枕慈童(まくらじどう)
【分類】四番目物 (雑能)
【作者】不詳
【主人公】シテ:慈童
【あらすじ】(舞囃子の部分は下線部です。仕舞の部分は斜体です。)
古代中国、魏の文帝の時代、酈縣山の麓から霊水が流れ出るというので、勅使が源を尋ねるべく、その山に派遣されます。勅使の一行は、菊の花の咲き乱れた山中の庵に、一人の不思議な少年を見つけます。勅使が「人間の住まないような山奥にいるお前は化生の者か」と尋ねると、少年は「あなたこそ化生の者でしょう。私は周の穆王に仕えていた侍童です」と答えます。勅使は「周というのはもう数代も前の世だ」と驚きます。話を聞くと、少年は、穆王に召し使われていたが、誤って王の枕をまたぎ、その罰でこの山に配流されます。しかし、少年に悪意のないことを知って憐れんだ王が、その枕に二句の偈(仏徳を讃えた詩)を書きそえて与えました。その文字を菊の葉の上に写して書くと、その葉の露が霊薬となり、それを飲んでいたため、少年は七百年後の今でも若いままで生きながらえていたのです。少年自身も、自分の長命に驚き、楽しく舞を舞ったあと、寿命を帝に捧げ、そのまま山中の仙家へと帰ってゆきます。
【詞章】(舞囃子の部分の抜粋です。仕舞の部分は下線部です。)
枕の要文、疑いなく。具一切功徳、慈眼視衆生。福寿海無量、是故応頂礼。この妙文の菊の葉に。置くしただりや露の身の。不老不死の薬となりて。七百歳を送りぬる。汲む人も汲まざるも。延ぶるや千歳なるらん。面白の遊舞やな。
<楽>
ありがたの妙文やな。すなわちこの文菊の葉に。すなわちこの文菊の葉に。ことごとく現わる。さればにや。雫もこうばしく滴も匂い。渕ともなるや谷陰の水の。所は酈縣の山のしただり、菊水の流れ。泉はもとより酒なれば。汲みては勧め。すくいては施し。わが身も飲むなり飲むなりや。月は宵の間、その身も酔いに。引かれてよろよろよろよろと。ただよい寄りて。枕を取りあげ、いただき奉り。げにもありがたき君の聖徳と。岩根の菊を。手折り伏せ手折り伏せ。敷妙の袖枕。花を莚に伏したりけり。もとより薬の酒なれば。もとより薬の酒なれば。酔いにも侵されず。その身も変わらぬ七百歳を。保ちぬるも。このおん枕のゆえなれば。いかにも久しく、千秋の帝。万歳のわが君と。祈る慈童が七百歳を。わが君に授けおき、所は酈縣の。山路の菊水。汲めや掬べや、飲むとも飲むとも。尽きせじや尽きせじと。きくかき分けて、山路の仙家に。そのまま慈童は、入りにけり。
◎上記事は[名古屋春栄会]からの転載・引用です
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三 山(みつやま)
●あらすじ
大原の良忍聖はかねて融通念仏を広めて歩いていますが、このほど大和の国に入ります。そして一人の里女に、このあたりの名所である三山について尋ねると、女は、香久、畝傍、耳無の三山を合わせて一男二女の山ということ、香久山に住む男が畝傍、耳無の二つの里の女と契って両方に通い、二人の女は互いに男を争って耳無の里の桂子はついに負けて池に身を投げて死んだことなどを語り、自分は桂子であるが自分の名を名帳(融通念仏宗入信者名簿)に書き入れてほしいと頼んで池の底に沈んでしまいます。良忍聖が弔いの念仏を唱えていると、桂子と畝傍の里の桜子の亡霊が現れ争う様を見せます。両者とも冥土でいまだ執念に悩まされるのです。しかし良忍聖の念仏によって、桂子、桜子共々恨みも晴れて西方浄土に生まれ変わることを喜びます。(「宝生の能」平成9年6月号より)
●宝生流謡本 外八巻の三 四番目 (太鼓ナシ)
季節=春 場所=大和国耳無山
素謡(宝生) : 稽古順=初序 素謡時間45分
素謡座席順 ツレ=桜子
シテ=前・里女 後・桂子
ワキ=僧良忍
●参考解説 三山 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三山(さんざん、みやま)3つの山のこと。またはその山に鎮座する3つの神社のこと。 大和三山 -- 香具山・畝傍山・耳成山
熊野三山 -- 熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社
出羽三山 -- 月山・湯殿山・羽黒山
因幡三山 -- 甑山・今木山・面影山
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三 山 (みつやま)
季 春 所 大和国耳無山 素謡時間 45分
【分類】二番目物 (修羅物)
【作者】世阿弥元清 典拠:前半分は伝説か 後半は平家物語
【登場人物】前シテ:里の女、後シテ:桂子 ツレ:桜子 ワキ:僧良忍上人
◎上記事は[郡山の宝生流謡会]からの転載・引用です
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