いまblog友さんの記事を読ませてもらっても、そう思った。
人が暮らしていると物は溜まってくる。
それは仕方ないこと。
それで家の中をホテルのように綺麗に保つために断捨離をする?
まだ使えるものでも現在使っていなければ断捨離しましょうと、
断捨離を勧める先生方?はおっしゃる。
しかし、戦後の物の乏しいころに育った私には抵抗がある。
まだ使えるのに、なぜ捨てないといけない?
子供たちは、私の使っている道具類が古いという。
最近は安く出回っているから買い替えよとも。
なぜまだ使えるものを捨てて買い替えなければならない?
物は最後まで使い切ってやることが物に対する愛情である。
ということで、私としては、あまり断捨離はしたくない。
最近は読む時間もとれないのに、本も溜め込んでいる。
しかし、聴覚に障碍のある私にとって、
本は昔も今も孤独を慰めてくれる宝物である。
どうして断捨離などできよう。
そういうことで、現在はたった二人きりの老夫婦の住まいだが、
物が溢れている。
昨年亡くなった母も物を捨てない人だった。
晩年になって、それが余計ひどくなって、ゴミ屋敷になっていた。
母の存命中は、帰省のたびに、それを責めていた私。
が、だんだん私もそうなってきている。
それでもいいではないか、と母の死後、思えるようになった。
母の溜め込んだものは、母が亡くなった直後に、
兄嫁や甥たちが捨てに捨てた。
見ずに捨てた。
だから、あっという間になくなった。
大事なものも捨てられたと思う。
が、そうしないと片付かなかったのだから仕方なかったかもしれない。
私の死後も、そうしてもらえばいいと思うようになった。
だから、生きている間は捨てたくないものを捨てることはやめる。
洋服も捨てない。
昔の洋服でも、着たくなることはあるから。
家の中が物置化してもいいではないか。
ホテルのように綺麗な場所で過ごしたいと思えばホテルに泊まればいい。
そう考えることにした。
ただこの断捨離という理念は、極論を言えば”リフレ型戦争”とよく似てますね。モノが溢れ過ぎてそれを削減する為の戦争。湾岸戦争やイラク戦争なんかはその典型とされますが。昔はこの逆のデフレ型の戦争、つまりヒトを減らす為の戦争ですね。
それに断捨離という考えは、毛沢東の文化大革命にも似てますね。古きも新しきも全てを排除し、理想の国家を作り上げようとした結果、1000万の犠牲者を出した大失敗の革命とされます。
そういう私もモノはよく捨てる方ですが。考え方にはどうも賛同できませんね。
”断捨離と戦争と文化大革命と”というテーマでブログが書けそうなです。
私は一応主婦なので、家の中を片付ける義務があるわけです。が、昨今は物が溢れているから、断捨離、すなわち捨てないと家の中は片付かないのですね。それは理屈としてわかるのですが、しかし、戦後まだ浅い時期に生まれた団塊の世代の私は、そうやすやすと物が捨てられないのです。これが私などより10年くらい遅く生まれた世代の人たちとの決定的な違いかもしれません。転造さんは、たしか50代でしたよね。なら、もう全然物に対する執着度が違うと思います。ま、それだけじゃなく、私はなんにでも執着心が強いほうですから、それも関係しているかもしれませんが・・・。
捨てるで連想されたと思いますが、毛沢東の文化大革命とかロシア革命も、古い制度を捨てて新しくしたのでしょうが、人の生活は、そうやすやすと変えられるものではないということが、革命後わかりましたね。結局、共産国になったら、その指導者が王様になるわけです。人間は、権力をもったとたんに腐敗する生き物ですから。
政治革命も日常生活の断捨離も極端は失敗するということなのでしょうね。
断捨離しなくてはと、たくさん買っていた小説本を全部捨ててしまった後、ヤッパリ後悔しています。
文学少女?だった私はどこへ行ってしまったの?です。(笑)
暇な時チョット読んでみたい本もあったのに・・・。
捨ててしまってから、小説を新たに買おうという気も、図書館で買おうという気も起りません。
書庫にあるのはPC関係の本だけという寂しさです。
特に自分の趣味としているものは、捨てないで大事にするべきだと思います。
洋服だって、沢山の洋服をとっかえひっかえアレンジ、着る楽しみがありますもの。
古い洋服がが新鮮に見えるときもありますし。
biko様に共感します。
この記事はけいさんの記事を読ませてもらって触発されて書いたものでしたが、そうですよね。
断捨離断捨離と言われますが、何もホテルのように綺麗にする必要はなくて、買い込んだ本も、年取って、もっと暇になったときのためにおいておいたほうがいいし、洋服も、気に入って買ったものだったら、流行が変わっても着てもいいと思います。たくさん持っているほうが、そのときの気分で選べますし、何より、新たに買う必要がないから、出費も抑えられます。私は、私の母がそうしていたように、これからは捨てないで、老後を楽しみたいと思います。私が死んだあと、子供たちが一気に捨ててくれたらいいことですから。