今日からキモノにした。 HP更新

2006-11-20 | 日録

 今日からキモノにした。昨年も今時分だった。歳のせいか、洋服だとストッキングを穿いて膝当てもし、ソックスを穿いて、なおスリッパがはなせない。キモノは不思議だ。裾よけ、肌襦袢、長襦袢、着物、足袋だけで十分だ。家に居るときは、半幅帯を貝の口に結ぶ。着物を着ると、気持ちまで整う。

 近年、寒い時期はキモノになった。車の運転は、キモノ自体は違反ではないが、履物(草履)はまずいそうなので、私は靴を車に忍ばせておく。何かあったら(!)靴を履いていたかのようにヨソオウつもりで。

 キモノを着ると母を思う。昔から母が一枚一枚縫って、増やしてくれた。2000年11月藤原清孝が亡くなり、年が新しくなって、教誨師だった僧侶を訪ねた。品の良い御老師(前住職)がおられ、「被布じゃな」と鋭い目で言われたのを思い出す(一昨年、ご老師も亡くなられた)。このときは藤色の被布を着ていた。被布も、母はたくさん作ってくれた。火色の地に墨をぼかしたような被布、玉子色の地に梅の模様の被布、紫色の地に白やピンクの小花をあしらった被布も・・・。また、母は、千代田衿のコートも作ってくれている。これは珍しいデザイン。テレビなどでも、千代田の衿はついぞ見かけたことがない。渋めのレンガ色の千代田+白大島(八掛は水色)の着物。抑えた桃色の地に亀甲模様(黒)の道行+黒大島(八掛は臙脂色)の着物。こういうコーディネイトが好きだ。

 多分、私の頭が固いのだろう。「キモノを洋服に」とか「小物に」などと云うのを耳にすると、悲しくなる。キモノはキモノとして着てこそ、着物が喜ぶような気がする。切り刻んではかわいそうだ。

 ただ、キモノには着る上で決まりごとが多く、格付けもあり、帯や着物のコーディネート一つとってみても、幾つもの決まりを心得ていなくては恥をかく。こういった着物特有の厄介さ、難しさが、着物離れの原因となっているようだ。が、この文化が廃れるのは、いかにも惜しい気がする。

 HP「天国の清孝へ」更新した。酷く疲れた。あまり頑張ってやるほどのことではない。自己満足に過ぎぬのだから。


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