麻原彰晃、暴走の原点は幼少期 権力維持で求めた“仮想敵” 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(2)「週刊新潮」2018年3月29日号

2018-03-29 | オウム真理教事件

麻原彰晃、暴走の原点は幼少期 権力維持で求めた“仮想敵”
 週刊新潮 2018年3月29日号掲載
■「オウム死刑囚」13人の罪と罰(2)
 一連のオウム真理教事件の死刑囚13名のうち、7名が東京拘置所から各地の拘置所へ移送された。これは、死刑執行のXデーが秒読みであることを意味していている。教祖・麻原彰晃の「罪と罰」を振り返る。
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 麻原の軌跡は、オウムの軌跡そのものでもある。
 1955年、熊本生まれ。生まれつき左目が不自由で小学校で盲学校に転入した。卒業後、上京して鍼灸院や漢方薬局を営む一方、宗教に目覚め、ヨガ塾を開設。後に宗教団体に発展させ、87年、「オウム真理教」を設立した。
 その後、勢力を拡大させる一方、早くも条件によっては殺人すら正当化される――「ヴァジラヤーナ」の思想や終末思想のハルマゲドンを唱え始める。ひとつの転機は、88年、信者が修行中に事故死し、これを隠蔽したこと。翌89年には、事故死を知る信者が脱会しようとしていることを知ると彼を殺した。これが最初の殺人である。この後、信者の脱会に尽力していた坂本弁護士一家3名を殺害した。
 次の転機は90年。政界進出を狙って「真理党」を立ち上げ、総選挙に立候補。これに惨敗したことから、国家転覆を目指して武装化を決意。ボツリヌス菌、毒ガス、炭疽菌など「兵器」の生産を次々と試みた。この間にも、脱会を試みた信者などを複数、殺害している一方で、93年にはサリンの製造に成功。翌94年には、訴訟妨害を狙って松本市の裁判官官舎周辺で散布し、8人を殺めた。そして、95年には、迫りくる警察の捜査攪乱を狙って地下鉄にサリンを撒き、13名の命を奪った――これが一連の裁判で認定された事実である。
 教祖である麻原はすべてにおいて、指示・命令を行った。直接手を下すことはなかった。死者数は27名。戦後の主要犯罪でも、もちろん最多となる数である。
■「車両省大臣」が語る
「彼の暴走の原点は、幼少期にあると思います」
 と言うのは、『麻原彰晃の誕生』の著書がある、作家の高山文彦氏である。
「麻原は全盲ではないのに、6歳の頃、口減らしのため無理やり盲学校に入れられている。彼はこれを“親に捨てられた”と思い込んでいた。また、盲学校では児童会長や生徒会長の選挙に出ましたが、ことごとく落選してしまった。こうした挫折感を初めて満たされたのが、ヨガ教室の頃。信者が自分を次々と慕ってくるのが、嬉しくてたまらなかったのでしょう」
 しかし一方で、自らの行いが、広く社会に受け入れられるとも思ってはいなかったはずだ。
「そこで信者を自分に引き付けておくには絶え間ない受難が必要と考えた。仮想敵が必要になるのです。自らの権威、権力の維持のために、信者に仮想敵を突き付け、危機感を煽り、屋上屋を架すように嘘を積み重ねていった。そのうち自分の中でも嘘と現実の境目が付かなくなってしまったのではないでしょうか」(同)
 この様子を内側から見つめていたのが、元オウム真理教の「車両省大臣」であった、野田成人氏である。
「確かに、総選挙で敗れた際、“票の入れ替えがあった”と主張し出して以後、オウムには仮想敵と言える存在が常にありました。そして、教団が暴走し出して以後、麻原自身、国家権力によってオウムが潰されると本気で思い込んでいたと分かる“焦り”が見られました」
 そして言うのだ。
「それが原因でオウムは潰れたのですから、本末転倒と言えますが……」
 95年の逮捕以後の軌跡もこれをなぞるかのようだ。
■“執行できるのか”
 公判では当初“まとも”だった麻原だが、後に「アイ・キャン・スピーク・イングリッシュ・ア・リトル」などと突如、英語を交えるなど意味不明の弁論を展開した。2006年に死刑が確定。その後も、面会に来た娘の前でマスターベーションを見せるなど“狂気”はエスカレートするばかり。そして、08年以降は、誰の面会にも応じなくなった。そしてその閉ざされた空間では、先の証言のように(第1回参照)、糞尿まみれの生活を送っているのである。
「その姿を見た刑務官が、“本当に執行できるのかな”と呟いていたことがありました」(元衛生夫)
 当時も今も一貫して現実から逃れ続ける麻原。まもなく来るはずのその「瞬間」には、果たして現実に戻ることができるのだろうか。
(3)へつづく
 短期集中連載「13階段に足をかけた『オウム死刑囚』13人の罪と罰」より

 ◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です
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◇ 拘置所衛生夫が見た「オウム麻原彰晃」の今 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(1) 「週刊新潮」2018年3月29日号
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オウム死刑囚13人の同時執行は無理 法務省「7人移送」本当の狙い (「デイリー新潮」2018/3/26)

   
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