下人は人ではなくて、市場で売り買いされる物なのです。■かしこくも御名御璽を戴き内閣総理大臣に就任

2008-10-06 | 政治

 9月から中日新聞で五木寛之氏の『親鸞』が連載中である。五木さんの福音的視点を私は目を凝らすようにして読む。鮮烈に響いてくる。かたや、麻生太郎首相である。両者の対照が際立っている。

『親鸞』2008/10/02
 犬丸はもともと東の市場で売られていた下人の子だった、と、突然、サヨはいった。
「下人、というのは?」
 忠範がたずねると、サヨは肩をすくめて、
「世間の人からいちだん低く見られている者たちを、といいます。でも賤しめられても、彼らは勝手きままに生きていける。しかし下人は、人ではなくて、物なのです。ですから市場で売り買いされたり、銭や稲で手に入れることもできる。つまり、物と同じなのですよ」
 サヨは自嘲的な口調で、
「下人のことを、ともいうのはご存知でしょう」
「ヌヒ----」
「そう。男の下男が奴で、女が婢」
 どういう字を書くのだろうか、と、忠範は頭のなかでいくつかの漢字を思い浮かべた。
「大きなお寺や、領主たちのところには下人がたくさんおります。その家につかえる下人たちは、土地といっしょに相続される財産なのです。主人が苦しくなると下人を売りにだす。下人の子もそう。あの犬めは、じつは、むかし当家の忠綱さまに買われて、この家にきた下人の子なのです」

2008/10/05
「なんでしょう?」
 サヨは微笑してたずねた。忠範は口ごもりながら、勇気を出していった。
「犬丸やサヨたちが、わたしたち兄弟のことをたいそう気にかけてくれるのは、どうして?この家にとっては厄介者ののわれらに、とてもやさしいのは、なにかわけでもあるのかとーーー」
「わけなどありませんよ」
 サヨの細い目がいっそう小さくなった。彼女はかすかにうなずいて忠範にいった。
「わたしたちは、あわれな者たちなのですよ。犬丸もわたしも、ずっと世間からは賤しめられ、殴られ、蹴られながら育ってきました。わたしも下人の子の一人なのです」
 サヨは言葉をつづけた。
「犬めはいまごろ、牛飼い童や、神人(じにん)、悪僧、盗人、放免、雑色、船頭、車借(しゃしゃく)、狩人、武者(むさ)など、不善の輩をあつめて、雙六博打を開帳しているはず。そこで巻き上げる胴銭をもって夜明けに帰ってくるのです。あの男は悪人たちから銭をかすめとる極悪人。その銭でこの家の台所をまかなっているのですから、おかしな話ですね」
 サヨは声をあげて笑った。
「わたしたちは、あわれな者なのです。あわれな者は、おなじあわれな者たちをかわいそうに思うのです。忠範さまご兄弟も、やはりあわれなお子たち。とくにわけがあってお世話しているわけではありません。ただ、あわれに思うて、気にかけているだけなのですよ」

2008/10/06
「それにしても、忠範さまは変わり者でいらっしゃる。世間では悪党あつかいされる者たちとなにげなく親しくなさるとは」
 彼らといっしょにいると、とても心がやすらぐのだ、と忠範はいった。
「あの者たちは、自分たちのことを河原の石ころ、ツブテのような甲斐なき者と思うておる。このわたしも世の中の厄介者。身のおきどころのない者同士、おたがいをあわれと思う気持ちがあるのだろうか」
 サヨは無言でじっと忠範をみつめた。
「十悪五逆の者もすくわれるというのは、本当のことでございましょうかねえ」
 と、遠くを見るような目でサヨはつぶやいた。さびしい声だった。忠範はため息をついて夜の中にでた。虫の声が降るようにきこえた。
〈あわれな者は、おなじあわれな者たちをかわいそうに思うのです〉
 犬丸が極悪人なら、その稼ぎにたよって生きている自分もまた悪人の仲間ではないか、と忠範は感じる。
..................................................

