獄中手記 寝屋川事件・山田浩二死刑囚「二度目の控訴取り下げ」の全経緯 2020/5/19

2020-05-20 | 死刑/重刑/生命犯

獄中手記!寝屋川事件・山田浩二死刑囚「二度目の控訴取り下げ」の全経緯
2020/5/19(火) 15:58配信 

[はじめに〕
 以下に掲載するのは3月24日に二度めの死刑判決控訴取り下げを行った寝屋川中学生殺害事件の山田浩二被告が取り下げ直後に書いた手記だ。その直後、新聞などが取り下げを報道した時期に公表を考えたが、一時保留した。なぜならば取り下げ手続きに対して当の山田被告は再び取り下げ無効の手続きをとり、裁判所も取り下げの受理を一時保留するという、微妙な局面になったからだ。2~3日中に何らかの判断が示されると思っていたのだが、ちょうどそのタイミングで新型コロナ感染拡大で司法現場が混乱に陥り、受理されるかどうかの結論が1カ月以上も出ていないという異例の事態が続いている。
 これ以上公表を控える意味もないし、恐らく近々何らかの判断が示されるはずなので、この機に手記全文を公表することにした。山田被告が、1回目の控訴取り下げをめぐる攻防戦の最中に、死刑台への道をなぜ自ら選択してしまったのか。その経緯が詳細につづられている。ややこしい経緯なのだが、裁判のあり方を考えるうえでは大事な問題をはらんでいるだけに、この手記公表と同時に、その経緯が意味するものについて「ヤフーニュース個人」に文章を書いた。あわせてお読みいただきたいと思う。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200519-00179275/ コロナ禍で異例事態!寝屋川事件・山田浩二被告「死刑判決二度目の控訴取り下げ」の真相
(『創』編集長・篠田博之)
 
  2020年4月4日は僕の50歳の誕生日。人生50年の節目、でも僕の法的身分は近々、再び「死刑確定者」になるかもしれない。
  3月24日の火曜日の午後、僕はまたやらかしてしまった…。気がついた時にはもう遅かった、というのは言い訳にすらならないし、言葉にもしたくない。この日の午後12時30分頃に僕は居室内のインターホンのスイッチを押した。そして控訴取り下げを申し出てしまった…。
  あ~もう一体何を考えているんだ…。何の為にここまで来たんだ! ここにたどり着くまでに弁護士の先生方にどれだけ動いてもらったんだ! 僕のことを応援、支援してくれている人がいるのを忘れたのか? 今の僕はもうひとりだけの命じゃないのに、何てことをしたんだ!  
 今はそのようなRegret wordしか頭に浮かばない。これから先の僕の命や人生のことよりも、ここまでたどり着くまでの僕自身の苦労、そして弁護士の先生方や応援、支援してくれた方に対する努力を無駄にしてしまったという後悔ばかりだ。もう今更どうあがいても仕方ないことかも知れないけれど。
  限界MAXを超えてしまって控訴取り下げ手続きをした後、弁護士面会があった。実は3月23日月曜日にも別の弁護士の先生の面会があったんだけど、精神的に辛過ぎて誰にも会いたくない気分なので拒否をしてしまった。今思えば、この時に面会をして少しでも心の中の悩みや相談をしていれば、少しは気分も楽になって取り返しのつかない精神状態まで行くこともなく、このような随筆も書いていなかったはず…。
  無駄に悩み事を自身の心に閉じ込める悪い癖だ。負犬やと思われたくないし、泣きごとも言いたくないところも僕の性格の中にあって、それがいっぱいいっぱいになると、駄目になる。たとえるなら風船の中の空気が爆発してしまう感じだ。そして、駄目になったら弱音を吐いて凹んでしまう。本当に駄目だと思う。情けない。こんな僕は大嫌いだ。今の僕は大嫌いな僕になっている。さすがに今回ばかりは…もう泣くに泣けない。
  控訴を取り下げたことを弁護士の先生に報告した時、当たり前だけど、めっちゃ怒られた。そこで面会は終了。「今すぐ居室に戻り、職員の人に取り消してもらえ」と言われたので、その指示通りにして居室に戻った後、インターホンを押して、居室フロアーの担当さんに「今日の昼に取り下げた控訴の申し立てを取り消して欲しい」と頼んだが、あまりいい顔じゃなく、消極的っぽい雰囲気だ。
