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東條英機 処刑の日―アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」猪瀬直樹 著 (文春文庫) – 2011/12/6
単行本『ジミーの誕生日』2009年11月 文藝春秋刊(文庫化にあたり、改題)
p191~
この日、モスクワでソビエト・ロシアの提起でアメリカ、イギリス、ソビエト・ロシア三ヵ国の外相会議が始まった。会議は年末までつづいた。日本の占領政策について、アメリカの独占体制に不満が集中していた。
話し合いの結果、ワシントンに11ヵ国からなる極東委員会を設置することになった。上記の3ヵ国にオーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、カナダ、オランダ、フランス、インド、中華民国を加えて11ヵ国である。これらの11ヵ国から1人ずつ、極東国際軍事裁判の判事が派遣されることになる。絞首刑の判決は、11人による多数決投票によって決定されされるのだ。
p192~
極東委員会の出先機関として東京に置かれたのが対日理事会である。アメリカ、イギリス連邦、ソビエト・ロシア、中華民国の4ヵ国で構成された。マッカーサーが警戒していた「適切な機関」がとうとうつくられたのである。だがまだ入れ物ができただけで、なにをどうするか、具体的な活動は春先ぐらいからと見られていた。
マッカーサーは連合国軍最高司令官の権限で東條を逮捕し、独自に裁判を実施するつもりでいたが、いまや「適切な機関」を無視することはできない。
ならばその前に日本という軍事大国に対して武装解除を徹底させることでその脅威を取り除き、同時に、天皇家の世襲を否定せず権力を奪う。皇室を狂信的な崇拝者から隔離する作業を急ぐことだ。新しい憲法をつくってしまえばよい、とマッカーサーは考えた。
年が明けた。昭和22年である。
幣原首相は1月24日、マッカーサーを訪ねてきた。幣原が語った言葉が『マッカーサー回想記』に記されている。
「首相はそこで、新憲法を書き上げる際にいわゆる『戦争放棄』条項を含め、その条項では同時に日本は軍事機構は一切もたないことをきめた、と提案した。そうすれば
(p193~)
旧軍部がいつの日かふたたび権力をにぎるような手段を未然に打ち消すことになり、また日本にはふたたび戦争を起す意思は絶対にないことを世界に納得させるという、二重の目的が達せられる、というのが幣原氏の説明だった」
ところが肝心の憲法改正の骨子は明治憲法とさして代わり映えしないものだった。憲法問題調査委員会の松本烝治博士がつくった松本私案である。
幣原首相は日本軍の武装解除を徹底させることで天皇起訴のリスクを回避できる、あるいは天皇に権力を持たせないことで武装解除ができると考えていた。しかし憲法問題調査委員会の松本博士は「国体護持(天皇大権)」は譲れないと思っている。
しびれを切らしたマッカーサーは2月3日、総司令部民政局長のホイットニーに憲法草案づくりを指示した。2月3日は日曜日である。マッカーサーは休日をとらない習慣だった。当然だ。日曜日だから戦争を休みます、というわけにはいかない。
「ポイントは3つだけだ」
マッカーサーの執務室でいつものようにホイットニーは、黄色いリポート用紙に素早くペンを動かしメモしはじめた。
「ひとつ。天皇制は世襲でよい。ただし、法律で役割を限定する」
主権が国民にあると明記すればよい。
p194~
「ひとつ。戦争と戦争権を放棄する。これはわたしのアイデアではない。首相のシデハラが言い出したのだ」
ホイットニーは考えた。交戦権を放棄するというのは日本側の提案であり、他の連合国は、それなら天皇の存在を容認するかもしれない。幣原は、旧軍の復活を恐れていた。2・26事件では殺されると思い、雪のなか、鎌倉まで逃げた。旧軍を幣原以上に恐れていたのは、昭和天皇だった。2・26事件だけでなく、ついこの間の8月15日未明も危ない思いをした。ホイットニーは、マッカーサーの意図をそう読み取った。
「ひとつ。あらゆる形の封建主義は廃棄されること。・・・以上だ」
ホイットニーは、マッカーサーの執務室の壁に掲げられたワシントンとリンカーンの肖像画を見やった。マッカーサーはこの肖像画を、オーストラリアのブリスベーンから東京へと島伝いに司令部が移動するたびに、いっしょに持ち運ばせたのだった。
リンカーンの誕生日は2月12日である。そうだ。ちょうどよい。2月13日までに修正した憲法の骨子案を提出せよと日本側に言ってあった。その前日までにつくるのだ。
ホイットニーは、民政局次長のケーディス大佐に、マッカーサーから言われた3つの要点をすぐに文章にするよう指示した。
やり手弁護士のケーディス大佐は、この程度のものならお手のもので、さらさらっと1枚のタイプに打ちまとめた。
