横浜地裁「電動のこぎり事件」(死刑判決2010-11-16)と『極刑・市民の選択』

2010-12-06 | 裁判員裁判/被害者参加/強制起訴

極刑・市民の選択:/上 2人殺害死刑判決(その1) 裁判員、苦渋の10日間
  市民が初めて選択した極刑に、被告は背筋を伸ばして「ありがとうございます」と一礼し、裁判長は控訴を勧めた。16日、男性2人を殺害したとして強盗殺人罪などに問われた池田容之(ひろゆき)被告(32)に対し、横浜地裁は裁判員裁判初の死刑判決を言い渡した。記者会見した一人の裁判員は、非常に重い選択に至った経緯を、かみしめるように振り返った。
 「すごく悩んだ。これは本当に重いと思う」。16日正午前、死刑判決から約50分後、男性は緊張した面持ちでマイクを握り、とつとつと語り出した。
 横浜地裁2階にある裁判員候補者の待合室。詰めかけた約30人の記者の正面には四つの長机といすが横一列に並べられ裁判員6人を待ち受けていた。しかし、現れたのはこの50代の男性1人だった。
 全員が記者会見に出席すると思っていたが誰も手を挙げず、記者の質問は怖かったが、誰も出ないわけにいかないと思ったのだという。質問に何度も口ごもり考え込みながら答えた。「法廷では何回も涙を流してしまいました。今も思い出すと涙が出る」。男性は判決までの10日間を、振り返った。
 男性は第4回公判の5日、池田被告が目を真っ赤にさせていたのが印象に残っている。それまで被告は淡々と自分の行為を振り返り、時には弁護人の質問に「重複が多い」といら立ちを見せることもあった。
 しかし、遺族の証人尋問が行われたこの日、変化を見せ始めた。「被告は頭の先からつめの先まで(切断されることなく)全部そろって死ぬことができる。しかも苦しまずに。なんて恵まれた死に方ができるんだろう」。出廷した被害者の会社員(当時36歳)の妻が、怒りをぶつけた。被告の母の「もし帰ってこられるなら帰りを待ちたい」という上申書も読み上げられた。翌日、被告は弁護人との面会で「ばかなことをやった」と接見室の机に両手をつき、おえつを漏らしたという。
 8日の第5回公判。裁判員が相次いで被告に尋ねた。「どこで道を外したのか」。別の男性裁判員の質問に被告は「明らかにあの時(事件時)の私利私欲だと思う」と頭を下げた。会見した男性は、被告が事件の2日後、自分の妻とDVDで見たという東野圭吾さん原作の映画「手紙」について尋ねた。「ご覧になったと言いましたね」。殺人犯の兄とその弟を描いた作品だ。
 妻の調書によると、被告は映画を見ながら「おれが殺人犯だったらどうする?」と語りかけたという。映画で、兄は被害者の遺族に毎月、手紙を送っている。男性は重ねて聞いた。「被害者の無念を晴らすためにどうしたらいいか」。被告は「自己満足にならないよう、(遺族の)意見を聞いて答えを出したい」と語った。審理最終日の10日、弁護側は最終弁論で訴えた。「裁判員のみなさん、池田さんに人間性を感じていただきたい」
 16日午前10時28分、池田被告は公判を通じ初めてスーツ姿で法廷に現れた。朝山芳史裁判長が主文を後回しにし判決理由の朗読から始めると、一瞬目をつぶり、その後は裁判員の方を向き表情は変えない。その様子を時折横目で見ながら裁判員たちは手元の判決文に目線を落としていた。
 約35分の朗読の最後で、朝山裁判長が極刑を宣告すると、被告は背筋を伸ばして正面を見つめた。その視線を受け止める裁判員たちは、いずれもこわばった表情だった。
 裁判員裁判で初めて死刑が求刑された耳かき店員ら2人殺害事件の公判でも、裁判員たちは林貢二(こうじ)受刑者(42)=無期懲役確定=に反省の気持ちを繰り返し尋ねた。判決は公判中の被告の変化をくみ取り、「極刑がやむを得ないとまでは言えない」と結論付けていた。
 横浜地裁の判決も「被告は失っていた人間性をようやく回復した」と、林受刑者と同じように池田被告の法廷での変化を認めた。しかし、結論は異なった。「被告は今、遺族に何かしたいと思っている。もしも自分が被告ならば……。控訴を願うと思う」。会見した男性は、揺れる胸の内を吐露した。【伊藤直孝、長野宏美】
 ◇更生可能性訴え「時間なかった」--弁護団
