官房長官や自民党幹事長などを歴任した野中広務氏 死去 2018/1/26

2018-01-26 | 政治

産経ニュース 2018.1.26 18:17更新
野中広務氏が死去、92歳 官房長官や自民党幹事長を歴任
 官房長官や自民党幹事長などを歴任した元衆院議員の野中広務(のなか・ひろむ)氏が26日午後、京都市内の病院で死去した。92歳。京都府出身。
 京都府議、同府副知事などを経て、昭和58年に衆院旧京都2区補欠選挙で初当選。連続7期務めた。
 平成6年、「自社さ」の3党連立で誕生した村山富市内閣で自治相として初入閣し、阪神大震災やオウム真理教事件に対応した。10年、小渕恵三政権で官房長官に就任。衆参で与野党の多数派が異なる「ねじれ国会」の対応として、旧竹下派の分裂以降、対立状態にあった旧自由党の小沢一郎党首に連立政権参加を呼びかけ、11年1月に発足させた。公明党を加えた「自自公」政権も誕生させた。
 小泉純一郎政権下では小泉首相と敵対し、15年の自民党総裁選で小泉氏を支援する橋本派の同僚を批判、そのときに発した「毒まんじゅう」は流行語になった。総裁選後の衆院選に出馬せず、政界を引退した。
 官房長官在任中には、国旗・国歌の扱いをめぐり、広島県の県立高校校長が自殺したことを踏まえ、法制化を進めた。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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野中広務氏が死去 元官房長官、92歳 
 日本経済新聞 2018/1/26 21:17
 官房長官や自民党幹事長などを歴任した元自民党衆院議員、野中広務(のなか・ひろむ)氏が26日午後、京都市内の病院で死去した。92歳だった。2017年11月27日に京都市下京区のホテルで倒れ、病院に救急搬送されていた。
 京都府園部町(現・南丹市)の町長や京都府副知事を経て、1983年の旧衆院京都2区補欠選挙で自民党から立候補し、57歳で初当選。衆院議員を7期務めた。
 94年の村山富市内閣で自治相となり、95年の阪神大震災では陣頭指揮を執った。98年の参院選で自民党が過半数割れすると、旧経世会(竹下派)分裂以来の宿敵だった小沢一郎自由党党首に「ひれ伏してでも」と協力を求め「自自連立」政権の樹立に尽力した。小渕恵三内閣で官房長官、森喜朗内閣で党幹事長を務めた。
 2003年に当時の小泉純一郎首相を批判し、電撃的に政界を引退した。

 ◎上記事は[日本経済新聞]からの転載・引用です
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『差別と日本人』野中広務・辛淑玉著  だからこそ、差別は「家族を撃つ」と言われている

   
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『差別と日本人』善良で被害者の自分たちと他者とを峻別。その生贄としての民・朝鮮人

  
『日本人と差別』野中広務・辛淑玉(角川oneテーマ21)
p125~
●民にとって、「天皇」とは
 1917(大正6)年、「神武天皇稜」を上から見下ろす位置にあった洞の200戸余りの人々は、強制移住を強いられた。
 神武天皇稜は1863年、幕府が造営し、1890年、橿原神宮がつくられた。
 1913年、『皇陵史稿』には、「・・・・神武天皇陵に面したところに、の墓がある。土葬なので、その醜骸が、この神聖な地に埋められている」。このままだと「霊山と御陵の間は、穖多の家で充填され、醜骸は霊山の全部を侵食する」と述べている。
 は、土地を宮内庁に献上するという形を取り、1920年、移転を終えた。しかし、移転先に田畑などはなく、移転費用も僅かで、古家も買えず貧しさは加速された。移転の際には、人だけではなく、墓も「遺骸」も根こそぎ掘り起こされ運ばれた。埋葬後10年たっても遺骸はまだ原形をとどめており、とうもろこしのような毛のような遺髪をの人々は自らの手でまとめた。埋葬して2,3年しか経っていないものは腐敗臭もあり、それを担ぎ、排斥運動のあった一般の村を避けて遠回りをして移動させられていった。
 天皇制により、の人々はより貶められていった。
 他方、被差別者には、天皇に対する独特の親近感もまた存在する。
 歴史的には、南朝を代表する後醍醐天皇が、農本主義者である武士=足利政権に対抗するため、非農耕民(流通業者、職人、芸能民、被差別民)を軸足にした政権維持を試みた。もちろんこれは失敗して、南朝勢力は衰亡した。しかし、このとき天皇が被差別者を厚遇したことが、それ以後の被差別階級にとって、天皇家との関係を自分たちの正統性の根拠とする慣習を生んでいった。
 もうひとつは、貴種流離譚との関係。やんごとない人々が政治的迫害や病などの理由で、被差別階級に落ちぶれ、全国各地を流浪するという民話がある。王子と乞食などもこの話の系譜である。
 つまり、被差別者の失われたアイデンティティを補償する存在として、天皇家との関係をシンボリックに強調する傾向(家系図で先祖に天皇家をいれたがる)がある。
 だから、任侠も、右翼も、被差別者も天皇が好きなのだ。
p113~
●オウム真理教事件と破防法
 両親が犯罪を犯したからと、子どもも犯罪者のように扱われ、小学校にも行けないというのは異常でした。住むことも、食べることも、働くことも、公衆浴場に行くことも、電気ガス水道の使用も拒否されるなんていうのは、すさまじい大衆の暴力です。
 朝鮮人が叩かれてる時もそうだけど、政治家は、それはいけないことだと言ってほしい。アメリカのあのブッシュでさえ、「9、11」の後、アメリカにいるイスラム教徒は別なんだっていう話をしたにもかかわらず、日本の場合は、たとえば北朝鮮関連で何らかの問題が起きたのをきっかけに在日がボコボコやられていても、決してそれに対してコメントを出さない。それと同じように、松本智津夫氏の子どもは犯罪者の子どもだということでボコボコにやられていても誰も助けない。つまり、叩いてもいい相手を決めて、集団でストレスの発散をする。
野中 困った民族だ。
p114~
 オウム真理教関係者によるさまざまな犯罪が明るみに出ると同時に、インターネットでは、教祖である麻原彰晃は「民だ」「朝鮮人だ」という言説がまことしやかに流れた。これは、何もオウム関連の事件に限ったことではない。凶悪犯罪が起きる度に、都市伝説のように流される。これは、マスコミが「犯人は外国人風」と報道するのと同じである。外国人とは一体何をさすのか。国籍なのか、肌の色なのか、言語なのか。私は“外国人風”に見えるだろうか。つまり、「日本人」以外の者がやったと言いたいのだ。日本人はいつも善良で、被害者だと思いたいのだ。そして、彼らが言う「日本人」には、民も、日本国籍を取得した人も、アイヌも、ウチナンチュも、ハンディのある人も、セクシャル・マイノリティも入っていない。
 どこまでも徹底して自分たちと他者とを分け、そして、あらゆる問題について、自分たちの社会の問題だということから逃げようとする。そのいけにえとしての民であり、朝鮮人なのだ。
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『野中広務 差別と権力』人権啓発なんてできようはずがない. 追記事(2008/09/27)
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