かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

A級戦犯として処刑された東条英機

2019-08-16 10:10:25 | ブログ記事

誤解されたらいけないから最初に書いておきますが、

私は、昔も今も、戦争は絶対反対です。

が、敗戦後、
日本が極悪国のように言われてきたことには少し反論したい気持ちです。

私自身、戦後の教育で自虐史を学んできましたから、
比較的最近まで日本が悪かったと思い込んできました。

ずっと朝日新聞を購読していたことも、それに拍車をかけていたと思います。

が、むかし全学連の闘士だった人に朝日新聞のいかがわしさを教えてもらってから、
物の見方が180度変わりました。

そして遅ればせながら日本国民としての誇りを取り戻しつつあります。

現在A級戦犯などと物騒な呼ばれ方をしている人たちも

日本が戦争に負けていなければ英雄だった人達です。

中でも、

東条英機はアジアのヒットラーと呼ばれていたらしいですが、

全然ちがいますね。

私も知らなかったのですが、

昨日は終戦記念日だったから、少しネットで東条英機のことを勉強しました。

すると、こんな立派な人物だったということがわかったのです。

↓ クリックしてお読みください。

 
私は自分が歌を作る人間ですから、
歌を作る人の人物の判断は、まずその歌からします。
 
東条英機はつぎのような辞世の歌を詠んでいます。
 

「さらばなり 有為の奥山けふ越えて 彌陀のみもとに 行くぞうれしき」

「明日よりは たれにはばかるところなく 彌陀のみもとで のびのびと寝む」

「日も月も 蛍の光さながらに 行く手に彌陀の光かがやく」

 
素晴らしいですね。
 
この歌を読ませていただいただけでも、東条英機という人物がわかります。
 
戦犯などと物騒な呼ばれ方をしていますが、
戦争に負けていなければ、英雄です。
 
日本が戦争に負けたから、
戦勝した国々の勝手な裁判で犯罪者の汚名を着せられてしまいましたが、
もともとは天皇の聖名のために戦ってくれた人たちです。
 
それなのに、
退位された上皇様も、現天皇陛下も参拝されないのはどういうことでしょう。
 
勝った国々が勝手につけた犯罪名を鵜呑みにして、
自国のために働いてくれた人たちを戦後74年たっても顧みないとは、
この国に君臨される天皇とは思えません。
 
昨日も
超大型台風襲来の今日は終戦記念日」の記事に書きましたが、
上皇さま、上皇后さまも、
海外に慰霊の旅に出られるのなら、
皇居のすぐ近くの靖国神社の英霊の慰霊をこそ果たすべきと思います。
皆さん、お国のために戦って命を失くされた方々ですから。
 
私達国民も、現在、私達にこの国があるのは、
こうした英霊になられた方々の戦いがあったからであることを忘れないようにしましょう。
 
でないと、日本もアジアの他の国のように植民地にされていたかもしれませんから。
 
また日本が闘わなければ、
アジアの国々は、そのままずっと植民地のままだったことも考えられます。
 
不幸にも、
その戦争に負けてしまったから、
何もかも悪く言われていますが、
日本には日本の大義があったのです。
 
韓国などは、
日本が統治しなかったら、
今も中国の属国のままであったか、
ヨーロッパの国の植民地になっていたかだと思います。
 
日本がアジアのために戦ったから、
現在のアジアがあると言っても過言ではありません。
 
そういう意味でも、
先の大戦で戦ってくれた人たちは今も英霊でありますし、
A級戦犯などと呼ばれている人たちも英霊に変わりありません。
 
東条英機の遺書の意訳も転記転載させていただきますが、
この遺書を読ませていただくだけで、
彼がどれだけ立派な人物であったがわかります。
 
 

《英米諸国人に告げる》

今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばを過ぎるものがあるのではないだろうか。我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。

もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。

諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。

 

《日本同胞国民諸君》

今はただ、承詔必謹する〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。私も何も言う言葉がない。

ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。不幸にして我が国は力不足のために

彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国あるということは動かすことのできないことである。

力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。日本は神国である。永久不滅の国家である。皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。

諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。

 

 

《日本青年諸君に告げる。》
《日本青年諸君各位》

我が日本は神国である。この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない。

現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、

正義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。

また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、彼らの英魂毅魄〔伴注:美しく強い魂魄〕は、必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。殉国の烈士は、決して犬死したものではない。諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、日本三千年来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。これこそがまことに私の最後の願いである。思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。

真骨頂とは何か。忠君愛国の日本精神。これだけである。

 


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