Green;私の心の語らい

日々学んだこと、感動したことなどを、絵、文章、写真で紹介していきます。

「やりがいのある仕事」という幻想:森 博嗣 著

2013年05月16日 | 読書
今の私は、42年間に渡るアホくさい会社生活を終えて、「せいせい」している。
会社生活で楽しかったのは「山楽会」、「バトミントン部」くらいかな。
どちらの仲間も良かった。
どちらも「アホくさい」仕事を忘れることが出来た。
仕事で「やりがい」、「楽しさ」を感じたことは殆どない…これは断言できる。
多くの定年退職者は、私と同様の経験をしていると思う。

成果を上げた(電卓一号を設計した)。
難しい設計は私の所に回ってきた「これを1週間で設計できないか」
「市場不良が出ている…原因が分からない」
私はどれも嬉々として解決した。
上司が特別昇給を人事に申請してくれた…人事の回答は「高卒が大卒を抜いた事例はない」だと!
頑張っても成果は、大卒に持っていかれる。

あまりに悩んで心身が硬直して、2度の入院もした。
3ヶ月×2回の長期給食(間違い:休職)もした。
これで何で仕事で「やりがい」、「楽しさ」を感じることが出来ようか。
挙句の果てに「アホ部長の下で仕事をする万年課長」それは未だ序の口。
「仕事に関係ないことをやっている」ということで、課長を降ろされて元部下の大卒課長の下で働くことになった。
(この「関係ない仕事」が、私の人生を大きく変えることになった。)
しかし、その頃の私は何をされても、どんな仕打ちを受けても悩むことのない、「処世術」を身に付けていた(端的に言うとずるくなった)。
「仕事は収入を得るためのもの。
我慢の代償としてお金をもらうもの」と考えられるようになっていた。

出張で電車に乗るときは、若い上司に座ってもらって、私は立っている…これも仕事だ。
駅で雨が降っていたら、濡れながらコンビニに傘を買いに行く(当然上司の分も)…これも仕事で金になるのだ。
毎朝、始業前に英会話を聞いていたら、若い上司から「うるさい!」と英語の出来ない上司…イヤホンを付けた(これなら文句ねぇだろ)…これも仕事の内。
そのくせ、英語が必要になると「きみきみ…」これも仕事・ハイハイ仕事だよーん。

森 博嗣氏は「仕事とはそういうもの」とキッパリ。
何を悩むことがあるのか?
それは誇らしいことなのだよ。
氏は小気味よく、多くの悩み相談にズバリの回答例を示している。
そういうことだったのか。
あれで良かったのか。
働らくこと、生きることとは、どういうことなのかの現実的な指針を示している。


そうなんです。
「アホらしいことを耐え抜いて、人は成長すると思う。
私の救いは、社内に『○野さんを囲う会』というのがあったこと。
若い人ばかりが集まった。
若い相談者が毎日のように、私の所に来てくれたこと。
会社では若いアホ上司に仕えて、干されて表面に出ることは殆どなかった。
社外(学会、大学)では多くのスバラシイ教授や社長と交流でき、講演、講義などして別格扱いであった。
私の結論として『いきがい』も『昇進』も社内では求めず、得ることもなかった。
社外では、それらを求めなくても、転がって来たような気がする」
今だから分かる…仕事で給料もらって、生きがいまで求めるのは虫が良過ぎる
仕事とは「アホらしいもの」と割り切るべし!
それでいいのだ!



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