p195~
「天皇は国の元首の地位にある。
皇位は世襲される。
天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に示された国民の基本的意思に応えるものとする」
「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない」
「日本の封建制度は廃止される。
貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。
華族の地位は、今後はどのような国民的または市民的な政治権力も伴うものではない」
憲法草案の作成のしめきりまで、1週間しかない。だがケーディス大佐のまとめたペーパーで、コンセプトと方向性はほぼできている。
p252~
憲法施行を昭和22年5月3日にしたのは、東京裁判の開廷が昭和21年5月3日だったからだ。28人を起訴したのは4月29日の昭和天皇誕生日。憲法草案を急いでつくれ、締切は2月12日のリンカーン誕生日だ、と部下たちに命じた。マッカーサーの分身のホイットニー民政局長、現場を切り盛りしたケーディスは目標と日時を明確に定めながら仕事をしてきた。
p253~
「なぜ、ケーディスは祖母に12月23日にA級戦犯が処刑されることを伝えようとしたのですか」
「新憲法はマッカーサーの作品です。その作品作りの中心になったのは、マッカーサーの分身で上司のホイットニー、つくったのはケーディスです。ケーディスはその作品を最終的に完成させるための仕掛けを、置いていきたかった」
「仕掛け、ですか」
「昭和天皇には戦争責任があると思われたけれど、退位させると東京裁判で起訴されるかもしれなかったし、証人として出廷させられる可能性があった。なにしろヒトラーとヒロヒトの区別がつかない戦勝国の世論もあったぐらいですからね。マッカーサーの使命は、占領期の日本軍の武装解除でした」
「武装解除のために新憲法に戦争放棄の条項を入れたということ?」
「とにかく日本軍の解体は至上命題でした。これまでにしばしば登場した有末中将ですが、総司令部参謀二部のチャールズ・ウィロビー少将と親しくなったので、天皇を護る近衛師団ぐらいは残してください、と冗談半分に言ったら、とたんに険しい顔をして絶対にダメだ、占領政策の基本に反するとニベもなかった。ウィロビー少将が右派で民生局のケーディス大佐が左派で対立していたというのは日本人の陥りやすい思考で、それ(p254~)ほど差があったわけではありません。敵国の占領は、たとえ降伏していようと一部に武装して抵抗する勢力が存在してはなりません。戦争状態が完全に終了するまで占領はつづきます。マッカーサーにとっては、昭和天皇を権力をもたない象徴として温存しておくことで日本軍による武装蜂起の根を絶やすことができただけでなく、秩序を維持しやすいので占領コストを大幅に下げることができた」
「象徴天皇にすることによって、昭和天皇には何かメリットがあったのかしら」
「それ、急所をついたすごく賢い質問だよ。象徴天皇で軍隊を持たないということ。昭和天皇は日本軍に自分を護ってほしくない。2・26事件や8月15日未明のクーデター、皇太子拉致未遂など、幾度も日本軍によって危険にさらされてきた。だから、アメリカ軍に護ってもらうことで万世一系を保持できると期待したのではないかと思います。アメリカ軍が天皇を護る、というのはまことに皮肉なことです」
「ローマが滅びたのは、ローマの護りを傭兵まかせにしたからだって、世界史で習いましたけど」
「いずれにしろマッカーサーは天皇を象徴にし、日本の非軍事化に成功した。皇室典範に退位の規定を書き込まなければ、天皇は一度即位したら死ぬまでやるしかない」
「定年がないって、たいへんじゃない。世襲ですものね」
p256~
「クラウディ・ベイ(曇天の港)というワイナリーでつくられたニュージーランドのワインです。ようやく長い航海から霧深いなかを港に辿り着いたような気がします。なぜ12月23日の皇太子誕生日がケーディスの作品の完成なのか、というご質問にいまは答えられます。いずれ昭和天皇は亡くなれば皇太子明仁が天皇として即位する。12月23日は祝日になる。その日に東條が絞首刑になった日だということを日本人が憶い出すはずだった。新しい天皇にも戦争責任が刻印され、引き継がれる。お祖母さまが心配していたのは息子と同い歳の少年には重すぎる負担ではないか、ということでしょう」
「でも東條が処刑された日など、いま誰も知りませんよね」
「ただひとりを除いてね」
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◇ 昭和23年12月23日零時1分30秒、死刑執行開始 皇太子明仁の誕生日になぜA級戦犯が処刑されたのか?
