人は人のことを誤解もするし、誤解もされる。
誤解されたら、その誤解を解こうとするが、うまくいかなくて余計深みにはまるときもある。
そんなときは下手に理解してもらおうと頑張るより、
誤解はそのままにしておいて、
自分が自分を理解してやれば、それで十分だと思う。
自分で自分を理解してやって安らかな気持ちを失わなければ、
誤解もいつか氷解すると思う。
無理して誤解を解こうとするとこじれるが、
自分が自分を理解して平穏な気持ちでいれば、
それは相手にも伝わると思う。
どうして今こんなことを書いているかというと、
最近も、とある人に誤解されたからである。
以前鬱病になったのも、人に誤解されたことが発端であった。
さるメーリングリストで、とある人に口汚くののしられた。
私は、自分ではそんな人間ではないと思っているので、
誤解を解こうとした。
が、それが裏目に出て余計誤解される結果になった。
ああいうときは、下手に釈明するより、黙っているほうがいいかもしれない。
神様は見てくださっている。
神様というと反発を持たれる人がいるかもしれないが、
自分という神様が見ているのである。
人は他人は欺けても自分を欺くことはできない。
自分で、自分は間違っていないと思えば、それで十分である。
自分が自分を理解してやれば、それで十分なのである。
人にどう見えようと、事実は事実であるから。
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★人間は誤解をするを得意とし誤解されたりしたりもすなり
★誤解され苦しむことは無用にて誤解は誤解無言で耐える
★空海も何度も死ぬこと考へて思ひとどまり生き続けたり
★生と死は表裏一体死ぬことを孕みて生きる人と思へば
★死ぬことは生きることでもありければ死ぬを恐れず生きむと思ふ
★死ぬことが怖くなければ生きること怖くなくなり此の世に生きる
★誤解されながら生きるもよろしけれ理解さるればなほよろしけれ
私も以前ちょっとした事がありましたが 動揺したのは他人がこの事でどう自分を思うかが気になった時でした
自分は悪くないし また それに関わった相手を傷つけたくなかった事が何よりもの救いだったと思います
イジーさんはご苦労されている分、人に対する思いやりの気持ちが普通の人より強いと思わせていただいています。
私も自惚れかもしれませんが、難聴という障碍のため人より気苦労が多いことが人を気遣う気持ちに繋がっているように思っています。それなのに、その気遣いを誤解する人がいるのです。でも、上の記事に書きました通り、誤解されても、自分で自分の行為を認めてやれば、心穏やかにいられると気づきました。心穏やかにいられたら、人を傷つけることもありませんから、一番大事なことは自分で自分の心を宥めてやることだと思います。