高市早苗氏の意外な過去にフェミニストも震えた 総理の座を狙う過程で何があったのか 〈 dot. 2021/9/9 〉

2021-09-09 | 政治

高市早苗氏の意外な過去にフェミニストも震えた 総理の座を狙う過程で何があったのか〈dot.〉
 2021/9/9(木) 8:00配信  AERA dot.
 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に正式に出馬表明した高市早苗氏について。

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 近しい人がデルタ株のコロナ陽性になったり、友人の同僚や、通っている美容院のお客さんが亡くなったりなど、夏以降、急速にコロナの危機が迫っているのを実感している。健康観察をされずに自宅で死亡した50代の方の話などを聞くと、東京五輪・パラリンピックに時間とお金と人材を費やすべきではなかったのではないかとつくづく悔しい思いになる。適切な処置を医療機関で受けられていたら、亡くならないですんだかもしれない命は少なくない。
 Go Toキャンペーンやオリパラを強行することに専念してきた自民党政権が、トップの顔を代えただけで変われるとは思えず、期待には程遠い自民党総裁選。岸田文雄さんは、ボロボロの小さいノートを振りかざしては「国民の声を書き留めてきた、1年間で3冊、10年間で30冊」と様々なメディアでアピールしているが、正直、少ないと思う。薄いノートを1年でたった3冊埋めたくらいで、国民の声を聞いたとか言えるって、どんだけ聞いてこなかったかという話なのでは。河野太郎さんは、先日週刊誌でそのパワハラ言動が取りざたされていたが、ワクチン接種という、申し訳ないが素人目線でそこまで難しいとも思えない仕事でつまずいている人に期待するのはムリという話だし、高市早苗さんにいたっては、選択的夫婦別姓に強硬に反対するアンチフェミ女のイメージしかない。女性の人権に無関心な女性総理候補にいったい何の価値があるというのでしょう。
 とはいえ、高市早苗議員、いったいどんな人なのか。32歳で衆議院議員に初当選、女性議員としては当時、憲政史上最年少だった。しかも同期の田中真紀子議員や野田聖子議員のように、親や祖父が国会議員だったというわけではなく、自民党員だったわけでもなく、サラリーマンの父と警察官の母という一般家庭から出てきた無所属の女性議員が、今、最も総理の椅子に近い女性となっている。なぜ高市さんは、政治家の道を選んだのだろう。どのように政治の道を歩いてきたのだろう。政治家としては多い著作のなかから国際政治評論家としてテレビで活躍していた頃に書かれた『30歳のバースディ―その朝、おんなの何かが変わる』(大和出版)、政治家2年目に記された『高市早苗のぶっとび永田町日記』(サンドケー出版局)を読んだ。
 高市氏が大学を卒業したのは1984年。1986年に男女雇用機会均等法が施行されるが、この2年の差はやはりとても大きいものがある。女性が生涯にわたる仕事を手にすることも、そもそも親が大学に行かせてくれるかどうかも「女の子」であるというだけで諦めることがまだまだ当たり前にあった世代だ。特に地方であればなおのこと。保守的な奈良に育った高市氏も、当然のように「諦めさせられて」きた。例えば大学もそうだ。高市氏は第1希望だった早稲田と慶応のどちらも合格したにもかかわらず、「女の子のあなたを東京の私学で学ばせる余裕はない。弟の学費に回してほしい」と親に諦めさせられ、「女の子だから一人暮らしはさせられない」と通学に往復6時間かかる神戸大学に入学するのだ。
 たとえ難関国立大学出身であっても、女性がその能力と希望に見合う就職先を見つけるのが難しい時代だった。「身の丈」よりもずっと小さく窮屈な型に押し込められる女性たちの悔しさは計り知れないが、高市氏の著書からはその類いの悔しさは強調されない。それは高市氏に並外れた行動力と決断力があり、自らの人生を切り開いてきた自負があるからだろう。たとえば、たまたま大学で目にした松下政経塾のポスターを目にして、直感に導かれるように松下政経塾に“就職”したり。たまたまテレビで見た女性議員で史上初の米国大統領候補指名争いに立候補準備を進めていたパトリシア・シュローダーに惹かれ、その2週間後にはワシントンに旅立ち、その情熱だけでシュローダー議員のオフィスで働き始めたり……若さゆえの大胆さと希望に満ちあふれた当時の高市氏のエピソード一つひとつに圧倒されてしまう。「女だから」と諦めさせられてきたのは大学まで、それ以降は絶対に諦めないという粘り強さで今の地位を築いていくのである。
『30歳のバースディ』は文字通り30歳を迎えた高市氏がそれまでの人生を「ポップ」に振り返る本である。「BGMはいつもユーミンだった」「寂しいのはあなただけじゃない」「空港でまたまた恋人と涙の別れ」「男かペットがいなくちゃダメな私」「女と日の丸と視聴率の相関関係」「三〇女が孤独を感じるとき」といった目次からもわかるように、女友だちに話しかけるように書かれた軽く、優しいノリのものだ。アメリカから帰国し、若い政治評論家としてメディアに露出していたころで、日本の男性社会へのいら立ちも率直に記されている。
