秋田連続児童〈畠山彩香さん・米山豪憲君〉殺害事件 2006年発生  『橋の上の「殺意」~畠山鈴香はどう裁かれたか』

2009-08-02 | 本/演劇…など

BOOKasahi.com 書評 橋の上の「殺意」 畠山鈴香はどう裁かれたか [著]鎌田慧
[評者]酒井順子(エッセイスト) [掲載]2009年07月19日
■死刑待望論で見えなくなったもの
 秋田で、母子家庭の娘さんが行方不明になり、やがて遺体で発見された。
 ……このニュースを聞いた時、傷心の母親の姿を見て、「何て可哀想なのだろう」と思ったことを私は覚えています。しかし、やがて近所の少年が殺され、最初に遺体で発見された少女の母親、すなわち畠山鈴香にマスコミが疑いと興味の視線を集中させた時、一転して私も、いじめられっ子を見るいじめっ子のような視線で彼女を見るようになっていました。
 子供を失った可哀想な母親→子供を殺す鬼親、と、わずかな間に世間からの評価が劇的に変化し、その落差があまりに激しかった故に、彼女は日本中から石を投げられることとなりました。やがて彼女が逮捕されて裁判となった時も、世間は彼女に強く死刑を望んだ。
 著者は本書において、そんな世間の感情の流れに待ったをかけています。彼女の生い立ちと事件のあらまし、そして裁判とを詳細に検分することによって、彼女に死刑を望むのは妥当であるのかという勇気ある問い掛けを行っているのです。
 彼女がここまでの興味と憎しみにさらされたのは、彼女が「母親」だったからでしょう。子供を手にかけた「世間からいじめられて当然の母親」が登場した時、世間が舌なめずりをしている様子に気付いた著者は、私たちを冷静にいさめます。その人が母であろうとなかろうと、必要なのはなぜその罪が犯されたのかを公平に見る姿勢。裁判員制度が施行された今だからこそ、「罪の見方」は自分自身の問題でもあることに、この本を読んでいて、ハッと気付かされました。
 一方で存在するのは、「畠山鈴香はわたしだ」「べつな人がやってくれたから、わたしがやらないですんだ」と思う、経済的・精神的に苦しむシングルマザーたち。一人の犯罪者を「特殊な鬼畜」にしてしまうことによって、その背後で、ぎりぎりのところで罪を犯さずにいる人たちは、かえって見えなくなってしまうのではないか。そんな危機感をも感じさせる一冊でした。
 評・酒井順子(エッセイスト)
   *
 平凡社・1890円/かまた・さとし 38年生まれ。ルポライター。『自動車絶望工場』『ひとり起(た)つ』など。

 ◎上記事は[BOOKasahi.com]からの転載・引用です
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司法が届かぬ心の「空白」=『橋の上の「殺意」~畠山鈴香はどう裁かれたか』鎌田慧 著(平凡社・1890円)
 中日新聞 2009/08/02 Sun. 読書欄 〈評者〉朝倉喬司
 殺人の疑いをもって起訴されていながら、果たしてそこに「殺意」が働いていたかどうかが重要な争点になったのが「秋田連続児童殺害事件」(2006年4月発生)の裁判だった。
 世の常識からすれば、これはやや不可解な事態だろう。殺意の生じていない殺人なんてあるものかと、誰でもとっさに思うに違いない。
 だが、結果として被害者は「死なせられている」のに、加害者の側に自分の「やったこと」についての自覚が稀薄なタイプの(必然、殺意の認定に手間取るような)犯罪は、年々増加し続けているのが現状である。
 秋田の事件は、被告・畠山鈴香の「自己への自覚の不確かさ」が深く介在した、その種の犯罪の典型だった。現代社会が抱えた深刻な病理の一環ともいえる、この事件のそうした「質」に、捜査は、ちゃんと迫りえたのかを検証したのが本書である。
 著者の結論は「否」。
 被告は、実の娘を橋の上から「落下させて死なせ」、ついで近所の児童を絞殺して死体を遺棄したのだが、一連の自分の行為に関しての認識に随所で空白が生じていた。
 たとえば、娘が川へ落ちた直後、彼女は自分がなぜその場所にいるのかよく分からず、ただちに「いなくなった」娘を他所に探し始めている。
 事件以前から彼女をとらえていた、生活史上のさまざまな要因がからんだ(自己の同一性をゆさぶりがちな)心の変調のまっただ中で、そもそも惨劇は起きたことを示唆する「空白」のあり様。
 だが検察は、事件の核心のはずのこの「空白」にまともに向き合うこともなく、強引な取り調べを基礎に「故意の殺人」を立証しようとし、それがほぼ通ってしまった、と著者は報告している。
 そして、司法も精神医学も、人の心の病理の現代ならではの特異性に有効にアプローチしえていないな、というのが評者の読後の感想である。

 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
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TBS 2017年6月7日(水)放送
実録!マサカの衝撃事件
*みどころ
  2006年。秋田県で小学生4年生の畠山彩香ちゃんが自宅から10キロ離れた川で水死体となって発見された 。
 警察は、少女が誤って川に落ちたものと判断し、事故死として処理してしまう。だが、母親である畠山鈴香受刑者は、娘は事故死ではなく殺害されたと主張し、子どもの足取りを尋ねるビラを配るなどしていた。
 事件から一ヵ月後、鈴香の自宅から2軒隣に住む小学生1年生米山豪憲くんが下校途中に行方不明になった。
 その翌日、豪憲君の遺体が発見され、首を絞められたあとがあったことなどから警察は殺人事件と断定する。
 警察は、豪憲君の死体遺棄容疑で、畠山鈴香を逮捕し、その後豪憲君の殺害容疑で再逮捕、さらに、彩香ちゃん殺害容疑でも再逮捕する。
 この事件により、日本中に激震が走った。
 豪憲君の父親は、彩香ちゃんの死体が発見された時点で、警察がより詳しく捜査を行っていれば、息子が殺される事は無かったのではないかとの思いが浮かんだ。
 さらに警察がどのような捜査を行ったのかを証明するために、自ら地元住民などに聞き込みを行い、警察関係者に捜査に関する質問状を提出していた。
 事件発生から11年。被害者、豪憲君の父親が当時の思いと現在の心境を語る。父親が警察の捜査について詰問したボイスレコーダーの音声を初公開する。

 ◎上記事は[TBS 水トク]からの転載・引用です 
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