少年と罪 第3部 塀の中へ再び [1]
2017/8/17 Thu 朝刊 更生の道 なぜ捨てた 17歳でストーカー殺人 出所後に通り魔事件
「西尾ストーカー殺人事件」の加害男性が出所後に作業をしていた障害者施設で、利用者と一緒に文房具を包装する代表の男性(奥)=愛知県豊橋市で
面接に来た二十九歳の青年は「人殺し」には見えなかった。色白で、うつむきながら小声で話す。愛知県豊橋市にある障害者就労支援施設。机を挟んで向き合った相手に、施設の男性代表(61)は拍子抜けした。「本当に、この子が?」
2011年8月。代表は事前に自治体から、青年の受け入れを頼まれていた。「過去に殺人を犯した人」とだけ説明されて。
面接後に調べたら「西尾ストーカー殺人」にたどりついた。同県西尾市で1999年、17歳の少年が高校2年の水谷英恵(はなえ)さん=当時(16)=を、一方的に好意を寄せた末に刺殺した事件だ。面接の相手は、10年の服役を終えた加害男性だった。
刑事責任能力を認定されたが、精神疾患があった。代表は35年も障害者支援に携わってきたが、出所者を受け入れた経験はない。それでも「難しい人を立ち直らせるのが福祉」と考えていた。おびえる職員らを「何かあったら俺が責任を取る」と説得した。
職業訓練を兼ねて週5日、文房具やシソの葉の包装作業を任せた。十代からの服役で社会経験に乏しく、作業は遅い。それでも黙々と仕事に向かう。代表に「少しでも稼げるようになりたい」と語った。
この施設の前に、加害男性は同県蒲郡市の町工場で4か月ほど働いていた。
経営者(47)が将来の夢を訊くと「生活保護で暮らすと、投げやりな言葉ばかり。だが「償いはしたのか」と一喝され、少しずつ変化を見せ始めた。
遺族への手紙に「前科持ちでありながら働かせてもらってます。ありがたい」とつづった。千円札1枚だが、初めて賠償金を現金書留で送った。それまでは「自分の事件を小説にしたい」と、遺族を怒らせる手紙を送っていただけに、犠牲者の父、永谷博司(68)=西尾市=はわずかな変化の兆しを読み取った。「少しはまともに物事を考えられるようになるか」
町工場の後に落ち着いた障害者施設で、同じ利用者の友達もできた。無断欠勤やトラブルはない。見守った代表には、問題のない「普通の利用者」に映った。
だが、施設に通い始めて1年後の2012年8月。男性は突然、周囲に漏らした。「刑務所に戻りたい。食事も3回、出るし」
数日後、代表は喫茶店で広げた新聞に、くぎ付けになった。「ストーカー事件の元少年 女性に包丁」。蒲郡市の路上で見知らぬ通行人=当時(23)=に包丁を突き付け、引き倒して負傷させたのだ。
出所から2年8か月。30歳で再び逮捕された。犯行動機を、同居の親との不仲などから「生活に嫌気がさした。相手は誰でもよかった」と語った。
13年3月、この通り魔傷害事件で懲役1年8月の判決を受け、再び「塀の中」へ戻った。代表には逮捕後に「申し訳ない」と2通の手紙が届いただけ。現在は刑期を終えたはずだが、連絡はない。
代表は今も、自治体などの要請で出所者を受け入れている。施設に5年、通って「就職したい」と心を入れ替えた元受刑者もいる。それなのに。
「彼も自分を変えたくて、ここに来たはず。だが親とうまくいかず、経済的に苦しい。結局、刑務所の方が楽だと思ってしまったのかも」
代表は出所者と向き合いながら、自身に問い続ける。「心を開かせ、犯行を止めることはできなかったのか」と。何が加害男性と、立ち直った人たちを分岐させたのか。それが今も分からない。 (一部 敬称略)
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刑事裁判で有罪判決を受けた未成年者の6割が再び罪を犯している。17歳で西尾ストーカー殺人事件を起こした加害男性も、社会復帰の後、再び犯罪に走った。なぜ更生させられなかったのか。少年時代に道を過った者の「再犯」を防ぐには、何が必要なのか。通り魔傷害事件への過程をたどり、現代社会に突き付けられた課題を追う。
*上記事は中日新聞からの書き写し(=来栖)
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〈来栖の独白〉
>代表は今も、自治体などの要請で出所者を受け入れている。
私は、昔からこの種の人が好きになれない。この種の人たちは、人を「出所者」と一括りにして見、扱う。「出所者」でも、いや、人間は、一人一人が違うのだ。
この連載も「再犯」と、人を一括りにして扱う。まぁ、連載・テーマとは、そのように類型化するしかないのだろう。が、それでは、人間の個々の苦悩は解決されない。「人間は一人一人、違うのだ」というところに立たない限り、答えも救済もない・・・、永遠に。効率の悪い、不合理な思考だが。
この加害男性の場合、親との確執が底流にあったのではないだろうか。少年にとっては、やはり、家庭・親に事件の要因がある場合が多い。人間の成長・人格形成において、親の影響は計り知れない。類型化しているのではない。
*上記事は中日新聞からの書き写し(=来栖)
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少年の再犯率、6割 刑事裁判で有罪後
