Green;私の心の語らい

日々学んだこと、感動したことなどを、絵、文章、写真で紹介していきます。

インド結婚式出席そして観光(7)

2012年11月06日 | 旅行
3月23日(月)
私は6時まで、妻は7時まで眠った。
そして7時半に起床して、ホテルのレストランに行った。
胃の調子を大分悪くしたので「今日からは日本と同じ食事にしよう。
朝は紅茶も飲まない」。
薄いパンにバターとジャム。
そしてスクランブルエッグと暖かい牛乳だけとした。
日中も暖かいお茶を飲むようにした。
ラビンさんは「ドライバーはデリー観光のときと同じ人にしておきました」と。
8時半、ヒゲオヤジのタクシー(7,500Rs.×2.5円)でアグラへ出発した。
今日の目的は世界遺産“タージマハル”の見学、これがインドの本命だ。
ゴルゴーンを出ると「樹林帯です」とドライバー。
「イヤこれはブッシュだよ」とにかくインドで初めて木らしいものを見た。
道路は悪くて車はガットンゴットン。
途中で交通事故「事故は多いのか?」
「外人です。飲酒運転ですよ」所々でトラックが休む店があった。
交通は少ない。やがて大きな道路に出た。
「International High-wayです。デリー→アグラ→カルカッタ→ムンバイ(ボンベイ)と通じています」
実際には国道2号線


最高時速120Kmで飛ばした。
高速道路の割には自転車も走り、歩いている人もいた。
途中でドライバーが休憩をとった。
車から降りると菜の花が咲いており、この景色は荒涼としたインドではまるでオアシスのようで、とても綺麗に見えた。
日本では何でもない景色である。


道路に向けてカメラを構えていると、貧しそうな家族が道路の反対側を歩いてきた。
私がカメラを向けているのに気が付いた子供達が道路を横切って、私達の所へやってきた。
「お金をやるのはまずいだろう」「飴があるよ」
由美が喉飴を出して1人に1つずつあげた。5人の子供達はすぐにそれを口の中に入れ、美味しいそうに目をまるくして飴を舐めた。
親は道路の向こう側でそれをずっと見ていた。
私はここで用を足しておいた。車が走り出してから妻が「トイレに行きたい」
「さっきの所でやっておけば良かったのに」
「そんな事出来ないよ、トイレは無かったもん」
「ここはインドだ」。
「ドライバー、トイレがどこかにあるか。あったら寄ってくれ」
「10分待ってください」
しばらく走ってから「トイレは未だかい」
「あと10分待ってください」
「さっきも10分って言ったじゃないか」。
これがインド時間なのだ。
間もなく“マクドナルド”が現れたのには驚いた。
「インドにマクドナルドがあるよ」
「ここでトイレだけ使って大丈夫なのか」
「大丈夫です」
客は外国人ばかりであった。


左の方に列車が走って来た。
「あれがアグラ行きだね」
「列車だと駅までタクシーに乗って、アグラでまた観光タクシーをチャーターするから大変だったね」と由美。
「結構トラブルが多いですよ」とドライバー。



ユックリ走っているトラックの後ろには必ず自転車の人がつかまっていた。


トラックには大勢の労働者が乗っている。
「何であんなに人がトラックに乗っているんだ」
「彼らは農場へ働きに行くんです」






車はビュンビュンと走ったが、途中で車の調子が悪くなってドライバーは修理工場を探した。
最初は断られた。次の修理屋は怖そうなオヤジや兄さん達が道端で働いていた。
結局直らなかったようだ。
私は「サンキュー、サンキューあんた等はすばらしい技術者だ」
と言って、手を振って分かれた。
最後に立派な修理工場に入った。
工場の事務室に入るとボスが「日本から来たのかい。
今日は暑いだろう。
外は25℃、この中で20℃だよ。
アグラへ行くの?今日はアグラの町でお祭りがある。
色々な店が出ているらしいよ」。


修理は飽きるほどの時間がかかった。


修理も終って出発、途中でドライバーが税金を支払いに車を留守にした。
ここではバスなども止まっていた。
熊と猿を連れた芸人らしき人達が道路の中央を行ったり来たりした。
バスの乗客が写真を撮るとバスの窓を叩いて金を、金を…と叫んでいるようであった。それを眺めていたら、芸人が私達の車に来て「マダム、50ルピー、マダム…」
「顔を見るな」それでもしつこい。
「由美、写真を撮ったのか」
「ウン」
これは仕ない。
窓を少し空けて5ルピーを渡すと去って行った。
汚れた街に入ると、女の子がこちらを向いてウンコをしていた。
黄色い物がおしりの下に落ちていた。「牛の写真を撮りたい」。
しばらくしてドライバーは5匹の牛がゴミをあさっている所に車を止めてくれた。


「インドでは牛は神なんだろ」
「そうです」
「神なる牛がごみをあさっていいのか」
「・・・」
「牛に食べ物をやったらどうか」
「でも一匹の牛に食べ物をやると次の牛がいます」
「その牛にも食べ物をやればいいだろう」
「牛は次から次にいます。きりがないです」。
「それでは皆でやればいいだろう。ゴミを食べる神なんて聞いたことない」
「・・・」。


交差点には、ほとんど信号機が無い。
写真を撮ると「ポリスの写真は撮らないでください」とドライバー。




雑沓の街も通り過ぎアグラに入ると道路はグンと混んできた。
大きなトラックの間をすり抜けるように進んだ。


大きな川に牛が一杯いた。
「ここで写真を撮りたい」車を止めた所から橋が見えたが、橋は歩いている人で一杯。


タージマハルに着いたのは午後の2時になってしまった。
ドライバーはここでガイドを呼んだ。
「ガイドは要らない」と言うと「ガイドは既に費用の中に入っています」
ガイドは印象の良い分かり易い英語を話す青年であった。
「先ず昼食を摂りたい」近くのレストランに案内してくれた。
レストランの中は暗い。
庭は明るくさわやかで、椅子とテーブルと大きな日傘がセットされていた。
ボーイがメニューを持って来た。
「スパイシーでなく日本人に合うのはどれだろう」とガイドに聞くと
「ベジタリアン・ヌードルではいかがでしょう」良く分からないが、
「それでいい、それを2人分くれ」


私がトイレに行くと入り口に紙を持った少年が立っていた。
「紙は要らない」チップもやらなかった。
妻もトイレに行くと言ったので「紙はもらうな」
「分かった」。
暑かったが庭での食事は爽やかで気分が良かった。
ベジタリアン・ヌードルは酢豚の豚を抜いたものと全くであり、食べやすかった。
但しヌードルは焼きソバをカリカリにしたお菓子のようなもので、食べずらかった。
少しお腹の調子が良くなって来たようだ。
昼食が終ると「日本語の出来るガイドが空いたので交代します」と。
この日本語ガイドは曲者が顔に出ていた。
ガイドは「私はデリー大学を卒業している。プロのカメラマンで、デジタルカメラも持っている」と言っていたが嘘だろう。
とにかく不愉快なくらい乱暴な日本語使う。
とても大学で日本語を学んだとは思えない。
タージマハルでは持ち物チェックがあり、三脚を預けた。
入り口から500mくらいオープンカー(リヤカー)に乗って建築物の所へ…。

<ここまででも、大変な旅行であった>

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