goo blog サービス終了のお知らせ 

かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

認知症は、なる人はなるし、ならない人はならない、と思う

2019-02-18 01:34:47 | ブログ記事
私は、ある程度、遺伝的なものがあると思う。

義母は認知症になったが、若いころより、人一倍健康には気を使う人であった。

が、それでも、認知症になった。

認知症になりはじめのころは、自分でもイライラしたようで、
よく里帰りしていた義妹とケンカしたようだった。

このころは本人も辛かったと思う。

私がこの家に来たころは、もう義母は半分諦めの心境になっていたのか、
最初のころを除いて、私に頼りっきりになった。

一方、実家の母は、いわゆる認知症にはならなかったが、
しかし、年寄りというものは、認知症にはならなくても、ややこしくなるものである。

それで、実家の兄嫁は、私の母にはかかわらないように、逃げていた。

母の世話は、母が雇ったおばちゃんに丸投げであった。

兄嫁は、もう一切かかわりたくない心境になっていたのだろう。

もともと、いろいろ人に厳しいことを言う母であったが、
年取ってからは、自分でできなくなった分、余計に人にいろいろ要求することが増えた。

兄嫁にすれば、
そんな母にまともに関わっていたら
自分の生活がめちゃめちゃにされると思ってのことだったのだろう。

その気持ちもわからなくはない。

私が義母、実母、二人の母を看た体験で学んだことは、年取ったら認知症はもちろんだが、
認知症にならなくても、人はややこしくなってくるということだ。

その一番の解決法は、私は長生きをしないことだと思っている。

そうでなくても、私は難聴という生きづらい障害を持っているから、長生きはしたくない。

義母と実母は、その点は私と異なっていた。

二人とも長生きをしたがったと言えるかもしれない。

実は、私は、義母に、「長生きして、楽しいですか?」と聞いてみたことがある。

聞きようによっては、ずいぶん失礼な質問だが、義母は気を悪くせず、応えてくれた。

「楽しい」と。

実母のほうは、その甥(私の従弟)に「母(私の祖母)より長生きしたいと思っている」と
言っていた、らしい。

ということは、長生きをしたかったのだ。

まあ、母も、私には、最後のほうは、
「早くお父さんや〇〇(私の兄)が迎えにきてくれないかと思っている」と言っていたけれど。

義母も実母も、
二人ながら美貌にも健康にも恵まれて、その親に大事にされた生まれ合せだったから、
此の世を謳歌できたのだろう。

二人とも、楽天的であったとも言えたかもしれない。

*

★年取れば認知症にぞなるならぬ関係なしにややこしくなる

★一番の良策長生きをせぬことこれは真実死ぬが一番

★すみやかに死なせることがこれからの医療の目指す目標なるべし

★延命の技術を磨くことよりも安楽死こそあらまほしけれ

★不治の病かかれば安楽死ができる体制こそが民の幸せ

★年寄りが早々死にてやることが子供世代へ孝行になる

★認知症なるまへ出願しておかむ なれば安楽死を希望すと

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。