「麻原彰晃 ただの人間だ 最終解脱などありえない だからこそ無残に精神が崩壊した」森達也

2012-02-23 | オウム真理教事件

間違えると電気ショック 社会学的なドッキリ実験でわかること
森達也 リアル共同幻想論
Diamond online 2012年2月23日 森達也[テレビディレクター、映画監督、作家]
■普通に考えれば、その憶測は理屈に合わない
 特別手配中だった平田信容疑者が出頭した理由について多くの識者やメディアは、麻原の死刑執行を引き延ばすための出頭ではないかとの憶測を口にした。でも麻原死刑執行の可能性が最も高かった時期は、12月初旬から中旬だ。もしも執行引き延ばしを目的にするならば、オウム裁判がすべて終結したとされた11月下旬には出頭していないと理屈に合わない。難しい話ではない。普通に考えればわかること。ところが普通に考える人がとても少ない。
 平田が身ぎれいな格好で現金を持っていたことなどを理由に、逃亡を支援していた組織が背後にあるはずだなどの論調も多かった。危機管理評論家の肩書を持つ佐々淳行は、ネットメディアで以下のように主張する。
 「警視庁と警察庁の警備課長を務め、他国の諜報機関や国際テロ組織、極左団体、カルト集団などを監視・分析してきた私の経験から言う。金総書記の死去が昨年12月17日で、平田容疑者の出頭が同31日。この二つがつながっている可能性は十分にあり得る。(中略)16年10カ月におよんだ平田容疑者の逃亡生活を支援するには、特異なイデオロギー、もしくは宗教を背景にした組織でなければ無理だろう。現在、警察が徹底的に捜査しているはずだが、私は日本国内にこうした組織は、オウムの残存組織か、北朝鮮系テロ支援組織しかないと思う。」(ZAKZAK)
 中略した個所には、金正日死去と平田出頭が繋がっている可能性があると断ずる根拠らしき要素が書かれているのだけど、率直に書けば、どうもよくわからない。根拠にするにはあまりに薄弱だ。興味がある人はネットで検索して読んでほしい。
■あらゆる可能性を検討することは大切だが……
 もちろん、あらゆる可能性を検証することは大切だ。それは否定しない。でもその可能性の間口が、あまりに広がりすぎている。いくらなんでもそれはありえないとの理性が、(オウムを方程式に代入した瞬間に)なぜか機能しづらくなっている。「~に違いない」とか「~のはずだ」とか「~の可能性がある」などの述語が、あまりにも蔓延しすぎている。
 つまり謀略史観だ。
 たまたま目についたので例に挙げたけれど、これは佐々だけではない。オウムの周辺には(事件当時も今も)この謀略史観的な見方がとても多い。理由の一つは、事件が起きた背景や構造を、この社会がきちんと納得できていないからだ。大量殺戮を命じたとされる麻原の目的や理由が明らかにならないままに司法がいきなり幕を閉じ(一審だけで法廷を打ち切り)、社会とメディアはこれを歓迎したからだ。その副作用は、社会のセキュリティ化や集団化を招いただけではない。他にもたくさんある。
 以前にもこの連載で書いたことだけど、オウム報道がピークだった時代、メディアがオウムを描写するときのレトリックは、
1、狂暴凶悪で危険な殺人集団
2、麻原に洗脳されて正常な感情や判断力を失ったロボットのような不気味な集団
の二つに、ほぼ限定されていた。
 この二つのレトリックに共通することは、オウム信者が普通ではない(自分たちとは違う存在である)ことを、視聴者や読者に対して、強く担保してくれるということだ。
 それはこの社会の願望だ。もしも彼らが普通であることを認めるならば、あれほどに凶悪な事件を起こした彼ら(加害側)と自分たち(被害側)との境界線が不明瞭になる。それは困る。あれほどに凶悪な事件を起こした彼らは、邪悪で凶暴な存在であるはずだ。洗脳された異質な存在であるはずだ。
 メディアは社会のこの願望に抗わない。むしろ煽る。こうして地下鉄サリン事件以降、善悪二元化が急激に促進された。
■だからこそ、社会はもうひとつの仮説にすがる
 それから16年が過ぎた。この間に法廷における信者たちの様子なども数多く報道され、今回の平田と女性の様子も含めて、狂暴で凶悪な男や女の集まりだったとの報道やイメージは、さすがにかなり後退した。どうやら普通以上に善良で純粋で優しい人たちらしいとの認識も、一時に比べれば広がった。
 でもならば、そんな人たちがなぜ、麻原から指示されたとはいえ不特定多数の人たちを殺傷しようとしたのか、その理由がわからなくなる。
 だからこそこの社会は、残されたもうひとつの仮説にすがる。つまり洗脳やマインドコントロールだ。
 1963年、アメリカのイェール大学で行われたミルグラム実験は、一般市民から参加者を選ぶことから始まった。記憶と学習に関する実験だと最初に説明された参加者たちは、別室に拘束されて電極を取り付けられたイェール大学の学生に設問を与え、間違った回答の場合にはその都度、学生に電気ショックを与えることを命じられた。電極に繋がるレバーを押す参加者の部屋にはスピーカーが設置されていて、学生の苦痛を訴える声が聞こえるようになっていた。
 ただし実際に電気は流れていない。学生の苦痛は演技なのだ。つまり(言ってみれば)、社会学的なドッキリ実験だ。
 実験前の研究者たちは、大半の参加者は途中で実験を放棄するだろうと予想していた。ところが結果は、誰も予想しないものとなった。学生の「死んでしまう」とか「やめてください」などの悲鳴や絶叫を聞きながら、横に座る教授という「権威」に促されるままに、参加者40人中25人(61.5%)が、最大の電圧である450ボルト(心臓が停止する可能性がある数値で、そのことは事前に説明されていた)まで、電圧を上げ続けたのだ。
 ミルグラム実験は、ナチスによるホロコーストのメカニズムを検証する実験でもあった。だからナチス高官でホロコーストの責任者の一人でもあるアドルフ・アイヒマンの名を取って、『アイヒマン・テスト』と呼ばれることもある。
 そして1971年、アメリカのスタンフォード大学心理学部の地下実験室を改造した模擬刑務所で、看守役と受刑者役に分けられた10人ずつの大学生が、どのようにその役割を演じるかの実験が行われた。ドッキリ的な要素はない。大学生たちは皆、ロールプレイングだということは知っている。実験の期間は2週間と設定されていた。
 でも結果として、実験は6日で中止された。看守役の大学生による受刑者役の大学生への暴行が激しくなり、相当に危険な状態になったからだ。中止後に受刑者役の大学生の何人かは、本気で命の危険があったと証言した。この実験は2002年に『es』のタイトルで映画化された。かなり評判になったから、観た人は少なくないと思う。