 池田被告の弁護団4人は判決後、地裁近くで会見し「被告は公判の中で心の中が変わっていった。更生可能性を認めながら、このような判決になったのは残念」と述べた。「力不足もあるが時間がなかった。制度のきつさを感じた」とも語った。
 一方、横浜地検の加藤朋寛次席検事は「極めて重い判断を下された裁判員の方々のご努力に敬意を表したい」とのコメントを出した。【中島和哉】
毎日新聞 2010年11月17日 東京朝刊

極刑・市民の選択:/上 2人殺害死刑判決(その2止) 内面探り続けた裁判員
 傍聴記
 「時間を巻き戻せるなら、どこまで巻き戻したいですか」
 被告人質問で女性裁判員が、池田被告に投げかけた問いが印象に残っている。
 非情で悲惨な事件性から永山基準に照らせば極刑は免れないと考えてはいた。「裁判員裁判で初」と報じられる中、面前の被告に死を突き付ける判断を迫られた裁判員の重圧は大きかっただろう。生きて償わせるべき理由はないのだろうか--。その可能性を探ったのは想像に難くない。
 遺族の話に被告が法廷で涙を見せたこともあった。判決も「公判で遅ればせながら謝罪と反省の意を表している」と言及。傍聴席でも被告の心情の変化は感じられた。例えば、償い方を巡るやりとりだ。
 「いまだ答えが出せずにいる。求めているのは判決です」。覚せい剤密輸などを審理した前半の公判ではこの程度だった。1カ月後、被害者遺族が「池田被告、死んでください」と訴え、裁判員や女性裁判官を涙させた。その3日後、被告は法廷で「『答え』をいただいたと思い感謝している」と話した。弁護人は「人間性のかけらを発見した」と表現したが、遺族の声を聞くまで真に反省していなかったとも言える。
 公判の前半ではメモを取る手が止まったことがある。殺人は重罪と迫る検察官に「僕には詐欺、覚せい剤密輸、殺人、どれが一番重いかは判断しづらい。殺人だけが一番悪いだとか認識してませんでした」と答えた。起訴されていない詐欺罪も挙げ持論を述べる姿はまるでへ理屈をこねる子どもだ。傍聴席の遺族を前になぜそんなことが言えるのか。
 密輸に加担した理由を「家族を養う必要があったためか」と検察官に問われ「言い訳にしていいものかどうか……」と再三口を濁した。家族への配慮とも、家族を言い訳にはしたくない見えとも、とれる。被害者にも家族がいることに、なぜ思いが至らなかったのか。
 判決後に、ただ一人会見した50代男性裁判員も「初日は本当に突っ張っていて『悪いことをしたんだ。殺せ』と言っているようだった」と振り返った。この男性が公判で被告の言葉に何度もうなずく姿を見た。被告の内面を知りたかったのだろう。そういう裁判員たちでも「酌むべき事情がないかを検討し議論を尽くした」(判決理由)結果は、やはり極刑だった。
 池田被告は判決言い渡しの間ずっと、裁判員らが並ぶ法壇に体を向けていた。いま、死刑を宣告された己と真に向き合う覚悟はあるのだろうか。【中島和哉】
 ◇非公開評議は3日間 平均上回る20時間
 池田被告の裁判員裁判は区分審理が適用され、2人殺害を審理した後半の裁判は、10月29日に新たに男女各3人の裁判員を選び直し、今月1日に初公判を迎えた。公開の法廷で6日間の審理を経て結審、判決まで非公開の評議が3日間あった。
 地裁は評議に要した時間を公表していないが、3日間とも午前中から夕方まで話し合ったとすると、計20時間近い。最高裁が7月末時点でまとめた評議時間の全国平均は約7・5時間なので、それを大きく上回る。
 池田被告は、法定刑が死刑か無期懲役となっている強盗殺人罪を含めて起訴内容を認めた。検察側が死刑を求刑し、極刑か回避かが最大の争点になり、評議では情状面を議論したとみられる。
 裁判官3人と裁判員6人の評議内容は公開されないが、裁判員法によると、全員一致ではない場合、判決は多数決。裁判官と裁判員の立場は対等で、5人以上の意見で決まる。より重い刑の言い渡しなど被告に不利な判断を出す場合には少なくとも1人の裁判官の賛成が必要だ。裁判員5人が「死刑」でも、残る裁判官3人と裁判員1人が「無期懲役」だと判決は無期懲役にとどまる。より重い刑である死刑を下すには裁判官が賛成していなければならないためだ。
