麻原に“オシメを外せ”と言ってやる 遠藤誠一・土谷正実 2人の科学者 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(6)

2018-04-06 | オウム真理教事件

麻原に“オシメを外せ!”と言ってやる――「オウム死刑囚」2人の科学者
社会週刊新潮 2018年4月5日号掲載

    土谷正実

「オウム死刑囚」13人の罪と罰(6)
 弁護士一家を殺害後、オウムは総選挙に出て惨敗。国家転覆を企て、武装化を決断。生物・化学兵器の製造にも乗り出した。その中心となったのが、遠藤誠一、土谷正実の2人の科学者である。
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 遠藤は1960年、北海道の出身。帯広畜産大学を経て大学院は京大に進み、遺伝子工学を学んだ。87年の入信後、麻原の四女の許嫁(いいなずけ)にもなっているから、麻原の寵愛ぶりがわかるというものだ。教団では「厚生省大臣」の地位に就いた。
 一方、そこにライバルとして現れたのが土谷である。1965年、東京に生まれた土谷は筑波大の大学院に進み、有機化学を専攻。91年に出家した。親は猛反対し、ある寺の協力を得て監禁までしたものの、土谷は脱出し、遠藤と共に働くことになる。
 ジャーナリストの江川紹子さんが言う。
「遠藤には、ボツリヌス菌、炭疽菌などの製造が命じられた。しかし、彼はそれにことごとく失敗してしまうのです。部下に自分の感情をぶつけてしまう遠藤に対し、土谷は温厚で、比較的慕われていたそうです。そんな遠藤を土谷は嫌っていた」
 土谷は麻原に進言し、自らを同じく「厚生省大臣」にしてもらう。教団内では、第1と第2厚生省が並び立つ、異常事態が起きたのだ。
「金ばかりかけて何も作れなかった遠藤に対し、土谷は93年、VXやサリンの製造に成功しています。それに遠藤は嫉妬した」(同)
 皮肉にも、こうしたライバル関係が、お互いを高め、次から次へと、化学兵器が製造されることになる。そして、その極北である猛毒サリンは、1994年、松本市で散布され、8名の命を奪ったのだ。
 事件後も2人の関係は変わらなかった。怨念募らす土谷は、法廷で遠藤を悪しざまに罵倒。わざわざ遠藤の尋問に立ち、彼の化学知識の少なさを際立たせるような質問をした。弁護人に「後悔していることはないか」と聞かれ、「(麻原に)遠藤を殴っていいと言われたのに殴らなかったこと」と述べたこともあるほどだ。
“オシメを外せ!”
 共に2011年、死刑が確定。
 その後、遠藤は外部に対し、沈黙を守っている。
 作家の大石圭氏は、もともと実家が土谷と隣同士だったこともあり、死刑確定後の一時期、交流を持った。
 大石氏が言う。
「土谷君はお母さんに拒絶されていた。その中立ちをしてほしいと頼まれました。しかし私はお母さんを説得できず、本人もハガキを書いたのですが、返事は来なくて諦めたそうです。接見ではいつも取り留めのない話で、よくオウムの話題にもなりました。土谷君はサリンを作りたくなかったそうで、“遠藤が無能だから、失敗したから、サリンを作らされてしまった”と。自分の死刑が確定した時、たまたま遠藤とすれ違ったとか。その時の遠藤の様子が実に嬉しそうだった、とも言っていました」
 麻原に対しての怒りもすさまじいものがあるという。
「麻原を詐病だと決めつけていました。本当は話せるのに話していない、と。もし会えるのであれば会いに行き、“立ち上がれ! オシメを外せ!”と言ってやる、と。ものすごい怒りがこもっていました」
 土谷は、死刑確定前に、古くからの知り合いの女性と獄中結婚をしている。
 その妻が言う。
「たまに刑務官の方と揉めて保護房に行くことがあるのですが、私と会う時は、心穏やかです。よくしゃべるし、よく笑う。普段は化学の専門書を読んだり手紙を書いたり。先日も面会に行きましたが、移送のことは知りませんでした。誰それがどこへ行ったよ、と教えてあげると、ああそうなんだ、という反応で。土谷はサリンがあのように使われるとは聞かされていませんでしたが、再審請求もせず、死をもって償う覚悟をしています」
 それぞれの弟子がそれぞれの“事情”で麻原の魔の手に操られ、暴走は歯止めのきかないものになっていった。そして、23年前の3月20日、教団はついにカタストロフを引き起こすのである。
 (7)へつづく
  短期集中連載「13階段に足をかけた『オウム死刑囚』13人の罪と罰」より

 ◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です
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13名の命を奪った「地下鉄サリン事件」実行犯たちの今 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(8)最終回
“修行の天才”井上嘉浩 再審請求は“生への執着ではない”  「オウム死刑囚」13人の罪と罰(7)
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◇ 拘置所衛生夫が見た「オウム麻原彰晃」の今 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(1) 「週刊新潮」2018年3月29日号
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地下鉄サリン事件から16年 / 「麻原は詐病やめよ」土谷正実被告死刑確定へ 2011/2/15 


* オウム 遠藤誠一 故死刑囚の遺体搬送 「アレフ」施設へ 2018.7.7 執行前に遺体の引き渡し先にアレフを指定

  
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