広島・呉の少女遺棄:逮捕の1少女、虐待受け生活保護 1Kで共同生活
毎日新聞 2013年07月20日 大阪朝刊
広島県呉市の灰ケ峰(はいがみね)の山中に若い女性の遺体が遺棄された事件で、死体遺棄容疑で逮捕された7人のうち、広島市中区の少女(16)が生活保護費を受給していたことが19日、捜査関係者への取材で分かった。親のネグレクト(育児放棄)が原因とみられるため、単身世帯として直接、受け取っていた。逮捕された未成年者6人の中には、少女以外にも児童虐待を受けていた者がいるとみられ、県警捜査本部は過酷な生活環境が事件の遠因になった可能性があるとみて調べている。【黄在龍、石川裕士、吉村周平、中里顕】
*車から血液反応
また、7人が被害者を山中に運んだ車の床から大量の血液反応が出たことも判明。捜査本部は、車内での暴行を裏付けるものとみている。
生活保護の受給基準は年齢制限がなく、未成年者の単身世帯でも要件を満たせば生活保護費を受給できる。
福祉や捜査の関係者によると、少女は今年に入り、月額約10万円の生活保護費を受給。周囲に「親からネグレクトされていた」と打ち明けていたという。
少女は一時、鳥取県内の施設に保護されたこともあったが、その後は友人宅を転々として、今年4月中旬、広島市中区の6階建てマンションに入居した。部屋は6畳の洋室とキッチンなどがついた1Kタイプ。家賃は生活保護の中の住宅扶助費上限である月額4万2000円(広島市の場合)だった。
マンションには交際相手の少年(16)=鳥取県米子市=ら今回の事件で逮捕された者が複数、出入りしていた。事実上、未成年者だけで共同生活を送っていたという。
関係者によると、逮捕グループの中には、同様に、育児放棄のような児童虐待を受けるなど、家族との間で深刻な問題を抱えている者が複数いるという。
少女は、14日に逮捕された広島市東区の少女(16)に誘われ、被害者とみられる高等専修学校の女子生徒(16)と一緒に接客業をしていた。その収入と生活保護費で生計を立てていたとみられる。
捜査本部はこうした少女らの生活環境が事件に及ぼした影響についても調べる方針。
*未成年者受給、全国で1473世帯
厚生労働省によると2011年7月末現在、全国の生活保護受給世帯(約202万人)のうち、未成年者は1473世帯(人)に上る。年齢別では▽5歳以下=39人▽6〜11歳=38人▽12〜14歳=50人▽15〜17歳=295人▽18〜19歳=1051人。
未成年者は、育児放棄のように家族や親族に養ってもらえないケースで、施設入居など他の行政支援策が適用できない場合、単身生活の生活保護費が支給される。未成年受給者数の大部分を占めるとみられる施設入居者にも生活保護費が支給されるが、行政支援策からはみ出た部分のみの支給という。
厚労省は、今回の死体遺棄事件で明らかになったような施設に入らず、マンションなどで単身生活を送る未成年受給者数について統計がないとしている。
自治体担当者によると、未成年者が生活保護を受ける場合、受給者に就職のために必要な学歴や職務経験がないことがある。このため、経験がなくてもできる単純作業などで働くが、同僚と境遇が違うために職場になじめず退職するケースがみられるという。
元ケースワーカーで、花園大学社会福祉学部の吉永純教授(公的扶助論)は「生活保護を受給する少年少女の単身生活は原則、避けるべきだ。ただやむを得ない場合は、児童相談所、福祉事務所、警察などで設置する専門の地域協議会が受給者を定期的に訪問して、地域のネットワークによる支援を絶やさない対応が重要だ」と指摘している。【吉村周平、石川裕士】
*上記事の著作権は[毎日新聞]に帰属します *強調(太字・着色)は来栖
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◇ 「広島 呉 LINE殺人事件」愛着障害―幼少期受けた虐待や育児放棄により自他を思いやる想像力が育まれず 2015-02-14
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広島死体遺棄の16歳が「生活保護受給」報道 親がいるのに受給できることに驚きの声
J-CASTニュース2013/7/22 19:41
広島県呉市の少女死体遺棄事件で、逮捕された7人のうち広島市中区の少女(16)が生活保護を受給していたと一部で報じられた。親がいる未成年なのになぜ受給できるのかと、ネット上で話題になっている。
この事件では、逮捕された7人のうち6人が未成年で、かなり荒んだ共同生活などを送っていたことが浮き彫りになっている。
*「親にはネグレクトされた」というが…
うち広島市中区の少女については、毎日新聞の2013年7月20日付記事によると、13年に入ってから、単身世帯として月額約10万円の生活保護費が区から支払われていた。少女は4月中旬からマンションの1Kの部屋に入居し、その家賃は、住宅扶助費上限の4万2000円だったそうだ。
