昨夜は、名音大のコンサートに行った。芸文(愛知県芸術劇場)コンサートホール。オーディションによる学部4年生の演奏。トップバッターは電子オルガンの演奏。演奏者自身の作曲。電子オルガンは、最新の「ステージア」。曲も良いし、演奏も巧かったが、やはりステージアの音色が最大限アピールしていた。
驚いたのは、作曲学科の学生による作品「ゴンドワナ」。弦楽四重奏曲だが、素晴らしい曲をものしておられた。演奏も良い。とりわけ、第一ヴァイオリンの高音部の細くナイーヴに歌わせる演奏には、惹き込まれてしまった。何もかも忘れて、聴き入った。チェロも佳い。
筝の演奏もあって、私は随分若い頃を思い出した。振り返ることも絶えて無かった一時期のことだ。結婚後しばらくの間、母に勧められて、お琴を習った。先生に自宅へ来ていただいた。発見することもあり、それなりに面白かった。
が、しかし、違和感がつきまっとった。私は、あの音が好きになれなかった。爪で音を出す、その音が何故ともなく不可解で、しこりになって、好きになれなかった。
誤解を恐れず云ってしまうなら、お琴だけでなく、私は三味線などが嫌いだ。あの音と、それからまるで職人のように、むきになって弾く様子が嫌いだ。チャンチャカチャンチャカの賑やかな音が、好きになれない、嫌いなのだ。聴き入ったことが無い。
一方、若い頃、初めて聴いて感動に震えた曲が何曲かある。双璧を為すのは、バッハの『マタイ受難曲』とモーツアルトの『レクイエム』だが、アルビノーニの『アダージオ』もマスカーニもベートーベンもシューマンも、ショパンも、好きでならない。これらの音楽の「初め」「底流」には教会がある。教会から、生まれた。
神を志向せず無縁で、人間のレベルで芸事として精進する?音楽が、私には理解できない。その「音」が、解らない。人の好みというものは、どうにもならない。
筝の演奏の後、ショパン『ポロネーズ変ホ長調22』。続いて、ソプラノによるマスカーニ。ショパンもソプラノも、生硬な演奏。ショパンとSTEINWAY SONSを弾きこなすのはまだまだ先だし、身体という楽器が充実し良い声になるのも、何十年も先だろう。
ショパンもマスカーニも聴いたので、何曲か残して席を立った。コンサートホールを出て地下鉄に向うところで、息子からメール、「中田・森野・岩瀬・ウッズが推薦された」。今朝新聞を見たら、監督の弁「数字で選んだ」。いかにも落合さんらしい。ま、いいか。去年は健太がオールスターに選ばれて、余りにも影が薄くて気の毒みたいなものだった。所詮、田舎者。スターなんて代物ではない。野村さんの言葉を借りるなら「スターダスト」だ。大舞台には、弱い。ヒットをいっぱい献上した。
昨夜はドラ、健太で連敗ストップ。よかったよかった。おまけにGが負けて、よかった♪