「アメリカ議会では日本流のバカバカしい会議がないのが良かった。(略)ところが日本の企業では会議の場では何も決められない。本当は既に決まっているし、とっくに根回しが済んでいることを確認しあうだけの、儀式的な会議のなんと多いことか。でも、私たち女性は妙に正義感が強いので、このような巧妙な人間関係のテクニックとは相性が悪い」
 90年代に若い女性が書いたテキストを追いかけながら、私は何度か噴き出したり、そうそうと共感したりと震えるような思いになる。ねぇ、高市さん、「女が入ると会議が長くなる」とほざく森喜朗さんに「あんたの会議はバカバカしい」とはやっぱり言えないものだったの? こういうまっとうないら立ちを文章にしてきた女性が、最も「わきまえる女」になっていく過程に、いったい何があったというの?
 さらにこういう率直さは、国会議員になった後に書かれた「高市早苗ぶっとび永田町日記」にも残っている。高市氏は歯に衣着せずに永田町のダメなところをきちんと切っている。
「この一年間に永田町で一番多く耳にした言葉は次の二つ。『挨拶がない』『俺は聞いてないぞ』。委員会の審議日程が流れたり、大切な法案の採決がパーになったりする理由は大抵この二つだったりする」
「笑い話のようなことばかりだが、事実、永田町政治は『理屈』ではなく、『メンツ』で動いている」
 さらに、夜の会食や女性がいるクラブなどで行われる男たちの根回しで物事が決まっていく永田町で、女の自分が不利であることも記し、サッチャーのこんな言葉を引用し共感を表明するのだ。
「私は最後まで党内基盤が弱かった。それは男性の世界の根回しに加えてもらえなかったからよ」
 なにこの人……すごくまともな「一般人」の感覚で、すごくまともな「女の悔しさ」をストレートに出すフェミじゃないの? しかもそのまともさで、「総理大臣の資質」というものを論じ、当時の村山政権を真っ正面から批判している。明言しているわけではないが、高市氏自身が政治家として一番になること=総理になることを30代から目指しているのも伝わってくる内容なのだった。根回しから排除されてきたサッチャーが首相になれたように、パトリシア・シュローダーが80年代に大統領を目指したように、高市氏は政治家としてトップに行くことを最初から視野に入れていたのだ。
 ……と、昔の高市氏の本を読んでいると、うっかり「がんばれ、早苗!」と言いたくなってしまう私がいるのだった。「総理になろうよ!!」と早苗の女友だちポジションに立って拍手したくもなってしまうのであった。まずい、まずい。正気に戻るために2011年に出版された『渡部昇一、「女子会」に挑む!』(WAC)も読んだ。櫻井よしこ氏、山谷えり子氏、高市早苗氏、小池百合子氏、丸川珠代氏・・・といった早々たる「わきまえ女」(帯には「なでしこ軍団」とある)たちと渡部昇一氏との対談本だ。
 渡部氏との対談で、「総理になったら、まず何をしますか?」と聞かれた高市氏はこう答えている。
「最初に、政府歴史見解の見直しをします。新たな歴史見解を発表して、村山談話を無効にします」
 東日本大震災のあった年の9月に出版されている本だ。震災後から、こういう歴史修正主義を堂々とうたう本や、韓国ヘイト、「慰安婦」運動への過剰な攻撃は度を越していったという実感が私にある。保守政治家から極右政治家に舵を切るように発言をより過激化させていく高市氏の横顔が、対談にはしっかりと刻まれている。夫婦が別の姓を名乗ったら家族が崩壊すると適当なことを言い、戦時性暴力の責任を問わないどころかなかったことにすることが、高市さんの「目指した政治」だったのだろうか。この国の女性たちが権力に近づこうとするならば、率先して選択的夫婦別姓を批判し、「慰安婦」被害者をおとしめる発言をいとわず、女性の権利を口にするフェミを冷笑するというマニュアルでもあるのだろうか。
 今いる自民党の女性議員の顔を、一人ひとり思い浮かべてみる。わきまえなければ権力に近づくこともできなかった女性たち。夜の会議や根回しから排除されながらも、その立場を維持するための努力は、二世・三世の男性議員たちとは全く違うものがあったはずだ。それでも、それほどの努力をしても、彼女たちが自らの後ろを振りかえったとき、彼女たちの後ろを歩きたいと思う女性はどのくらいいるだろうか。というかそもそも、その道は後続の女性のために開かれていたことはあったのだろうか。
 かつて高市氏が憧れ渡米したパトリシア・シュローダーはテレビカメラの前で涙を流した。そのことによって20年以上「女の政治家は感情的だから、ダメだ」と言われ続け、「あなたの涙のせいで、女の地位が悪くなる」と責められ続けたという。女であるというだけでその「涙」が事件になるのは、昔のアメリカも今の日本も変わらない。そういう政治の世界でトップを目指す女性たちが、女性の味方であることを忘れるのは「仕方ない」ことなのだろうか。それとも、アンチフェミニズムの顔で女性をたたくような女性政治家しか出せない自民党政治そのものが終わっている、ということなのか。

■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です 


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 ◎上記事は[amazon.co.jp]からの転載・引用です
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