭然です。
騒ぐ事は、私のプライドも許しませんでした。
もし夫婦関係を立て直したいなら
ブログにはその事は封印なさって
ご主人を攻める事なく、思うようにさせるしか無いかもしれません。
私は長年、死のうとさえ考えたほど苦しんで来ました。
わかった時、夫を殴ってボコボコにしていれば
その後、少しはスッキリしたのかな?と思いました。
でも、感情的にならなかったのが家庭へ戻って来た理由なのかもしれないと思っています。
今は、ただのジジイになっておりますが
私も生甲斐を見つけ、穏やかな気持ちで暮らしています。心の傷は今も大きくありますが。
それは、奥様がご判断なさる事でしょうが。
が、ハンドルネームで結構ですので、次回からはそうお願いいたします。
>ご主人は、自由に女性と会える為に出て行かれたのでしょう。
そうだと思います。
古妻の私は、夫のために毎日毎食こころを込めて食事作りしているから、改めて愛想をふりまくこともないと思っていましたが、他の女性達は、そうではありませんからね。だから、魅力的に映るのでしょう。
義理の仲での苦労もないから、恨みつらみもありませんしね。
デートの約束をしたら、目いっぱいめかしこんでデートの場所に現れることは、あながち的外れな想像でもないと思います。
しかし、私は、そんな夫の親にも仕えてきましたし、最後の世話もさせてもらってきました。
表面的な愛想はなくても、それで十分だと思っていたのでしたが・・・。
夫はハンサムだから、今でも同年配の人たちにはモテるのですね。
それで、そういうふうに近づいてくる人達になびいていくのも、ある程度仕方ないかもしれません。男ですから。
今後どうなっていくかはわかりませんが、あとは神様にお任せするしかないと思っています。
私が間違っていないのなら、神様がいいようにしてくださることでしょう。
自分のためにも心穏やかに過ごしたいと思います。
通りすがりさんの対応は正しかったと思います。
それにしても、シニアでご主人にヤキモチを妬かれるってすごいなぁと思います。
今はもう、夫にはただのおじいさんとしか私は見られません。
今は、経済的な事と食事に行く時の連れ(誰でも良いのですが、夫が手っ取り早いので)で必要なくらいです。
愛とかは想像もつきません。。そんな態度を取られたとしたら鳥肌ものです。。あるとしたら残った少しの情でしょうか。。
でも、今までが辛すぎたので
逆に波風立たない、平々凡々な今が良いのだと思います。
かみなりさん、本当に嫌な気持ちで居られると思いますが
生活して行けるのなら、ご自分を大切にされながら
前向きに過ごされるのが一番だと思います。
ご主人の事よりご自分の事を大事に過ごされてください。
人は長くいると必ず内面が出てきます。
ご主人がお相手のそれを気付かれるまで、
傍観するしかないのかもしれません。
若かった私は、苦しみながらそう言う選択をせざるを得ませんでした。
子供がいましたから。
今なら、しっかり頂けるものを頂いて
👋👋ですけど。
かみなりさんとのコメントが被ってしまって
通りすがりにしてしまいました。
過去の思い出したくもない嫌な話だったので、申し訳ありません。
ハンドルネームは、かみなりさんではなくびこさんなのですね!
重ね重ね、大変失礼致しました。
夫とは、お見合い結婚でしたけれど、お互いに強く惹かれ合って結婚いたしましたので、世間一般よりお互いに気持ちが濃いかもしれません。よきにつけ、悪しきにつけ。
私のハンドルネームは一応「びこ」ですけれども、これは符丁のようなものですから、「かみなり」でも「びこ」でも、どちらでも結構です。
ただ、コメントをいただくときは、ハンドルネームでも一応名乗っていただかないと、過去の体験から、無記名とか「通りすがり」ですと無責任なコメントのケースが多かったものですから、お願いをいたしました。
FRAUさんの場合は真面目なコメントで、問題はありませんでしたが・・・。
私も何でも完璧を目指していた所があり
自分では勝手に良妻賢母などと思い込み
夫や子供に自分の全てを注いでいたつもりでした。
でも、今思うにそれは自己満足だったのかもしれません。
同じ事をやれと言われても出来ない程
自己犠牲を強いて、これ以上誰も出来ないだろうなんて慢心していたのかもしれません。
でも、もしかしたら相手(夫や子供)には、通じてなかったり
もしかしたらそれでも不満もあったのかもしれません。
私も少しの余裕もない程必死でしたから。。その時はそれが精一杯だったのです。
でも、恋愛というのはこっちが気に入らないからあっち。。ではなく、突然現れた人間に心がいく事もあるのではないか?と、経験はないのですが思ったりします。
それに夢中になってる間は、どうしようもないのかな?と。。冗談じゃないですけれどね、裏切られる身にとっては。
私などその間は、私の死ねば良いのにと夫は願ってたのだろうと言う言葉を直接浴びせられた事もあります。。元々自己中心な人間ですので相手の事など何も考えない人でしたし。
今は、やった本人は何も無かった様に
シレ〜〜っと生きておりますが。。
やられた方は一言一句忘れないのですよね。
今考えると、よく耐えたなぁと
そして耐えたことは正解だったとやっと思える様になりました。
でも、あ〜〜あの時一発殴ってやればと
この年になっても思う事は度々ありますが。
許せません、幾つになっても。
というのが、当時は軽かったとはいえ、難聴でしたから引け目があったわけです。
それで必要以上に頑張りすぎたような気もします。
それで、義母や義妹にも、いいようにされてきたような。
これは半分自分にも責任があったのですね。
夫は、自分勝手なところはありましたが、しかし、愛してくれていたと思います。
だからこそ、今回の裏切りが余計ゆるせなかったのかも。
家から閉め出したことがよかったかよくなかったかは、答えはないと思います。
FRAUさんが殴ったほうがよかったか、耐えたほうがよかったかも、同様じゃないかと。
それで離婚にいたるのなら、そういう因縁であったのでしょうし、持ちこたえることができるようでしたら、それが、また因縁だったんだろうと思います。
ですから、離婚したほうが必ずしも不幸というわけでもないと思います。
人の幸せは他人から見てのものでなく、主観的なものですから、離婚して幸せになれたと思われている人も多くいると思います。
私は、今後、別居のままになるか、離婚になるか、あるいはもとに戻るかはわかりませんが、いずれであっても、自分の好きなことをして、幸せな人生だったと思いながら死にたいと思います。それが希望です。