【関西事件史】勝田事件 模範消防士だったはずが… 産経新聞2011.10.9 11:00

2011-10-09 | 日録

【関西事件史】勝田事件 模範消防士だったはずが…
産経新聞2011.10.9 11:00
 イチョウ並木が美しい京都の晩秋、入社2年目の日曜の夜のことだ。一乗寺で友人と飲んでいると、ピーッ、ピーッ、ピーッ…と、けたたましくポケットベルが鳴った。当時は京都支局で事件を担当していた。
 「久しぶりの休みやのに。いやな音や」といいながら、京都府警の記者クラブに電話をかけると、「(京都市)山科区のスーパーで拳銃強盗や。すぐに現場に飛んでくれ」。怖い先輩の指示が出る。友人に「悪い!仕事やねん」とことわり、タクシーで現場に駆けつけた。他紙の記者に負けじと走ったのはいいが、スーパーの駐車場の鎖に引っ掛かって転び、ひじと足をひどく傷めたことを覚えている。
■無我夢中の2年目記者
 29年前の昭和57年11月28日に発生したスーパーの強盗事件。これが元消防士、勝田清孝(当時34歳)による警察庁指定113号事件との最初のかかわりとなった。朝刊用の取材のあと、そのまま朝まで先輩記者たちと山科警察署に詰め、情報収集である。
 犯人はフルフェイスのヘルメット姿で、お金の計算をしていた店長を拳銃で脅し、現金約150万円を強奪。事件直後から113号事件との関連が浮かんでおり、大勢の記者が詰め掛ける山科署は、ピリピリした雰囲気だった。
 犯行に使われた拳銃の特徴が、その約1カ月前、名古屋市で派出所の警察官から強奪され、その直後に岐阜県の名神高速養老サービスエリアで起きた強盗、殺人事件などで使用された拳銃と似ていたのである。警察庁はこれらの事件を113号事件に指定していた。
 あくる日からどこをどう取材したのか、よく覚えていない。ただ、聞き込みをする捜査員の後を付け、立ち去ってから「今の刑事さん、どんな質問をしていたのですか?」と聞きまわり、夜は所轄の刑事課の幹部の家を回る。府警の刑事部長の家だけは、交代で毎晩行った。ささいな情報をもとにその情報源の人の家まで訪ね、事件の手がかりになるネタを探して歩いた。それだけは確かだ。だが、全く容疑者につながる情報はない。無駄の積み重ねだった。
■殺人の合間にテレビ出演
 事件から2カ月。年が明けた昭和58年の1月31日、名古屋市内の銀行の駐車場で、男が拳銃を突きつけて現金を奪おうとして失敗、取り押さえられた。勝田の逮捕である。数日後、113号事件も山科区のスーパーの事件などもあっさりと自供。これで、すべて終わったかにみえた。
 ところが、である。
 勝田は113号事件の前、昭和47年から5年間に5人の女性を絞殺、その後、盗んだ猟銃で2人の男性を殺害したことを自供したのだ。取り調べにあたった捜査員も、「本当の話か?」と疑ったほどだったらしい。派手好きな性格でクラブで豪遊し、愛人もいた。車は電話付きや外車など、何台も買い替えていた。動機は遊ぶ金欲しさや借金返済。逮捕当時、山科区で一緒に暮らしていた料理屋のママには113号事件の後、50万円を渡したという。
 女性を殺害して手に入ったのは、1000円~40万円。もっと多くの金が欲しいので猟銃殺人に及び、113号事件に発展したというのが事件の見方だった。
 仰天したのは殺人の合間に、関西で人気だったテレビのクイズ番組に出演していたことだ。昭和52年6月中旬に予選通過。2週間後に名古屋市のマンションで女性店員(当時28歳)を絞殺。その後、本番の録画撮りをして6問中4問に正解し、賞金8万円を得ていた。そして8月中旬には、やはり名古屋で美容師(当時33歳)を絞殺し、現金とダイヤの指輪を奪っていた。しかも、そのダイヤは当時親しかった女性にプレゼントしている。
 クイズ番組はその4日後の8月20日に放送された。勝田は消防士として在職中、20回の表彰を受け、全国の競技大会で2年連続入賞を果たすなど、模範的な仕事ぶりだった。テレビでは真面目で明るい消防士を演じていた。
■鍵付きの部屋の中で
 捜査本部は愛知県警にあり、京都支局は京都府南部の木津町(現在の木津川市)にある農家の長男として生まれた、勝田の人となりや周辺の取材が主な仕事だった。
 実家周辺を訪ね、人物像を取材するよう指示が飛んだ。この地域は奈良県や大阪府と隣接し、里山が周辺に広がる農村である。遠いし、広い。マイカーで取材に回らないといけない。
 実家は敷地が広く、2階建ての大きな家だった。両親は仕事で忙しく、父親は教育やしつけに厳しい人だったらしい。だが本人を知る人からこんな話を聞いた。
 「彼は子供のときから、自分の勉強部屋に鍵がかかるようになっていたんですよ」
 鍵のかかる部屋は、友達への見栄だったのか。その部屋で何を考え、何をしていたんだろうか…。いろんなことを想像した。僕も農家の生まれで、鍵付きの部屋が欲しいと思ったものだが、かなうはずがなかった。
 勝田は113号事件の1年前、小料理屋のママと山科区のマンションで暮らし始めるとき、父親から借りた400万円を生活資金にあてていた。結局、両親に甘えっぱなしだったのだ。そんな姿が見えてくる。
*   *
 京都支局もいろんな事件を抱えていて忙しく、勝田事件のこともだんだん忘れていった。だが、時折思い出すたび、木津町の集落のモノトーンの風景が目に浮かんでくるのである。(敬称略) (大阪総合企画室企画委員 松原英夫)
*勝田事件(警察庁指定113号)
 昭和57年10月27日、名古屋市内で警察官が拳銃を奪われ重傷を負った。5日後の11月1日未明、名神高速養老サービスエリアのガソリンスタンドで店員がその拳銃で撃たれ重傷を追った。近くで別の男性が射殺され、放置されていたこともわかり、警察庁は広域重要113号事件に指定した。その後、京都市山科区のスーパーで店長が襲われ現金約150万円が奪われる事件が起きた。
 58年1月31日、名古屋市内で強盗に失敗した勝田清孝・元死刑囚が逮捕され、まもなく一連の113号事件を全面自供。その後、昭和47年から55年までに女性5人と男性2人を殺害したことなども自供した。最終的に113号事件の1件を含む8件の強盗殺人、さらに窃盗、強盗など多数の罪で起訴され、死刑が確定。逮捕から17年後の平成12年、刑が執行された。
*勝田事件一覧*
         場所      被害者       被害金品
昭和47年 京都市山科区  ホステス      現金1000円
  50年 大阪府吹田市  クラブの女性経営者 現金約10万円
  51年 名古屋市中区  ホステス      現金約12万円
  52年 名古屋市南区  パートの女性    現金約4万円
  52年 名古屋市昭和区 美容師       45万円相当のダイヤ
  52年 神戸市中央区  労金職員      現金約410万円
  55年 名古屋市名東区 スーパー店長    現金約570万円など
  57年 滋賀県草津市  会社員       現金約数万円
--------------------------------

【関西事件史】勝田事件 模範消防士だったはずが…


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。