少女には、親がいたものの、ネグレクトされたと周囲には言っていたという。鳥取県内の施設に一時保護されたが、その後は、マンション入居まで友人宅を転々としていた。マンションでは、逮捕された交際相手の鳥取県米子市の少年(16)らと事実上、共同生活をしていたという。
この報道に対し、ネット上では、未成年者の受給という事態に驚きの声が上がっている。さらに、こんな疑問も相次いだ。
「え?親の扶養義務は???」「なんで児童施設にいれないの?」「16で働けないことはないだろう。なんで保 護受けてんだよ」
広島市中区の生活課では、取材に対し、「特定の個人については、保護を受けているかの問い合わせにはお答えできない」とした。ただ、一般論として、未成年でも場合によっては生活保護を受給できると説明した。
「確かに、児童福祉法による施設入所で問題が解決できれば、支給することはありません。しかし、施設に入所できず、親など身内の援助もなければ、最後に生活保護が機能することになります。受給には年齢制限はありませんが、あくまでもレアケースです」
*接客業で一緒に稼いでいた可能性も
16歳なら働けることについて、広島市中区の生活課は、そのことを認めながらもこう言う。
「働く能力があると言っても、受給できないわけではありません。失業するなどすれば、次の仕事を見つけるまで、生活保護を受けることはできます」
ただ、障害や病気などの理由もなく、いつまでも受給できるわけではなく、働かなければ打ち切られることもあるとした。
今回の事件で自首した広島市東区の別の少女(16)は、友人らと接客業をして、月に100万円ほども稼いでいたこともあるとされ、中区の少女も一緒に働いていた可能性が報じられている。
仕事をしていても、収入が少なく最低生活基準を満たさなければ、生活保護が支給されるが、少女の場合、どの程度稼いでいたのかは不明だ。
厚労省の保護課によると、2011年7月末時点で、単身世帯として生活保護を受給している未成年者は、全国に1473人いる。この中には、施設に入っている乳幼児なども含まれているが、入所では満たされない部分があったり、受給していた親が何らかの理由でいなくなったりしたときなどがありうるという。
*上記事の著作権は[J-CASTニュース]に帰属します
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広島16歳少女死体遺棄事件の様々な謎 「接客業」めぐるトラブル?の報道も
J-CASTニュース2013/7/18 18:24
広島県呉市で起きた16歳少女の死体遺棄事件は、数多くの謎を抱えている。2013年7月18日には、真偽は不明だが、人を殺したと自首してきた少女(16)が仲間を集め接客業をして月に100万円を稼いでいた、この少女たちの間で分配金を巡るトラブルがあった、などという報道も出た。
ネットではこの「接客業」とは何だったのか、様々な推測が生まれている。
*利益の分配金を巡って金銭上のトラブルを抱えていた?
この事件は16歳の少女が元同級生の少女を殺して山中に捨てたと13年7月14日に自首して逮捕された。自首した少女はメールアプリ「LINE(ライン)」に悪口を書かれたため腹を立て2人きりで山に行き首を絞めて殺したと供述していたが、17日になり犯行に関与したとして16歳の少年少女5人と21歳の男を含む6人が新たに逮捕された。
殺された少女を加えたこの8人は事件のあった13年6月下旬に、広島市中心部で21歳の運転するワゴン車に乗り込み遺棄現場の灰ケ峰に移動したのだという。新たに逮捕された6人のうち、この時に殺された少女に暴行を働いたという者もいれば手を出していないと供述するものもいる。またこの6人の中には初対面だった者も含まれているという、なんとも複雑な関係になっている。
少女が少女を殺害するきっかけになったのが「LINE」で悪口をかかれた事とされているが、もともと仲が良かった2人が喧嘩をした原因はよくわかっていない。そうしたなかで18日の共同通信、毎日新聞に出た記事がネットで取り沙汰されている。それは、逮捕された少女が、死亡した少女を含めた仲間6、7人を集めて「接客業」をしていた。知人に「最初の1カ月で100万円ぐらい稼いだ」と話しているという。そしてこの2人は、仕事上での利益の分配金を巡って金銭上のトラブルを抱えていた、というのだ。
このトラブルとは、そして「接客業」とはいったい何なのか。テレビ朝日系情報番組「モーニングバード!」ではこの2人の少女をよく知るという女性がインタビューに答えている。それは、
「子供どうしのフリーマーケットとかあって、お金を被害者が払わなくて居なくなった。逮捕された女性に『探して』って言われたことがあった」
というものだ。
*新たな事件が明るみに出る可能性も?
