償いの7年
宮崎市家族3人殺害事件の今/3 遺族に弔い許され 死刑囚家族の苦悩と心境 /宮崎毎日新聞2017年3月4日 地方版
<2017年もどうかよろしくお願いします。(中略)面会を楽しみにしてます。来る時は気をつけてね>
奥本章寛(あきひろ)死刑囚(29)から届いた手紙を両親は、1文字ずつ丁寧に読んでいた。「季節の話とか当たり障りのない内容でも、手紙が来るだけでホッとする」と母親(55)は語る。引き出しや収納箱にある手紙は150通にも及ぶという。
事件を初めて知ったのはテレビニュースだった。母親が朝、勤め先の介護施設でお年寄りの世話をしていると「生後6カ月ほどの子どもの遺体が見つかった」と聞こえた。「孫と同じくらいの歳だ」と思いながらも、まさか長男が起こした事件とは思わなかった。別の介護施設に勤める父親(57)から間もなく「章寛の妻とお義母(かあ)さんの名前がテレビに出ている」と連絡があり、テレビ画面には宮崎市内の奥本死刑囚の家が映っていた。
「雄登(ゆうと)が生まれた時、章寛はあんなにうれしそうにしていたのに」。半年前に初孫の誕生を祝ったばかりで3人殺害の事実を信じられなかった。2人はすぐに宮崎市に車で向かった。取り調べ中の奥本死刑囚に面会できず、車中泊を繰り返しながら近所の住民に頭を下げて回った。
「やってしまったことはあまりに重大。現実を受け止めるしかない」。父親は10年12月の宮崎地裁判決で死刑を言い渡された心境を振り返る。両親は判決後も事件を思い出し寝られない日々が続いた。「章寛に声をかけて相談を聞いていれば事件は防げたかもしれない……」
2人にとって20代の遺族男性との出会いは転機となった。奥本死刑囚の支援団体の仲介で、男性は裁判やり直しを求める上申書を最高裁に提出する前の14年5月、豊前市の自宅を訪れた。母親は「普通だったら会いたいと思わないだろうに。ありがたかった」と振り返る。
その後も男性との交流は続いた。「せめてもの償いに」と食料品や生活用品をほぼ毎月男性に送っている。16年3月には3人の七回忌法要で男性と一緒に手を合わせた。母親は「被害者を弔うことを許され、感謝の言葉が見つからない」と語る。
自宅には、奥本死刑囚と殺害された妻子を映したアルバムがある。ニッコリと笑う3人を眺めながら夫婦は言う。「死刑がいつ執行されるか分からない恐怖はいつもあるけれど、章寛と遺族男性にできることをやるしかない」
◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です
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◇ 「宮崎 家族3人殺害事件」奥本章寛死刑囚…義母と妻、長男との生活は我慢の連続 義母から逃れたかった
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