毎日新聞 2010年11月17日 東京朝刊

極刑・市民の選択:/上 2人殺害死刑判決 識者の話
 ◇意を決して適用せねばならない--元最高検検事の土本武司・筑波大名誉教授の話
 いわゆる永山基準に照らしても極刑が相当のケースで、プロの裁判官と裁判員が死刑という結論を導いたのは妥当だ。市民にとっては重い判断だが、我が国が死刑制度をとる以上、死刑にふさわしい事件では意を決して適用せねばならない。もし今回、死刑を回避していれば、死刑制度は有名無実になるところだった。一方、裁判長が「控訴を勧めたい」と説諭したのは、裁判員の精神的負担への配慮だったのかもしれないが、適切ではない。控訴するかどうかは被告側の自由意思に委ねられるべきであり、「控訴して更に争いなさい」と言わんばかりの説諭は、裁判員裁判への信頼を損ないかねない。
 ◇市民に判断委ねる制度は疑問--元判事の西野喜一・新潟大法科大学院教授の話
 極めて残虐な事件で死刑はやむを得ないと思うが、つつましく暮らしてきた市民にとって大変な負担だったのではないか。残虐な写真などがトラウマになる恐れもある。苦しい仕事をするために裁判官には高い給料が支払われている。日本の法は量刑の幅が広く、市民にその判断を委ねる制度は疑問だ。今回は事実関係に争いがなかったが、今後は死刑か無罪かが真っ向から争われるケースも予想される。その時は裁判員はさらに悩むことになる。
 裁判長が控訴を勧めたのは最終的な責任を負いたくなかったのか、裁判員の中に異論があったからなのか分からないが、潔くない印象が残り、残念だ。
 ◇「抵抗感から回避」の恐れ薄らいだ--裁判員制度や死刑制度を描いた漫画家・郷田マモラさんの話
 犯行の凶悪性や私利私欲を追求した動機を考えれば、今回の死刑判決は妥当だと思う。裁判員はよく事件を吟味して決断している。裁判員裁判が始まってから、裁判員が死刑判決を下すことへの抵抗感から不当に死刑を回避する恐れがあると考えていた。だが、今回の判決でその恐れも薄らいだ。
 それでも、一般人の裁判員が死刑判決を出す心理的負担は相当なものだ。刑が執行された時、裁判員に大きな心情の変化があるのではないかと心配になる。死刑制度の知識が少ない中で判決を出すのも問題だ。将来的には、死刑求刑の裁判は裁判員裁判から外すことを考えるべきだ。
毎日新聞 2010年11月17日 東京朝刊

極刑・市民の選択:/中 判断の基準は…「ない」 裁判官も悩み判決
  6月、東京地裁で強盗殺人事件の裁判員を務めた男性会社員(42)は裁判長に尋ねた。法定刑は死刑か無期懲役。
「二つを分ける基準はあるのですか」
 強盗致傷など五つの前科があった被告の男(51)は、出所後1年足らずで以前働いていたマージャン店に押し入り、従業員を殺害して売上金を奪った。遺族は「弟の顔の傷は無残で違う人みたいだった」と声を震わせて、死刑を求めた。
 男性は「自分に死刑を言い渡せるか。何を基に判断すれば」と悩んだ。思い切ってぶつけた質問に裁判長は「基準はありません」とだけ答えた。裁判員同士で話しても雰囲気は重く「死刑も点数制で判断できればいいのに」と漏らす人もいた。
 求刑は無期懲役にとどまり、少しほっとし、その通りの判決になった。しかし、初公判から判決まで3日間というのは短過ぎた。16日にあった裁判員裁判初の死刑判決について「犯罪や刑罰を深く考えられる今なら、自分も死刑を判断できるかもしれない。でも、じっくり考える時間はほしい」と話した。
 死刑は、プロの裁判官も悩みながら選択してきた。そして、いつまでも心におりのように残る。「裁判官は死刑選択を覚悟しているが、それでも迷う。裁判員はつらいと思う」。元裁判官の荒木友雄・流通経済大客員講師(74)は語る。
 思い出すのは東京高裁の裁判長として00年、事件当時21歳の男に対し、1審と同様に無期懲役を言い渡した判決だ。男は2人を殺害し1人に重傷を負わせた。殺害方法は残虐だが、仲間内のいじめがエスカレートした末の事件だった。悩み抜き、極刑は回避した。