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◇ 【両陛下 屋久島・奄美群島訪問へ 今年(2017年)11月で調整】---〈来栖の独白〉福音的行為と観ていたが・・・
〈来栖の独白 2017.8.16 Wed〉
長い長い間、私は天皇陛下の言動に深く敬意を抱き、共感してきた。天皇陛下の御行為は、おそらくは皇后美智子様の影響でもあろう、と思ってきた。
その私に疑念が芽生えたのは、1年前の退位メッセージに接したときである。メッセージのなか、「象徴」という言葉の多さに、強い違和感を抱いた。「象徴天皇」とは、たかだか70年ほどの歴史。それに比して、「天皇」は、この国、有史以来の存在ではないか。
退位メッセージ以来、私は、天皇さんの来し方、現在のあり方について、考えるようになった。
現天皇(皇太子時代=明仁殿下)が、学習院中等科の1年生(12歳)の時、バイニング夫人が英語教師として赴任。夫人は、皇太子を英語名「ジミー」と呼んだ。名前に始まり、GHQ教育が施されていった。皇太子時代から天皇としての今日まで、私が陛下の言動に違和感を覚えず、むしろ「なんと福音的な」と、事あるごとに賛美し、頭を垂れてきたのは、GHQ教育がキリスト教教育であったためだろう。皇太子時代から天皇となられてからも、殿下・陛下は日本各地へ赴き、苦しむ人、悩む人たちを励まされた。それは、キリスト者である私の目に、キリスト・イエスの行為と重なった。見事に福音的行為であった。
しかし、昨年の退位メッセージは、そんな私の見方を一変させた。GHQに洗脳された「左翼」なのではないか、と。有史以来の日本の伝統文化を、僅か70年ほどの「時間」に売り渡してしまわれた・・・。
国連の女子差別撤廃委員会は、日本の男系天皇制に対し疑問視している。
国民は、しっかり考えなくてはなるまい。「日本の文化」について。
...................
(この件につきましては、以前にも、宥子さまのブログでのべておられました。)
あの、当時のアメリカ進駐軍の態度は、本当に傲慢無礼だったんですね。
ただ、アメリカ一国だけに占領されていたのは、【不幸中の幸い?】だったかもしれません。
しかし、アメリカ占領行政というのは過去のことにすぎません。
それにもかかわらず、いまだに過去の亡霊のようなアメリカ占領軍が押し付けた制度や価値観に固執している人を見ると、
苛立たしい思いがします。
天皇陛下明仁様が、おかしなアメリカ人の家庭教師に『教育???』されたことは、本当にお気の毒としかいいようがないです。!明治天皇様には、剣豪の山岡鉄舟が御養育者としてついていましたし、昭和天皇様にも、白鳥倉吉のような立派な学者がお側におられました。それに比べて、今上陛下は、あまりにも、お気の毒です。
☆ただし、私は、天皇皇后両陛下を尊敬いたしております。特に天皇皇后両陛下が、東北大震災やその他の災害のときには、被災者を気づかわれ、被災者の一人一人に寄り添われるお姿を拝しますと、頭の下がる思いがします。
また、高校時代に、美智子皇后陛下が聖心女学園御在学当時にお作りになられた『合歓の木の子守歌』を学び、その慈愛のこもった美しい旋律と歌詞に深く感動したものです。
★宥子様が、天皇皇后両陛下に対して少し疑念を抱かれておられるとの事ですが、まあ、わからないでもありません。
私は、(天皇陛下を限りなく敬愛しておりますが)、それ故に、ちょっぴり天皇陛下のお言葉に違和感を感じる事があります。
それは、毎年、終戦記念日の戦没者慰霊行事に置きまして、陛下は、大東亜戦争を反省する言葉を過度に反復しておっしゃる点であり、私も、内心『戦争は遠い昔の事なのに、いつまでも、あんな事をおっしゃらなくてもいいのに。。。。。』と思うことがよくあります。しかも、この二、三年、その『反省』の度合いが強くなっておられます。???
いうまでもなく、私たち『戦争を知らない子供たち』には、太平洋戦争の責任?を背負わされる言われはありません。
また、戦争を反省したり、反省させられる義務もありません。
☆でも、私は、そのお言葉の件で天皇陛下を批判申し上げるつもりは毛頭ありません。
天皇陛下のお立場では、【現在の社会通念の範囲で『あたりさわりのない』お言葉】をのべられるしかないでしょう。
私は、むしろ、そういう今の社会通念に疑問をかんじます。!!!
◎ところで毎年、私は、終戦記念日には、例の終戦記念日慰霊行事のテレビ中継は見ません。
偉い人や政治家の『戦争の反省の談話』など、お聞きしたくないからです。
私は、終戦記念日には、遠くの海に泳ぎにいきます。
『終戦記念日に、ビキニの水着で遊んでるなんて不謹慎だぞ』と言われそうですが、私は、そうは思いません。
私は、その日には、浜辺から沖にむかって、祖国のために生命を捧げた英霊にむかって、感謝の言葉を叫びます。
。。。。これが、本当の戦没者慰霊ではないでしょうか!!
★私は、三島由紀夫先生の名作『英霊の声』に感動します。!!