 さらに2010年、フランスの公共放送局が、対戦相手が質問に答えられなかったら身体に電流を流すという新しいクイズ番組のテスト収録を実施した。参加者は公募で集めた80人の市民たちだ。ただしこれも実験だった。市民たちの対戦相手に選ばれた男は、テレビ局が用意した俳優で、苦しむ演技をすることになっていた。つまりミルグラム実験のテレビ版だ。
 このときも市民の多くは司会者という権威に従属し、観客という場の圧力に押され、結果としてはミルグラム実験を上回る81%の人たちが、最高値の450ボルトまでレバーを押し続けた。この顛末はドキュメンタリーとしてフランスの公共放送局で放送され、大きな社会問題になった。
■誰もがナチス兵士や親衛隊員になりうる
 『A3』にも書いたことだけど、マクドナルド店舗における椅子は座り心地が悪い。だから誰も長居はしない。でも席を立つほとんどの人は、自分の自由意志で店を出たと思い込んでいる。長居をしたいという自分の自由意志が店によって侵害されたと思う人はいない。
 人の自由意思とは、これほどに危うい存在だ。
 これらの心理実験は、ごく普通の人が閉鎖された特殊な環境に置かれたとき、明らかに人を殺める可能性があると推定される指示にさえ、簡単に従ってしまう傾向があることを示している。その際のキーワードは、決して洗脳やマインドコントロールなど仰々しい語彙ではなく、権威からの指示と、集団における同調圧力だ。
 これらの心理テストが行われた背景には、ナチスドイツがなぜあれほどに残虐なホロコーストを実践できたかを探るとの思惑があった。そして結果としては、当時のドイツ人だけが特別ではないということが実証された。環境や因子さえ整うならば、誰もがナチス兵士や親衛隊員になりうるのだ。ナチス最後の戦犯と呼ばれたアイヒマンの裁判を傍聴したハンナ・アーレントは、アイヒマンを「凡庸な悪」と呼びながら、『ナチは私たち自身のように人間である』と結論づけた。歴史家で政治学者でもあるラウル・ヒルバーグは、そもそも完成されたユダヤ人絶滅計画など存在せず、特定の機関や特定の予算などがないままに軍や官僚などの権力機構が相互に作用し続けた帰結として、ホロコーストは始まったと主張する。
 ナチスによるホロコーストだけではない。一説には150万人以上が殺されたとするポルポト派の大量虐殺。死者数500万人以上と言われる旧ソ連の大粛清。1000万人が犠牲になった可能性がある中国の文革。挙げればいくらでも例はある。
 もちろん、物理的な暴力や薬物利用などの外圧を駆使しながら、思想や信条を強制的に変えさせる洗脳という手法は、確かにある。実際にオウムもそれらしきことをやっていたようだ。ただし気になるのは、特にオウム以降、洗脳やマインドコントロールの定義の間口があまりに広がりすぎたまま、メディアなどで無自覚に消費されているということだ。平田が出頭したときにテレビのコメンテーターの多くは、「……で、洗脳は解けたのでしょうか?」的な発言を盛んにしていた。これはあまりに乱暴すぎる。まるで装身具だ。この論理を拡大すれば、信仰や違う文化はすべて洗脳になる。恋愛や教育はマインドコントロールだ。
 つまり謀略史観的な見方の土壌になる。
 洗脳やマインドコントロールは、確かに人の意識を支配する場合がある。でもそこまでしなくとも、環境や因子さえ整えば、人は人をあっさりと殺すことができる。普段着でビデオ屋に行ったその足で、帰り道に誰かを殺す場合があるのだ。ところが多くの人はそれを認めたくない。人を殺すような人は特別な存在だと思いたい。自分たちとは違う人だと思いたい。異質な存在だと思いたい。脳に何らかのバイアスを受けた人たちだと思いたい。
■だから彼らもすがる。これらの語彙に
 実のところこの願望は、罪を犯した元オウム信者の側にも、同量にある。自分は洗脳されていたのだと思いたい。本来の自分ではなかったと思いたい。だからこそあんな残虐なことができたのだ。自分の行為と今の心理のアンビバレンツをそのように考えれば、相当に楽になる。とりあえずは納得できる。
 だから彼らもすがる。これらの語彙に。
 死刑判決が確定したオウム幹部のうち、僕は6人に会っている。 麻原は精神障害を起こしているのではないかとの僕の見立てについて、彼らの多くは面会時に、決して積極的に同意はしなかった。「詐病ではないか」と言われたこともある。「なぜそう思うのか」と訊けば、「その程度はやる人だから」とのニュアンスで答えられたことを覚えている。
 出頭した平田は麻原の今の状態について、「詐病だと思う。そういうことをする人間だ」と接見した弁護士に話したという。初公判で「尊師の直弟子」と自称して強い帰依心を示し、新実智光と並んで最もマインドコントロールの影響が強いと言われた土谷正美は、昨年2月の死刑確定直前に、「詐病やめよ」とメディアを通して麻原に訴えた。
 被告席で大小便を洩らす。あるいは実の娘の眼の前で自慰行為に耽る。普通の精神状態ならありえないと見なすべきこれらの行為も、彼らにすれば「尊師ならその程度は(簡単に)やる」との文脈で整合する。だから詐病なのだ。
 2005年に麻原に面会した中島節夫精神科医が、顔や両瞼がピクピクと痙攣し続ける線維束性攣縮は意識的には困難な動作であるとしたうえで、「脳の前頭葉から側頭葉にかけての領域が委縮しており、アルツハイマーの末期と同様の症状に陥るピック病も含めて、器質性脳疾患の疑いが強い」と所見を表明したときも、「普通の人は無理だとしても、尊師なら線維束性攣縮くらいは簡単にやるだろう」と彼らは考えたはずだ。
 もちろん「その程度はやる」の意味は、「そういう悪辣なことをやる」と「そういう常人には不可能なことをやる」の二つの意味がある。そしてこの二つは、「自分たちが身も心もささげた教祖が普通人と同じ規格のはずがない」との願望が根底に駆動しているという意味では共通している。
 言い換えれば「尊師ならやりかねない」は、「麻原が最終解脱者であることを信じる」ことと、あるいは『A3』のエピローグで中川智正が言った「……化けものです」と、位相はきわめて近い。ある意味での謀略史観なのだ。
 ならば否定せねば。ただの人間だ。最終解脱などありえない。だからこそ無残に精神が崩壊した。その現実を見据えなさいと伝えたい。
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加賀乙彦著『悪魔のささやき』集英社新書 2006年8月17日第1刷発行 