 07年12月、荒木氏は別の殺人事件で判決にかかわった死刑囚の刑が執行されたと聞き、判決文を読み返した。内容に自信はあるが、実際に死を突きつけられると、穏やかではいられなかった。「プロですら『大丈夫だったか』と思う。裁判員が死刑執行を耳にした時のショックは計り知れないだろう」。元裁判官の高橋省吾・山梨学院大法科大学院教授(67)は「判決は、裁判員6人と裁判官3人で議論した末の結論。個人で極刑を決めたと理解しない方がいい。裁判官だけで改めて審理する上級審もある」と助言する。
 裁判官だけの裁判で死刑を言い渡された被告は、市民から極刑を判断されることを、どう思っているのか。外国人女性2人を殺害したとして殺人罪などに問われた男(51)は東京拘置所で面会した記者に「裁判員が死刑を判断することに賛成だ」と語った。1審は無期懲役だったが、2審で死刑となり上告中。「プロも人間。検察官だって証拠を改ざんする時代。一般人を含め裁く人が多い方が、より良い判決になる」と語った。
 一方、埼玉県で夫婦2人を殺害したとして1審で無期懲役、2審で死刑判決を受け上告中の男(65)の意見は逆だった。「裁判員裁判でも(死刑の)結論は変わらないと思う。むしろ裁判員の方は一生、判決が心に残ってしまい、かわいそうだ。死刑事件はやらせない方がいい」【長野宏美、伊藤直孝】
毎日新聞 2010年11月18日 東京朝刊

極刑・市民の選択:/下 判決後、心理的負担じわり ケアの必要性高く
  「一緒に審理した裁判員に会えるかと思って来た」。千葉地裁で裁判員を務めた50代女性が切り出すと、他の経験者6人はしきりにうなずいた。
 9月、弁護士らがつくった「裁判員経験者ネットワーク」の交流会が東京都内で開かれた。「番号で呼び合い、連絡先すら教えたらいけない雰囲気だった」の声も上がる。同じ裁判の経験者はいなかったが、会話は2時間、途切れることはなかった。1人が「他人を罰する重みを一生抱えていかないといけない」と発言すると、経験者たちは、何度も首を縦に振った。
 元俳優、押尾学被告(32)の事件で裁判員を務めた不動産業、田口真義さん(34)は10月、経験者ネットを通じて偶然、一緒に審理した補充裁判員の男性と再会した。それをきっかけに守秘義務を気にせずにメンバーだけで集まろうと、他の経験者への連絡を東京地裁に依頼した。しかし「個人情報の目的外使用になり仲介できない」との返事だった。同ネットの牧野茂弁護士(59)は「交流会で体験を語り合って気持ちが楽になっていく様子が目に見えて分かった。死刑判決だと心理的負担は相当だろうが、交流は効果的だ」と話す。
 最高裁のアンケートで「裁判員を経験して良かった」と答えた人は95%を超える。だが、同ネットを支援する元最高裁判事の浜田邦夫弁護士(74)は「判決直後は気分が高揚しているが、人を裁いた重みや心理的影響は、後からボディーブローのようにじわじわ出てくる」と指摘する。
 浜田弁護士も所属する臨床心理士らのNPO法人「朝日カウンセリング研究会」は09年5月、臨床心理士らが見守る中で裁判員経験者が体験を語り合う「アフターケア・グループ」制度の導入を最高裁に提言した。しかし、回答は「現段階で導入は考えていない」。浜田弁護士は「裁判員の心理的ケアの必要性は高く、死刑事件はなおさらだ。裁判所は責任を持って取り組むべきだ」と強調する。
 最高裁は裁判員のケアに、電話などによる24時間対応の無料相談窓口を設置。裁判員は約8500人に上るが、10月末までにあった相談は体調面が27件、精神面が34件(うち面接6件)の計61件だ。
 死刑求刑された東京地裁と横浜地裁の2件の裁判で、裁判員たちは遺族の思いや被告の姿を見聞きし、刑の重さを実感して責任感と気持ちの動揺を抱えながら評議に臨んでいた。雰囲気は重苦しかったが、東京地裁の裁判員は「裁判官が雰囲気を和らげようと配慮してくれたおかげで意見を言いやすくなった」と話す。別の事件を担当した裁判官は評議で、何か言いたそうな裁判員には積極的に声を掛け、言い残しがないよう議論してもらったという。「もし極刑の判断をするなら『迷いはないか』と何度も問い掛ける」と語る。