  しかし今後の僕の人生や命がかかっている大切なことなので、僕も譲れなくしつこくお願いをした。そんなやり取りをしている時に、その担当さんの上司である矯正処遇官副看守長(大阪拘置所処遇部処遇部門第一区第三指導監督係)が、会話している横から呼んでもいないのに割って入ってきて、「無理、それは出来ない、無理だ、以上」だけを言って食器合(しょっきごう)を閉めて去って行った。居室フロアーの担当さんは上司には逆らえないから、そのまま上司と去って行き強制終了。
 「仮に」無理だとしても、一人の人間の命がかかっている一大事だから、せめて職員に出来る範囲の事はやるだけやってくれてもいいんじゃないか? 自分自身が蒔いた種を他人に責任転換するつもりは一切ないけれど、やるだけやった上で、それでも駄目だった…とか無理だった…と言ってくれるのが副看守長の仕事じゃないのか? いや副看守長というよりも人として…。そんな事も何もせず、一方的に「無理だ」と決めつけて何もしてくれない。
 これが僕の命に影響しないような話題ならば、明日以降にも持ち越せるけど、今回ばかりは「はい、そうですね、わかりました」で済むような話題ではない。僕の生活する居室フロアー大阪拘置所新棟B棟6階を担当し、受け持っている看守長の人間性、腹黒さ、性格の悪さ、嫌がらせ、イジメ…その総ての総決算を知っただけで、僕も引き下がるわけにもいかないし、諦める訳にも行かない。
 その後にまたインターホンを押し、担当に「弁護士に電報を打たせて欲しい」と申し出をした。そして夜間電報を認めてもらい、弁護士に電報を打った。
 しかし、弁護士に電報を打ったところで現況が変化する訳ではない。今更取り返しのつかないActionを起こしてしまったことで頭の中がいっぱいだ。とりあえず明日の朝イチ発信で高歳宛てに直接手紙を発信しよう。大拘の職員が何もしてくれないなら僕自身で動くしかない。 
 そもそも僕自身がやらかしたことだから僕に出来ること…もちろん限られたことしか出来ないけれど、やらずにこのまま後悔するよりも、やるだけやっての後悔の方が、多少は納得も出来る。直談判で僕から高裁の裁判長宛てに手紙を書くのはどうか?と悩んだが、やはりやらないよりかはましだ。下手したら逆効果になる可能性もあるけど、僕の今の気持ちを伝えることに意味があると思うし、本当に控訴取下通知書が高歳に送達されたら、マジでシャレにならない。
 本来なら電報を打つつもりだったけど、領置金の都合上、無理なので手紙にした。ただこの手紙がそれまでに間に合うかどうかだが、それで間に合わなければ仕方ない。
 ただ間に合って控訴取下げが不受理とされれば、やるだけの価値があるし、それが今の僕に出来ることなんだから、それに賭けるしかない。

316日異議申し立てを境に様子が変わった
 ところで何故、僕が3月24日に控訴を取り下げたのか…。実は最近個人的に色々あって、すごく辛い出来事が続いた。もちろん「異議申し立て」や「特別抗告」については最悪な決定ではなく、上訴権の回復、ましては控訴審の再開に向けて、前向きな方向に進んではいるものの、それ以外の面では辛い事も多くて、つい泣き事を言いたくなる時もあったけど、周りの人達には心配をかけたくなかったから誰にも相談出来ず、心の中で閉じ込めていた。
 本当に些細でしょ~もないことも、積もれば山になるもので、精神的に不安定な日が続き、「僕が死んだら本当に心から悲しんでくれる人なんていないんじゃないか?」みたいな馬鹿なことも考えたりで、すごく辛かった。
 その時はまた「異議申し立て」の結果も出ていなくて、それで控訴取下げ無効の決定が取り消されたら…とかの万が一の為に、一応身辺整理も済ませておいた方がいいかも…と都合良く考えたりもしていた。
 そんなモヤモヤした日々が続いていたが、3月16日月曜日に弁護士面会があり、本日異議申し立ての決定が午後2時に出る、ということを教えてもらった。ドキドキした。