2017/8/17 朝刊
犯罪を初めて犯した時の年齢が若いほど、再び犯行に走る可能性は高い。再犯者の実態を犯歴から調査した統計として最新の二〇〇七年犯罪白書によると、刑事裁判で有罪判決を受けた少年のうち、その後、再び罪を犯して有罪となった割合は60%に上った。初犯が二十代前半だった場合の再犯率41%、二十代後半の28%、三十代前半の23%を大きく上回る。
過去には、1988~89年に東京都で起きた「女子高生コンクリート詰め殺人」の加害少年が、出所後の2004年に監禁暴行事件を起こした。00年に16歳で母親を殺害した山地悠紀夫・元死刑囚(09年執行)は、少年院を出た後に女性2人を刺殺。00年に名古屋市で発覚した「中学生5千万円恐喝」の加害少年も06年、パチンコ店強盗に及んだ。
罪を犯した少年は家裁で審判を受ける例が多く、刑事裁判で判決が出るのは重大事件に限られる。少年事件に詳しい元家裁調査官の藤川洋子・京都工芸繊維大特定教授(犯罪心理学)は「少年は大人より経験や知識に乏しいため、劇的に更生する可能性がある。一方、重大事件を起こした場合は犯罪傾向が進み、生き方や考え方を変えるのは難しい」と指摘する。
刑法犯検挙人数は近年、戦後最少を更新し続けている。だが検挙人数に占める再犯者・再非行者の割合は年々高まり、15年には刑法犯全体の48%、少年でも36%に上った。再犯防止が犯罪を減らすカギとなっており、昨年末に「再犯防止推進法」が施行。法務省は、少年も含めた再犯対策の計画作りを急いでいる。
*上記事は中日新聞からの書き写し(=来栖)
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◇ 『「少年A」 この子を生んで・・・』神戸連続児童殺傷事件・酒鬼薔薇聖斗の父母著 文藝春秋刊1999年4月
◇ 【宮崎勤死刑囚~家族の悲劇 被害者の陰、地獄の日々 父親自殺 改姓 離散】 2006,1,18 坂本丁次
◇ 「秋葉原無差別殺傷事件」加藤智大被告 母親との関係〈母親に対する証人尋問 2010.7.8.要旨〉
◇ 佐世保・高1女子殺害:容疑の少女「人を殺してみたかった」/ 「お母さんの事、どうでもいいのかな」
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◇ 大阪教育大付属池田小学校児童殺傷事件 宅間守 『殺人者はいかに誕生したか』長谷川博一著
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理由は色々あると思いますが、最大の理由は、結局のところ、世の中の人が、彼らを心から許し、受け入れようとしないからだと思います。
いちおう外見では彼らの社会復帰を期待しているような態度をとっていたとしても、内心では『コイツは、犯罪者だ、懲役人だ、前科者だ、』と思っているし、そういう先入観でみられていることは、刑務所から卒業した青少年の心にも感じとられるでしょう。
また、彼らを受け入れている職場の経営者は、確かに偉いとは思うのですが、彼らとて偽善的態度からまぬがれてはおりません。
彼らも、やはり内心では『コイツらみたいな前科者は、ちゃんとした就職はできない。それを俺は敢えて雇ってやってるんだ!コイツらを厚生させ、善導して真人間にさせるべく鍛えてやるんだ!』というような、上からの視線で見ていることは疑う余地もありません。
出所した青少年にしてみれば自分が、常に虞犯者と見なされ、矯正されるべき立場とみなされていることに気がつくでしょう。
これでは、青少年の矜持は踏みにじられ、心はボロボロです。
自分は対等な人格者とはみなされていない。。。。
。。。これでは、素直な気持ちになれるはずはありません。
結局、最後は開き直って犯罪常習者のコ-スをたどることになるわけです。
私は、こういう点でも、人間のすべての原罪をかんじます。
私が子供のころ読んで感動した書物に『レ・ミゼラブル』(ああ、無情()という本がありました。
貧しさの故に盗みをして長期の懲役刑に服した主人公のジャン・バルジャンが心の底まですさんでいたところ、ある信仰ふかく慈愛にみちた司教の教えにより立ち直る物語でした。こういうのは、もはや小説の世界にしか存在しないのでしょうか?
全く、同感です。当エントリの次[<少年と罪>第3部 塀の中へ再び[2](中日新聞2017/8/18)]に、以下のように書いたことです。
〈来栖の独白〉
医療刑務所であれ医療少年院であれ、限界がある。娑婆へ出たとき、教育の成果なんて、追いつかない。神戸連続児童殺傷事件の元少年Aを見れば分かる。
彼は、立派に更生していた(人間らしい感性を取り戻していた)が、この世は、彼を犯罪者としてしか扱わず、出版社は彼によって一儲けしようとした。被害者遺族は、彼の真摯な反省を聴こうとせず、手記出版そのものを許さなかった。公立の図書館でさえ、『絶歌』の入荷に悩んだ。手記の中には、彼の深い悔悟、温かな、そして悲しみの人間性が綴られていたのに。
刑務所や少年院の矯正教育が至らなかったのではない。この世が、犯罪者の更生を許さないのだ。