Green;私の心の語らい

日々学んだこと、感動したことなどを、絵、文章、写真で紹介していきます。

インド結婚式出席そして観光(3)

2012年08月12日 | 旅行
2月20日(金)続き
-9時30分やっと飛行機に乗れて「ホッ」とした。
「日本人のSさん、Tさん達はどうしたんだろうね。この飛行機には乗っていないね」
まさか彼らが汽車でアグラ→シャイプルと回ったとは知らなかった。
後から聞いた話で、朝5時発の汽車は9時に出発・・・4時間待たされたと・・・。
汽車の窓は汚くて、景色は全く見えず。
「汽車のトイレ?聞かない方がいいですよ。座席も汚くて・・・」と。
しかも金曜日、タージマハルは閉館。-

ジャイプルはかなり汚い街であった。ピンクタウンの混雑はものスゴイ。
リキシャ、輪タク、ラクダ、馬・・・。交通ルールなど全くないようだ。
イヤ、インド全体に交通ルールがない。

ジャイプルのメイン道路

最初の観光はハワーマハル。ジャイプルで最も良く知られた建物。
5階建てで、張り出したバルコニーと152ある窓がラージ・プート建築様式を特徴つけている。
この建物は王妃や後宮の女性達が、夫以外の男性に顔を見られることなく宮殿の外の景色や祭りを眺めるために造られた。
暑い日には日陰と涼しい風を吹き込ませるように建てられている。

ハワーマハル

すぐに「ガイドはいかがか」とやって来た。100ルピーということで雇ってしまったが、ヒンディ訛りの英語は分りづらい。

ハワーマハルからピンクタウン

あまり興味の無い案内を聞いてパレスを降りる時「絵葉書を買わないか」と子供がやってきたが勿論買わなかった。
次はアンベール城に向かった。アンベール城が見える川の前でタクシーを降り、写真を撮った。川では象が水浴びをしていた。途中観光用の象に出会った。

アンベール城の前で水浴する象

入場料とカメラ料金を払って石の坂を登ると息がきれるようであった。
アンベール城はジャイプルに遷都する前のアメール村の要塞である。
ここには多くの建物が群がり、天井に無数の小さな鏡をはめ込み幻想的な空間を演出している鏡の間や王の寝室、象の頭を持つガネーシャ神が描かれた門などがある。
城の上に上る階段があった。

アンベール城内(観光用の象がいる)

「上に登る?」「いい」確かに暑くてもう登る気がしなかった。
頭もクラクラして来た「帰ろう」。
湖の中に浮かぶ城“Jal Mahal”の前に止めてもらった。
ここで冬用の下着を夏用のに着替えた。
やっと生きた心地がした。

湖の中に浮かぶ城“Jal Mahal”

昼食は外国人向けの店に案内してもらった。ボーイがメニューを持ってきたが何だか分からない。
「日本人にはどれが合うか?」とたずねたら
「野菜カレーはいかがですか」との返事。
更に「Nan or bread」と聞かれたので「野菜カレー1つとパン2つ、そしてミネラル・ウォータ」を頼んだ。
届いたのは野菜カレーとナンであった。
「パンを頼んだはずだけど」
「ナンとパンは同じです」
そんな馬鹿なそれなら聞くな。
パンは無かったのだろう、いい加減な奴らだ。
ナンはミルク味で美味しく、カレーも外国人向けにスパイシーではなかった。
ナンをカレーに付けて食べ、カレーそのものは食べなかった。
「このナンは美味しいよ」とボーイに言うと「もう1ついかがですか」
「イヤ結構」食欲はあまり無かった。
冷たい水をタップリ飲んだら体がやっと落ち着いて来た。
全部で400円くらいであった。
ドライバーは我々をみやげ物店に案内したが、良い物がなくて何も買わなかった。
途中で会ったオートリキシャには小学生がギュウギュウ詰に乗っていて元気よく手を振ってくれた。

オートリキシャで通学する小学生


オートリキシャの乗り合いタクシー

最後にシティ・パレスに寄った。入場料は360ルピー、カメラ1台10ルピー。
18世紀初頭にアメールからこの地に遷都したサワイ・ジャイ・シン2世が建設した宮殿。増改築が繰り返され初期の建物はあまり残っていない(ガイドブックより)。
確かに少し近代的であった。
「写真を撮るから向こうへ行って」と妻に言ったが、その向こうまで歩くのが大変なのだ。とにかく疲れ切ってしまったので、ここは休憩して写真を撮っただけで終わりにした。

シティ・パレス
「時間が早いが、空港に戻って休もう」空港には3時半に着いてしまった。ドライバーには50ルピーのチップをあげた。穏やかなドライバーであった。
我々の予約した飛行機は6時半発である。小さく小奇麗な空港で客もあまり見えない。
空港の事務室で「もっと早いフライトに変えられないのか」と聞くと「フライトはこれしかない」。
仕方なく空港で静かに待った。
あまり暇なので「空港の写真を撮ってもいいか」
「いいよ」。