 その決定の結果を知ったのは翌日17日火曜日の午後だったが、それまで一切情報が入って来なくて、それだけで精神的に疲れた。気を張り過ぎて、めっちゃ時間が長く感じ「万が一の最悪の想定」も視野に入れる時期が来たんだと思った。 
 結果は、法定身分が「未決拘束者」を維持するものだった。正直、高裁から届いた決定書の内容は、法律の話も多くて難しいけれど、法定身分の変わる決定ではないということが判っただけで充分だった。
 とりあえず良い方向に進んでいるんだろうと、気持ちは前向きだったが…実は3月16日頃から拘置所側の対応がおかしいぞ?という出来事がチラホラ…。
 3月16日に東京拘置所に収容されているKから信書が届いていたらしいが、3月18日水曜日にその信書が「刑事施設収容法第136条において準ずる第129条1項の3号において刑事施設の規律及び秩序を害する結果を生ずるおそれがあるので差止めとする。以上」という告知理由で差止めにされてしまった。
このKは、そのような訳の判らない法律に該当する人物でもないし、そういった交流もしていない。
 
3月18日に高圧的な口調で通告された
 その3月18日には午前受付発信で、大阪拘置所に収容されているF宛てに信書を発信したが、午前10時頃に僕が生活する居室フロアー(新棟6階)を担当している矯正処遇官副看守長(大阪拘置所処遇部処遇部門第一区第三指導監督係)と書信係(担当の矯正処遇官看守部長)の2人が、僕の居室までやって来た。 
 そして「今朝発信したF宛ての手紙内容について、名古屋拘置所にいるIに関する記載等があるが、これは刑事施設の規律及び秩序に反する恐れがあるから、今後記述があれば差止めまたは削除及び抹消の可能性があるが、それを踏まえた上でそれでもこの信書の発信申請を維持するか?」と、めっちゃ高圧的な口調で言われた。
 指摘を受けた箇所は僕がF宛てに、IのことやIが結成し代表をしているI’s Empire Groupについての紹介等の文面についてだが、それは今回初めてする記載内容ではなく、これまでにも同様の内容で多数発信をしていて、それに対して処遇部門や書信係からのクレーム等は一度もなかった。
 なのにこの日この時に初めて「発信申請の維持をするのか?」等と訊かれて、最初は意味が判らなかった。 
 別に刑事施設の規律及び秩序の維持に反するような内容等は記載していないし、そもそも何に対して反するのか説明もない。そんな刑事施設のど~たらこ~たらに反するような内容でもないし、差止め等に該当するようなヤバい事を書いている信書ではない。
 そこでそのまま維持させたところ、3月18日発信受付したのに「決裁に回すから本日中に発信は無理」と言われた。3月20日(金)~22日(日)の3連休前になる3月19日木曜日までに届けようと日程調整をしてこの日を選んだのに…。 
 結局、その日の翌日になる3月19日木曜日の夕食時間中、午後4時30分に居室フロアー担当の主任矯正処遇官処遇担当と書信係矯正処遇官看守部長が来て、「3月18日付で発信申請をしていたF宛て信書に対し刑事収容施設法第136条において準ずる第129条1項の3号に該当するので一部抹消する」との告知を受けた。
 2019年の今頃は第50条で外部交通の妨害を受けたけど、今年は第136条からの第129条1項の3号ですか。要するにこれ何が言いたいのかというと「発受によって刑事施設の規律及び秩序を害する結果を生じるおそれのあるとき(3号)」を盾にしたいってことだ。職員いわく「IはGroupの代表だろ、このGroupとの外部交通が刑事施設の規律及び秩序に害すると認定した」。これは大阪拘置所だけではなく日本全国の刑事施設でも認定されているとのこと。
 僕はこの耳でしっかり聞いたし、しつこい程聞き返した。決して話を盛っていない。「大阪拘置所だけでなく全国の刑事施設で認定した」って僕に言った。言い切った。
 確かにIはI’s Empire Groupの代表だが、このGroupは大阪拘置所…いや日本全国の刑事施設から規律及び秩序に害すると認定されるGroupや反社会集団でもなく、たとえば「社会で再会したら一緒に強盗や殺人をしようぜ!」という話題や「抗争相手の〇△組の事務所へトラックで突っ込もう」「全国の拘置所で暴動を起こそう」「集団練炭自殺をしよう」「出廷時に脱走の手助けをしてくれ!」みたいなヤバい団体のGroupではない。