フリーマーケットで思い浮かぶのは、公園や空き地に不用品などを持ってきて青空の下で販売する、あのスタイルだ。ただし、それで月に少女が100万円も稼げるのだろうか。また、このフリーマーケットは逮捕された少女が企画したもののようだが、死亡した少女がお金を払わないというのはどういうことなのだろうか。
ネットではこの「接客業」の正体は何なのか、と話題になり
「未成年が胴元になって揉める接客業ってなんだよ」
といった詮索が行われている。
接客業という用語は、広義では単にお客と直接やりとりする仕事という意味だが、事件や犯罪がらみの報道では、風俗店などの仕事を指すことが多い。16歳が接客していたとしたら、LINEでやりとりしていたということもあり、その客なども判明して罪に問われるのではないか、そうなると、別の事件も明らかになっていくのではないか、と考えている人もいる。
*上記事の著作権は[J-CASTニュース]に帰属します
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◇ 「広島 呉 少女死体遺棄事件」16歳少女が見た《自分が殺した同級生少女の腐乱遺体》 LINEで喧嘩の末に 2013-07-27
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◇ 「広島 呉 少女死体遺棄事件」遺体は黒瀬恵利華さん/凄惨な犯行「根性焼き」の痕/殺人容疑で7人再逮捕へ 2013-07-27
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◇ 「広島 少女死体遺棄事件」被害者とはこの日初めて会ったという少女も加わって暴行~LINEで知り合った 2013-07-24
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◆ 安田好弘著『死刑弁護人 生きるという権利』講談社α文庫
p3~
まえがき
いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。
なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。
他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。
私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決していくことができる人たちである。
そして「弱い人」とは、その反対の人、である。
私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。
それは、私が無条件に「弱い人」たちに共感を覚えるからだ。「同情」ではなく「思い入れ」と表現するほうがより正確かもしれない。要するに、肩入れせずにはいられないのだ。
どうしてそうなのか。自分でも正確なところはわからない。
大きな事件の容疑者として、連行されていく人の姿をみるたび、
「ああ、この人はもう一生娑婆にはでてこられないだろうな・・・」
と慨嘆する。その瞬間に、私の中で連行されていく人に対する強い共感が発生するのである。オウム真理教の、麻原彰晃さんのときもそうだった。
それまで私にとって麻原さんは、風貌にせよ、行動にせよ、すべてが嫌悪の対象でしかなかった。宗教家としての言動も怪しげにみえた。胡散臭いし、なにより不遜きわまりない。私自身とは、正反対の世界に住んでいる人だ、と感じていた。
それが、逮捕・連行の瞬間から変わった。その後、麻原さんの主任弁護人となり、彼と対話を繰り返すうち、麻原さんに対する認識はどんどん変わっていった。その内容は本書をお読みいただきたいし、私が今、あえて「麻原さん」と敬称をつける理由もそこにある。
麻原さんもやはり「弱い人」の一人であって、好むと好まざるとにかかわらず、犯罪の渦の中に巻き込まれていった。今の麻原さんは「意思」を失った状態だが(これも詳しくは本書をお読みいただきたい)、私には、それが残念でならない。麻原さんをそこまで追い込んでしまった責任の一端が私にある。
事件は貧困と裕福、安定と不安定、山の手と下町といった、環境の境目で起きることが多い。「強い人」はそうした境目に立ち入らなくてもじゅうぶん生活していくことができるし、そこからしっかり距離をとって生きていくことができるが、「弱い人」は事情がまったく異なる。個人的な不幸だけでなく、さまざまな社会的不幸が重なり合って、犯罪を起こし、あるいは、犯罪に巻き込まれていく。
ひとりの「極悪人」を指定してその人にすべての罪を着せてしまうだけでは、同じような犯罪が繰り返されるばかりだと思う。犯罪は、それを生み出す社会的・個人的背景に目を凝らさなければ、本当のところはみえてこない。その意味で、一個人を罰する刑罰、とりわけ死刑は、事件を抑止するより、むしろ拡大させていくと思う。
私はそうした理由などから、死刑という刑罰に反対し、死刑を求刑された被告人の弁護を手がけてきた。死刑事件の弁護人になりたがる弁護士など、そう多くはない。だからこそ、私がという思いもある。
麻原さんの弁護を経験してから、私自身が謂われなき罪に問われ、逮捕・起訴された。そういう意味では私自身が「弱い」側の人間である。しかし幸い多数の方々の協力もあり、1審では無罪を勝ち取ることができた。裁判所は検察の作り上げた「作文」を採用するのでなく、事実をきちんと読み込み、丁寧な判決文を書いてくれた。
多くの人が冤罪で苦しんでいる。その意味で、私は僥倖であった。
この国の司法がどこへ向かっているのか、私は今後も、それを監視しつづけていきたいと思っている。「弱い人」たちに、肩入れしつづけていきたいと思っている。(~p5)
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