加奈子のたららん うたレシピ♪

歌い手、声楽講師として活動中♪ 音楽のこと、日々のことをマイペースに綴っております。

スプリングコンサート ~A・ベルク氏をご紹介~

2012-01-24 | うた♪
前回ブログに書いた通り、3月のスプリングコンサートでの演奏予定曲目、A・ベルク作曲“7つの初期の歌”について少しずつ書いていきたいと思います。

今回は、まず作曲家について。


名前はAlban Berg(アルバン・ベルク)。
(※シェーンベルクと言う作曲家もいますが別人です。)

ベルクは1885年2月9日、オーストリアのウィーンの裕福な書籍・美術商を営む商家に生まれる。ウィーンのさまざまな芸術関係のサークルとの関わりを持つ環境の中で育った。ウィーン分離派の前身であるウィーン芸術協会や、音楽商、ウィーン・フィルの本拠地も自宅からすぐの場所にあった。芸術的にはうってつけの場所と言える。
また、ベルクの兄は素晴らしいバス・バリトンで熱狂的なワグネリアン。妹は卓越したピアニストだった。しかし、ベルク自身は兄や妹のように積極的な性格の持ち主ではなく、兄妹の影響を少しずつ受けて音楽に情熱を傾けていく。15歳の時に父親を亡くし、その後独学で作曲を試みるようになる。

しかし、彼の10代後半は決して順風満帆とはいかず、自殺を図るなど波乱に満ちたものだった。

音楽の道に本格的に進もうと決めた時には、音楽院に入るには年齢的に遅かったため、彼は公務員として働く道を選んだ。精神的・肉体的に不安定だった青年時代をベルクは『作曲』という形で紛らわしていたと思われる。

しかしその後、兄が弟の作品をシェーンベルクのもとに持ち込み、認められた。ベルクが19歳の時である。

1907年≪4つの歌曲 Op.2≫などの曲で作曲家として本格的にデビュー。23歳の時に喘息を患い、彼の中で『23』と言う数字を運命の数字なって特別な意味を持つようになる。後の作曲にも大きな影響をもたらす。

彼の代表作でもある、歌劇≪ヴォツェック≫の成功により、作曲家として順調に見えたベルクだが、第2次世界大戦のナチスの台頭により、師シェーンベルクとともにベルクの音楽も『退廃音楽』のレッテルが貼られドイツでの演奏が不可能となる。

1935年12月24日に敗血症で亡くなる。

彼の代表作としては≪7つの初期の歌≫、≪アルテンベルク歌曲集≫、歌劇≪ヴォツェック≫、≪抒情組曲≫、歌劇≪ルル≫(2幕までの未完。3幕はF.ツェルハの補筆)、ヴァイオリン協奏曲≪ある天使の思い出に≫などがあげられる。

しかし、ベルクは『生前に出版されたもの以外は決して出版してはならない』と遺言した。※≪7つの初期の歌≫や≪4つの歌曲≫は生前出版を許されていた。

ベルクの妻ヘレーネもベルクの意志を継いで出版を許さなかったため、彼女の死後もその意志の厳守を遺言した。しかし、1985年ベルク生誕100年の年に厳禁が破られることになり、多くの作品が世に出ることとなった。

歌曲において、ベルクの作曲した歌曲は全部で88曲あるが、そのうちの70曲は彼が16歳から24歳頃、シェーンベルクに師事する以前に書いていた歌曲である。その70曲のなかから1985年に世に出ることを許された作品は46曲ある。

彼の作曲家としてのスタートはリート作曲家と言えるようだ。


次回は《7つの初期の歌》の第1曲目“Nacht(夜)”をご紹介します。
                         
                               つづく
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