 まして僕は現在死刑判決を宣告されている身であり、社会復帰の可能性もほとんど見えない、社会的マウンティングランキングでは超最下位の立場だ。Groupのコンセプトは「絶対に裏切りのない家族の様な絆に重きの共助集団」であり、塀の同志と交流し支え励まし助け合いを美徳とした、誰にも後ろ指をさされたり後ろ髪をひかれたりするようなGroupではありません。Groupを通して普通に仲間との絆を深め共助の輪を広げるのが目的、といった健全な間柄のGtoupなのに、訳の判らない因縁を付けられて法律にこじつけて刑事施設の規律や秩序を害するという勝手な解釈に認定されて仲間との交流のメビウスの輪や話題の記載を抹消されるのは納得がいかない。
 それならば法律的に指定されている暴力団関係者や半グレ集団関係者同志の外部交通は総てそれに該当するだろうから完全Outやん? ちがうか? と言い返した。奴らは当然返す言葉もなく「わしは知らん、上が決めたことや」だとか、話をそらす卑怯な奴ら。まさに渚の「…」だ。僕からGroup関係者や絆を誓った仲間たちとの外部交通を妨害するだけの嫌がらせとしか思えない。
 こういう所(特に単独室)でのささやかな楽しみは外部交通で、だいたい午後3時30分頃に受信書の交付があるけれど、いつもこの時間帯が近づくと楽しみでWAKUWAKUする。それも楽しみにしている仲間達が交流をするGroupだけなので、「日本全国の刑事施設から認定されている」なんて、ホント、よく言えたもんです、ハイ。僕の外部交通の心配より新型コロナウイルスの感染を心配しろよ、とマジで言ってやりたくなる。っていうか職員の頭の中はすでに感染しているんじゃないか?と思う出来事が最近続いている。
 
3月19日午前に事件が発生
 3月13日金曜日に名古屋拘置所に収容されているIからの封書が届いた。便箋7枚の手紙とネットコピー等が同封されて、手紙については即日交付されたが同封物については後日交付。この日は同封物の告知願箋というのがあって、その告知願箋に同封されていた差入れ物品等の内容が記載されており、それを居室に入れてもらって告知願箋に記載されている差入れ物品をノートに控えたら返却しなければならない。複写式になっているので職員が管理しているので、告知の願箋を出し忘れたり、隠匿したり取り込むのは不可能だ。この時も僕は、いつも通り告知願箋を受け取ってノートに記載されている物を写したらインターホンを押して職員に返却をしている。
 ちなみにこの日は九州在住のカトリックの神父さんからの本の差入れもあり、Iからの差入れ告知願箋3枚、神父さんからの差入れ告知願箋1枚の計4枚を受け取ってノートに写したあと間違いなく返却している。同封物は告知願箋が届いてから物品が手元に届くまで2日かかる。 
 この場合、金曜日に告知があった為、土日をはさみ3月17日火曜日には、僕の手元に届く予定だった。だった…というのはこの日僕の手元に届いたのは神父さんからの本だけで、何故かIからの差入物品は一切交付されなかった。
「おかしいな?」と思い、居室フロアーの正担当さんに調べてもらったら、何故か「検査で決裁に回されている」とのことだった。普通に決裁対象になる物品でもなく、そもそも僕からI宛てに送付したプリントコピーを返却されている物品もあるので、僕が送付した際は検査が通っているはずなのに何故返送時に検査決裁に回されるのか意味が判らない。
 ちなみに今これを書いている3月25日水曜日の時点でも、交付どころか検査決裁の結果すら教えてもらっていない。明らかに異常過ぎるくらいおかしい。3月13日金曜日にIから届いた手紙に対する返信の手紙を3月16日月曜日午前受付発信しているが、検査決裁やクレーム等なく普通に検査を通過し発信されている。   
なのにこの日は午後に受信した手紙の中でGroup関連が記載されている物はすべて検査決裁対象となった。この日の午前と午後の間に何が起きたんだろう?  