 「加担したくない思いもあったが日本には死刑がある。公平に量刑を考えた」。横浜地裁で初の死刑判決にかかわった裁判員はそう明かした。17日に鹿児島地裁で無罪主張の被告に死刑が求刑され、仙台や宮崎でも極刑を視野に審理が続く。参加した市民が、社会に発するメッセージは重い。【伊藤直孝、北村和巳】
毎日新聞 2010年11月19日 東京朝刊
=======================================
〈来栖の独白〉
 遺族の証人尋問に
>苦しまずに。なんて恵まれた死に方ができるんだろう
 とある。が、これは、違う。後ろ手錠で人間としての尊厳を剥奪され、縊り殺される。これが、どうして「恵まれた死に方」だろう。「苦しまずに」息が絶えるわけでもない。加賀乙彦は次のように言う。
死刑とは何か~刑場の周縁から
 死刑が残虐な刑罰ではないかという従来の意見は、絞首の瞬間に受刑者がうける肉体的精神的苦痛が大きくはないという事実を論拠にしている。
 たとえば1948年3月12日の最高裁判所大法廷の、例の「生命は尊貴である。一人の生命は全地球より重い」と大上段に振りあげた判決は、「その執行の方法などがその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬ」として、絞首刑は、「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆで」などとちがうから、残虐ではないと結論している。すなわち、絞首の方法だけにしか注目していない。
 また、1959年11月25日の古畑種基鑑定は、絞首刑は、頸をしめられたとき直ちに意識を失っていると思われるので苦痛を感じないと推定している。これは苦痛がない以上、残虐な刑罰ではないという論旨へと発展する結論であった。
 しかし、私が本書でのべたように死刑の苦痛の最たるものは、死刑執行前に独房のなかで感じるものなのである。死刑囚の過半数が、動物の状態に自分を退行させる拘禁ノイローゼにかかっている。彼らは拘禁ノイローゼになってやっと耐えるほどのひどい恐怖と精神の苦痛を強いられている。これが、残虐な刑罰でなくて何であろう。
========================================
裁判員裁判初の死刑判決「電動のこぎり切断事件」 池田容之被告の弁護団、東京高裁に控訴 2010-11-30
 〈来栖の独白〉
 報道によれば、強盗殺人などの罪に問われ、裁判員裁判初の死刑を横浜地裁で言い渡された無職池田容之被告(32)の弁護団が、判決を不服として東京高裁に控訴した、ということである。控訴は29日付。池田被告自身は22日に弁護団と接見した際、「控訴は(遺族を)傷つけることにつながる恐れがある」として、控訴しない意向を示していた。
 被告人は弁護団の控訴を取り下げないで戴きたい。1審で判決を下した裁判長が上訴を勧めるなど、言語道断。それほどに脆弱な、心もとない判決だった。自分の下す判断に確信を持たずして、人の命を奪う。呆れた話だ。三審制(控訴審がある)とはいえ、裁判官の独立も判決の重みも、皆目、分かっておられない。言い訳と控訴審への甘えばかりが窺われる。こんな杜撰な「いのち」の扱い方(殺し方)をしておいて「良い経験だった」と感想を述べる裁判員。
 人の生死(命)を決めるに、多数決による、というのも無茶な話だ。
 目を転じてみる。死刑執行に手を下す刑務官は、この人殺しという職務を上から命令され、遂行する。三審制によって(たてまえは)厳正に定められた(はずの)刑を、法務大臣が執行を命令し、行政が遂行する。執行する刑務官の胸は、いかばかりだろう。死刑とは何か、執行に携わる人の涙も知らず、いい加減な、子どもみたいな気持ちで判決を出してもらっては困る。
===============================
刑事司法(理性・法・人が人として評価される場)に逆行する裁判員裁判=のこぎり切断事件に死刑判決
裁判員裁判で初の死刑判決/2人殺害.生きたまま電動のこぎりで切断/横浜地裁
裁判員裁判で2例目の死刑求刑 2人殺害/生きたまま電動のこぎりで切断/横浜地裁


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。