首相発言目立つ復古調 「御名御璽」「大東亜戦争」
 麻生太郎首相の発言に、復古調の言い回しが目立っている。首相は先月29日の所信表明演説で「このたび国権の最高機関による指名、かしこくも御名御璽(ぎょめいぎょじ)をいただき第92代内閣総理大臣に就任いたしました」と切り出した。
 「御名御璽」は天皇の署名と公印を指す。法令の公布文や、首相や最高裁長官を任命する際の辞令書などに記されるが、首相が戦後、国会で言及した例はない。
 首相は演説後、記者団に「おやじのおふくろがそういうしゃべり方だった。別にそんなにあらたまったつもりもない」と、他意の無いことを説明した。
 ただ、首相の保守的な表現は、首相の皇室とのとながりや、首相の祖父・吉田茂元首相を強く意識し、「保守政治の継承者」をアピールする狙いがあるとみられている。
 自民党の笹川尭総務会長は「(首相の実妹が三笠宮寛仁親王に嫁いで)皇室につながり、尊敬の念もあつい。首相に就任した重さも感じて、御名御璽の文言が入ったのだろう。吉田元首相の孫でもある」と解説する。
 首相は同30日、戦争観に関する記者団の質問に、「大東亜戦争」との表現を用い、すぐに「太平洋戦争」と言い換えた。
 タカ派的な失言を繰り返してきた首相には、「けんか好きなナショナリスト(国家主義者)」(米紙ニューヨーク・タイムズ)との評がつきまとう。
 首相は「ナショナリストかはともかく、パトリオット(愛国者)であることは間違いない」と反論しているが、野党からは「麻生内閣全体に古い保守のDNAが受け継がれている」(重野安正社民党幹事長)などと批判されている。(生島章弘)中日新聞2008/10/05
------------------------
 http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/0474b485a68cd02687f54469ce4594fc

『野中広務 差別と権力』(魚住照著:講談社発行)より
 二〇〇三年九月二十一日、野中は最後の自民党総務会に臨んだ。議題は党三役人事の承認である。楕円形のテーブルに総裁の小泉や幹事長の山崎拓、政調会長の麻生太郎ら約三十人が座っていた。
 午前十一時からはじまった総務会は淡々と進み、執行部側から総裁選後の党人事に関する報告が行われた。十一時十五分、会長の掘内光雄が、
「人事権は総裁にありますが、異議はありますか?」
 と発言すると、出席者たちは、
「異議なし!」
 と応じた。堀内の目の前に座っていた野中が、
「総務会長!」
 と甲高い声を上げたのはそのときだった。
 立ち上がった野中は、
「総務会長、この発言は、私の最後の発言と肝に銘じて申し上げます」
 と断って、山崎拓の女性スキャンダルに触れた後で、政調会長の麻生のほうに顔を向けた。
「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
 野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。

 この国の歴史で被差別出身の事実を隠さずに政治活動を行い、権力の中枢にまでたどり着いた人間は野中しかいない。彼は「人間はなした仕事によって評価をされるのだ。そういう道筋を俺がひこう」と心に誓いながら、誰も足を踏み入れたことのない険しい山道を登ってきた。ようやく頂上にたどり着こうとしたところで耳に飛び込んできた麻生の言葉は、彼の半世紀にわたる苦闘の意味を全否定するものだったにちがいない。
 総務会で野中は最後に、
「人権擁護法案は参議院で真剣に議論すれば一日で議決できます。速やかに議決をお願いします」
 と言った。人権擁護法の制定は野中が政治生活の最後に取り組んだ仕事である。だが、人権委員会の所管官庁をめぐって与野党の意見が対立し、実質審議が行われないまま廃案になった。
 それは野中の政治力の衰えを象徴する出来事でもあった。
「もう永田町にオレの居場所がなくなってしもたんや」
 野中はこんな言葉を残して政界を去った。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。