 そして3月19日の木曜日の午前11時40分頃…昼食配食前にある事件(?)が発生した。必殺、今や僕の天敵になった矯正処遇官副看守長(大阪拘置所処遇部処遇部門第一区第三指導監督係)を先頭に数名の能面ヅラした無表情の職員が僕の居室までやって来て「3月13日金曜日に差入れの告知を受けた時に告知願箋4枚を受け取ったまま返却してないやろ?居室内に残っていたら返却してくれ」といきなり因縁を付けてきた。
 3月13日?…いつの話だ? 約1週間前の金曜日に何かあったっけ? あ、そうだIと神父さんから届いた差入れ告知願箋のことを言っているのか? 願箋を返却しろと言う前に差入れ物品を早く交付しろ。そん時の告知願箋なんて当日中に返却しとるわ。
 しかし副看守長は勝ちほこった表情で「いや絶対に残っている、この居室内のどこかに必ずある」と自信満々でドヤ顔説明。マジキモい。その自信がどこから来るのか聞くと…。
 僕は逮捕されてから現在までずっと24時間監視カメラ付きの居室生活を余儀なくされている。大阪府警捜査一課でも精神鑑定の為、一時期移送されていた東京拘置所でもこの大阪拘置所でも、今だに続いているが、どうやら1週間程前の居室内での僕の行動をノーカットボカシなしで録画された怪しい映像が存在しているらしく、告知願箋を返却していないのが確認されているそうだ。
 
職員5~6名が居室に押し入って捜索
 普通に僕の一挙手一投足の行動を記録されている映像が今だに存在しているのは、身の危険を感じる以前に気持ち悪い。しかしそれならば逆にその映像を使って返却されずにこの居室内に残っているという告知願箋がどこにあるのか、調べれば判明するはずだ。そんな「動かぬ証拠」があるというのに、その証拠を有効に利用せずに嫌がらせと揚げ足取りの目的だけに使っているのが、こいつらがどれだけ馬鹿丸出しなのか笑けてしまう。
 録画されている映像には僕の全裸丸出しの姿が記録されているだろうから、今後着替えをする時は監視カメラのレンズの死角を見つけて行わなければいけない。とりあえず動かぬ証拠を指摘すると、うまく話題をそらしたり意味不明な言い訳をする。最終的にはブチ切れたのか、「この居室内のどこかに紛れ込んでいるので今から居室を調べる」と、その副看守長の一言で、警備隊を含めた金線クラス(※編集部注=金線クラスと読めるが不明)の職員5~6名、平均年齢おそらく50代前半のむさくるしいおっさん達が、待ってましたというかのように、僕の居室内に入って来た。そして片っ端から捜査を始めた。
 結局、時間にして午前11時45分~午後1時15分頃までの約1時間半だ。僕はその間、僕の居室前の「空室」となっている居室内で待機をさせられた。おかげで貴重な昼食前後の貴重な時間帯を、何もない空室の中で奪われてしまった。
 その空室で待機させられる前には調査まで連行させられて、処遇の主任矯正処遇官2名から、何故か衣類と身体の検査をさせられて、着ている服を脱がされ、ポケットの中から身体中の隅々まですべてを検査させられた。浩二丸出し状態の意味不明なボディチェックをしたところで、そんなところから告知願箋なんて出て来る訳ないやろ!(笑)
 完全に大阪拘置所のマニュアル通りの嫌がらせスイッチが入ったみたいだ。昼食も一切口に出来ない気分のまま空室内で約1時間半ず~っと待機。「俺、何か悪いことしたか?」と僕自身に問いかける。 
 ちなみにこの空室は監視カメラの設置のない居室だった。居室内にレンズがあるのとないのとでは、これだけ同じ作りの居室でも解放感があるなんて、無駄に感動してしまった。
