『ふしぎなキリスト教』橋爪大三郎×大澤真幸 講談社現代新書

2012-06-08 | 本/演劇…など

キリスト教聖職者の喫煙、飲酒は本人次第 牧師は離婚も可
NEWSポストセブン2012.06.08 07:00
 社会学者の橋爪大三郎氏と大澤真幸氏の対論集『ふしぎなキリスト教』が30万部のベストセラーとなり、キリスト教ブーム再びの感がある。日本のキリスト教信者は対人口比1%弱だが、まだまだ知られていないことは多い。
 たとえば、カトリックの神父、プロテスタントの牧師など聖職者であっても、喫煙、飲酒は本人次第だ(プロテスタントには禁酒禁煙を信仰の証しとみる教派もある)。神父と違い、牧師の場合は結婚も離婚も自由だ。
 「ただし、聖職者にあるまじき行為に及んだ場合、処分が下されます。軽いほうから順に戒告、職務停止、除名があります。過去に女性問題と金銭問題を同時に起こし、除名されたケースもあります」(日本基督教団・事務局)
 カトリックさいたま教区の司祭には妻と子供がいる。
 「この司祭はもともと、妻帯が許されている英国聖公会の司祭で、カトリックに移籍する以前に結婚していたのです。こうした方がカトリック司祭になる道は、外国では少し前に開かれていましたが、日本では初めてで、この方が最初で最後の特例として認められたそうです」(キリスト教会研究者・八木谷涼子氏)
※週刊ポスト2012年6月15日号
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〈来栖の独白2012/6/8 Fri.〉
 現在、新潮新書『新・堕落論』〈石原慎太郎著〉などを読んでおり(常時、数冊掛け持ちで読む)、『ふしぎなキリスト教』は、ほぼ積読中に近い。
 『ふしぎなキリスト教』の購入動機は大澤真幸氏という名前にひかれたこともあるが、私にとっての生命線ともいうべき「不可解なたとえ話」(p217~)である。『ブドウ園の労働者・放蕩息子・99匹と1匹・マリアとマルタ・カインとアベル』(~p230)は、真っ先に読んだ。「わたしは、こうしたいから、するのだ」という神の理不尽な“わがまま”を、私は胸のすく思いで聴く。「朝から働いた者も夕方から働いた者も、同じ賃金を支払う。わたし(神)が、そのようにしたい(遇したい)から、そうする」「立派で勤勉な人間よりも、道を踏み外した、ごみのような(無価値と思える)人間を、わたし(神)は心配し、そのたった一人の(1匹の)彼が生きることを喜ぶ」。
 私は、これら神の理不尽な途方もないメッセージに支えられて生きてきた。おのが歩む道を選択してきた。懐かしい愛おしいメッセージだ。
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[神的暴力とは何か] 死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い 暴力抑止の原型 大澤真幸(中日新聞2008/2/28) 
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◇ 「おどろきの中国」日本人が中国を理解できない理由 座談会<橋爪大三郎×大澤真幸>    


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