  
            

 加賀乙彦著『悪魔のささやき』集英社新書 2006年8月17日第1刷発行 より抜粋
 オウム真理教事件が私たちに問いかけるもの
 
薬物で補強されたマインド・コントロール
P133~
 オウム真理教という名前が広く世間一般に知られるようになったのは、宗教法人としての認可がおりて急速に信者数を増やし、マスコミも盛んに取り上げはじめた1989年ぐらいからでしょうか。その年の11月、出家信者の親たちの依頼で被害者の会を結成し民事訴訟の準備をしていた坂本弁護士が、妻子ともども行方不明となります。オウムの関与が取りざたされたものの捜査の手はおよばず、翌年2月の衆議院総選挙には教祖の麻原彰晃以下25人が出馬。白いユニフォームに身を包み、麻原の面をかぶって「ショーコーショーコー」という「尊師マーチ」を歌う奇妙な集団に多くの人が抱いたのは、まだ恐れではなく、嘲弄混じりの驚きだったような気がします。
 しかし裁判での検察側主張によれば、(続き  )
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獄中の麻原彰晃に接見して/会ってすぐ詐病ではないと判りました/拘禁反応によって昏迷状態に陥っている
地下鉄サリン事件から16年/「麻原は詐病やめよ」土谷正実被告死刑確定


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