 おそらく3月13日金曜日にIから届いた差入れ物品に対する告知願箋のことを言っているのだろう。願箋が見つからないから差入れ物品は告知出来ないという逃げ口上的なトラップを仕掛けているつもりだろうか? それしか考えられへん。 
 長く感じた居室捜査がやっと終了し、僕の居室に戻されたが、その居室の光景を見て正直言葉が出なかった。普段から人一倍整理整頓をしていたはずの居室内は、春一番さわやかな風どころか嵐が過ぎ去った様な感じになっていた。見事に副看守長達に嵐を起こされて、すべてを壊された気分だ。
 本棚に整理して保管していた本の直し方はバラバラ。表の表紙と裏の表紙がわざとしか思えないくらい逆に直されており、単行本に付いている帯は破られている、キャリーバッグに収納していた衣類については、きれいに畳んでいたのに、ぐちゃぐちゃのまま詰め込まめられているのでしわくちゃ状態。せめて元通りに畳んで収納して欲しかった。
 こいつらは服の畳み方も知らないのだろうか? 嫌がらせ以外ならこれは何だ? 膨大な数の裁判訴訟関連書類の扱い方もヒドい。号証別に順番に整理をしていたのに、バラバラの放置状態。訴訟書類を何だと思っているんだろう。ファイルは破られ、書類を入れていた封筒も口の部分が破られたまま、入れていた書類も出しっぱなしで順番ぐちゃぐちゃ。ひもで閉じていた書類も、ひも通しの穴は破られて、ひもはほどけたまま放ったらかし。ほどけなかったひもは引きちぎられて無残な状態だ。
 
何かの見せしめのようにめちゃくちゃにされた
 ガチで泣きたくなった。まるで空き巣に入られて荒らされた痕跡のレベルだ。特に裁判訴訟関連書類に対する仕打ち、乱雑に扱われて破られたまま修整もされずに放置されているってことは、控訴審の再開に対する異議申し立てが認められなかったことに対する検察側の圧力や意趣返しみたいなのがあるのでは? と勘ぐってしまう。
 もう一度控訴を取り下げて終結させろ!という検察側のメッセージとも受け取れる。検察側が拘置所側に何らかの形で圧力をかけるという話を聞いたことがある。おかげでこの日の午後はずっと居室内の大掃除や整理等をして時間を使ってしまい、この日の午後からやろうと計画を立てていたことが何も出来なかった。 
 裁判書類もボロボロにやられるのは検察側の圧力や拘置所側の嫌がらせと考えてまず間違いないし、外部交通の突然の制限についても、よくよく考えると異議申し立ての決定直後からいきなり過剰に厳しく制限をかけてきたのも、僕に精神的ダメージを与える為だ。僕が今、一番嫌がることは何なのか?を把握した上で仕掛けてきたイジメや嫌がらせとしか思えない。
 先程も書いたが、3月16日の月曜日は午前の発信受付でI宛てに手紙を発信しているが、その手紙が拘置所側が一番嫌がり警戒しているI’s Empire Groupに関する内容記載多数なのに一切、刑事施設の規律及び秩序の維持がど~たらこ~たらというクレームは全くなく普通に発信を認められ、無事関ヶ原を越えているのと、その日の午後の受信分からは何の前ぶれもなくいきなり差止めという厳しい処置が取られているのは、どう考えたっておかしい。
 そもそも3月13日金曜日にGroupの代表であるIから届いた手紙は、普通に即日交付され、同封物品の告知願箋にも指印を押しているのに、1週間…いや10日以上経った今も交付されていない。検査の可・否すら告知しない。これを検察側が行った異議申し立てに対する裁判所の決定が発表された日時が3月16日月曜日の午後2時…と重なっているって、偶然にしては出来すぎではないだろうか?