ジャイプル空港

セキュリティチェックで“はさみ”が見つかって「これは何をするのか」と美人の監視官に問われ、裁縫セットの説明をし「日本の女性は皆これを持ち歩くのだ」と言ったが「これは預かります」と言われた。
いちいち荷物を持ってくれるボーイがいたので最後に「日本の1ドルだ」と言って10円をあげたら喜んでいた。
空港のトイレに行ったら水洗で綺麗ではあったが紙はなかった。
空き缶があり、そこに水がポタリポタリと落ちていた。
指でお尻を拭いて、この缶の水で指を洗うのか・・・試す気にはならない。
さすがにトイレの写真は撮る気にはならなかった。
ズット椅子に座って待っていると、先ほどの美人の監視官が来て「喫煙席ですか、禁煙席ですか」
「禁煙席です」
「はさみは飛行機内で返却します」
「OK」
「How do you say for scissors in Japanese?」
「はさみ、は・さ・み」これで納得していた。
しばらくして怖そうなオヤジが「来なさい」
「何で俺達だけ、どこへ連れて行かれるのだろう」とビクビクしていると搭乗チェックであった。
「これは何か」
「デジタルカメラです」
「どう使うのか」
カメラの前の蓋を開けて見せたら「OK」の合図をした。
とにかく空港のチェックは厳重である。
飛行機に向かう前に再度、持ち物チェック。
そこへ美人の監視官が来て、妻にはさみを返してくれた。
彼女はとても賢そうで、印象も良かったがさすがに2ショットは撮れなかった。
飛行機は6時に離陸し30分でデリーに着いた。
機内ではサンドイッチとジュースが出た。
ジュースは口に合わないので、ミネラル・ウォーターに代えてもらい、カバンに入れて持って来た。
サンドイッチも食べずにそのまま持っていった。
デリー空港からインチキタクシーに付きまとわれて、それに乗ってしまった。
道路は、まるで芋を洗うような大・大・大・渋滞。
信号は全く点滅していない(電力不足で、信号はほとんど全て点滅しない)。
タクシーは大渋滞の道路を右へ左へ、更に歩道にまで入って走る・・・もうビックリ。
歩道の人達を掻き分けてタクシーは走る。
「オイオイどこへ行くんだ」
「混んでいるんだから仕方ないだろ」
歩道はひどい凸凹。
我達は車の中でピョンピョン弾んで、
「いたい!」妻は車内で頭をぶつけた。
もうタクシーに乗るのも大変。
驚いたことに歩道でも対向車が走って来た。
歩道で車が動かなくなると「ピィピィ」と警笛を鳴らして邪魔な車をどかし、また車道に出る。
目の前でトラックと乗用車がこすり合って、乗用車は少し左に飛ばされた。
当然車には傷が出来たはずで、日本ならばドッチが悪いのか、更に弁償の交渉が必要だが、インドではそんなことはしない。
そのまま何事も無かったように2台の車は走り続ける。
第一この渋滞では車を止めることなど出来はしない。
タクシーに乗って疲れたのは、初めての経験。
しかもタクシーには550ルピーを騙し取られた。
これも思い出すと悔しい。
BRISTL ホテルのフロントで、日本語が通じるラビンさんから「タクシーの値段は2倍以上でしたね」と言われた。
私たちがジャイプルへ行くのに大変だったことを話すと「アグラへ行く時は駅までホテルのタクシーで送り、帰りは駅にホテルのタクシーを迎えに行かせますよ」と言われて少し安心した。
ロビーの片隅にみやげ物店があり妻と覗いてみた。
店長らしき男性と店員の女性がいたが、客は1人も入っていない。
店長は日本語がとても上手だがいかにもズルそう「いかがですか」色々見たが
「また後で来る」
「貴方のために理想の価格を用意して待っています」
結局その店では最後まで何も買わなかった。
お客が入っているのも一度も見たことが無かった。
「良くこれで成り立つね」。
夜はホテルの日本レストランへ行き「テンプラ盛り合わせとソバ」を頼んだ。
これがとんだインチキ。
全く日本のテンプラではなく、ソバでもない。
妻は殆ど食べなかった。
「これを食べる日本人がいるのか」と聞くと「います」だって。
それでも2500円取られた。
申し訳ないと酢豚を作ってくれたが妻は食べず、私が1/3を食べると、残りをパックに入れて「部屋で食べてください」と。
更に「明日はもっと口に合う料理を用意しますので、また来てください」とんでもない、二度と行かなかった。
酢豚のパックは部屋でゴミとして出した。
明日のデリー観光の予定をラビン氏に相談した。
「ゆっくりしたいので半日観光で10時出発ではどうか」と言うと
「時間オーバーになると思うので9時出発にした方が良いですよ」とラビン氏。
部屋に戻って妻は日本から持って来た携帯食の“トン汁”を「美味しい」と食べた。
その夜はグッスリと眠った。

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