 それまでIやGroup関連の外部交通については何一つ問題や障害がなかったのに、3月16日の午後を界に手紙の発受についていきなり差止めだの抹消だの差入物品を交付しないだの、挙げ句の果てには差入れがなかったことにしたいのか、その差入物品が記載された告知願箋を僕が隠し持っているなど、あらぬ疑いをかけられて居室内を1時間半もかけて5~6人の職員に何かの見せしめのようにめちゃくちゃにされた。
 
精神的なものがプツンと割れた
「国家権力なめるな!」というメッセージだと僕は受け取っている。当然ながら結局告知願箋なんて居室内の検査の結果、見つからなかったし、差入れ自体をなかったことにして交付させないという魂胆なのは見え見えだ。所詮、拘置所職員の使える国家権力の嫌がらせというのは小学生のイジメ以下なんだな…と思った。 
 そんな弱者イジメ大好き職員に、今も24時間監視カメラでロックオンされていると思うと、すごくキモいしみじめだ。新谷や西内といった、徳島の悪職員2トップよりひどい大拘職員からの徹底的な嫌がらせやイジメを受けるのはもう耐えられない。
 それに、この先もそれに耐えなければいけない意味も判らない。そこまで僕の存在がウザいのなら僕はいっそのこと控訴を取り下げて大阪拘置所の職員に殺される道を選ぼうか?と考えるようにもなっていた。
 3月23日月曜日には、名古屋拘置所に収容されているM宛てに信書受付をした。文面も普通の内容だ。どうしてもMにはこの日に発信しなければいけない手紙だ。しかし、それにもいつもの副看守長が来て「この住所とこの人宛てに信書を発信申請するのなら刑事施設の~(略)」と言われる発信妨害。信書内容以前に名古屋拘置所宛てに出す時点で決裁対象にされてしまっている。どうしても3月23日月曜日に発信しなアカン手紙やったのに案の上OUTだ。
 そして3月24日火曜日の午前11時45分頃…。昼食配食され食事の最中に…いきなり居室フロアー担当の統括矯正処遇官と副看守長が居室までやって来て、こんなことを一方的に言ってきた。「3月13日の金曜日に告知願箋4枚を隠匿した疑いで調査にする。言いたいことは調査する職員に言いなさい。以上」…僕は意味が判らない。
 この告知をする時の統括の嬉しそうな顔と告知内容のギャップが激し過ぎて、言葉を返す前にすでに姿もなく「調査?」「隠匿の疑い?」…何故そこまで拘置所側が3月13日の告知願箋についてこだわるのか判らないが、ただ単に嫌ガラセのネタにしているのか、それとも職員が紛失してしまって本当に無いのか。確認は出来ないけど、最終的には話の落とし所として僕の所にやって来た。
 あらぬ疑いをかけられるのだけでも気分が悪いのに、その願箋を交付された約1週間の19日に約1時間半かけての大捜検、それで実際、目的の願箋は見つからなかったから、この件はそれで終了したと思ってた。そしてその12日後になる24日には、隠匿の疑いで調査ですか? 13日の時点で告知願箋が見つかってなく居室内の監視カメラの映像でもそれが確認されているのなら、その日のうちに調査にすればいい。その日なら「隠匿の疑い」ではなく「隠匿」で持って行けるやん。
 なのに今更調査っすか?じゃああの19日の部屋の検査はなんやったんや?という話になる。「居室内を全部調べたが見つからなかった。しかし隠匿しているのは明らかだから、その件で調査する」と言うのならば、まぁギリ拘置所側の言い分も理解が出来る。けど何故24日になって調査なんだ?
 この日弁護士面会があって、前日23日弁護側が最高裁宛てに特別抗告を申し立てたと言ってたけど、その翌日、3月24日に調査になった。それも監視カメラ付き居室内においての出来事なのに、何故今更「隠匿の疑い」なん? その告知願箋って国家的に重要な機密文書? 監視カメラ映像ですでにAnswerは判っているはずなのに、ここまでこのネタを引っ張る意味が判らない。副看守長の意地なのか? けどあらぬ疑いをかけられて調査(しつこく書くけど12日前の出来事の件)にさせられ、これまで心に閉じ込めていた精神的な物がプツンと音をたてて割れたような感じがした。
 
奇しくも2020東京五輪が延期になった日に
 気がつけば控訴を取り下げてしまっていた…というのが、この日再び控訴を取り下げるに至った一連の流れだ。一部時系列ではない記載方法になっており、内容が重複している所もあるかも知れないけど、ありのままのことを記載したのでその点はご了承頂きたい。
 ちなみに3月25日にこれまで見たことのない主任矯正処遇官から今回の調査になった件で話を聞かれたけど、やはり肝心の「何故今更になって調査にされたのか」「19日の部屋の検査には何の意味があったのか」「監視カメラの映像で僕が隠匿したことになっている告知願箋の行方はどうなっているのか?」等の質問には見事にスルーされた。
 あと同じく3月25日に居室フロア担当のいつもの主任矯正処遇官が書信係の職員を引き連れて僕の居室前に来て「3月23日月曜日付であんたに名古屋拘置所のIさんから信書が届いているが、刑事施設収容法第136条~(略)において差止め。同じく名古屋拘置所のKさんからも信書が届いているが、刑事施設収容法第136条~(略)において、こちらは一部抹消して夕方に交付する」との告知を受けた。
 東拘のKは差止めだったが名拘のKについては一部抹消。Iについては即答で差止め。名拘のKももちろんGroupの大切な仲間だ。夕方、名拘のKからの信書を受け取ったが3カ所が抹消されていた。その他の文面は普通の内容だけど、いわゆる「NG word」はいくつか散見されている。
 結果、差止めと一部抹消の境界線がかなりあいまいだということ。しばらくは信書発受の検査での嫌がらせも続くだろうし、また何かで揚げ足を取られ、あらぬ疑いで調査にされてしまう屈辱の日々は続くだろう。
 再び死刑確定者に戻り、このまま大阪拘置所に嫌がらせをされ、イジメを受けながら執行されるのを待つだけの命になる。死刑廃止2020を目指していたけど、奇しくも2020東京五輪が延期になった日に控訴を取り下げていたのも、何かの因縁を感じる。
 僕の死刑執行が日本で行われる最後の執行、僕の命を引き換えに現役死刑確定者の命を救えるのなら…。それが遺言になるのなら50年間の人生は決して無駄にはなら020ないだろう。「絆」と「心」は永遠に…。本当にごめんなさい。そしてありがとう。
  2020年3月25日水曜日 筆   絆 山田浩二
 最終更新:5/20(水) 12:31 
 
 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2020.5.20 Wed〉
 誤字も混ざり、客観性を欠き、独善に過ぎる内容だけれど、掲載した。
 ご自分の命しか、念頭にない。裁判とは、先ず事実を解明するためにある。社会にとって、事件の再発を防ぐために、あるだろう。また、有罪なら、被告人を人間に立ち返らせるためにあるではないのか。上記事には、山田氏自身の助かりたいという強烈な気持ちしか述べられていない。まだ幼かった二人の命や悲しみについて、一顧だにしていない。

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