「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」
鳩山内閣瓦解の罠
日本一新の会 達増拓也(岩手県知事)
民主党による政権交代の失敗は、鳩山内閣の瓦解から始まる。鳩山総理が辞任しなければならなかった決め手は、普天間問題で社民党を連立内閣から追い出してしまったので、参議院で首相問責決議案が可決される状況になったことだった。参院選直前に総理問責を受けるくらいなら、潔く辞任する方がよいと小沢一郎幹事長が判断し、総理、幹事長、そろって辞任となったのである。
その後、菅総理の下、民主党は参院選に大敗し、衆参のねじれ国会となるのだが、普天間問題で社民党を切り捨てた時から、ねじれは始まっていたと言える。そこまでする必要はあったのか。当時、普天間米軍基地の県外、国外への移設はまるっきり非現実的な無理筋で、鳩山総理の主張は無知に基づく愚かなものであるとみなされ、今もそのような否定的評価が支配的だが、本当にそうだったのか。
鳩山総理退陣の年、米国の国際関係論文誌『フォーリン・アフェアズ゛』2010年3・4月号で、米日財団の会長である知日派、ジョージ・パッカード氏は、政権交代直後の10月に訪日したゲイツ国防長官が、辺野古移転合意の実行を求めたことを批判した。パッカード氏は、大統領府と国務省が対日政策について大局的な調整をすべきだった、国防省が発足1ヵ月後の鳩山内閣にごり押しをしたのは愚かだった(foolish)、と述べている。米国政府と日本政府は、普天間問題の話からではなく、日米安保全体についての丁寧な再検討から始めていればよかった、とパッカード氏は言う。
その翌号、5・6月号の『フォーリン・アフェアズ』では、安全保障関係の著作が多い米国のジャーナリスト、ロバート・カプラン氏が、中国封じ込めの戦略を主題とする中で、鳩山政権の問題提起は何年も前にあってもおかしくなかった、と述べている。カプラン氏は、中国封じ込めは米国と同盟国や民主主義国の海軍力をもってすべきで、そのための米軍基地はグアム、カロリン、マーシャル、北マリアナ、ソロモンのラインに置くべきとする。そしてカプラン氏は、日本、韓国、フィリピンの過剰な米軍基地は第二次大戦や朝鮮戦争という過去の遺産であり、永続させるべきものではない、と述べる。
日本国内で鳩山内閣が普天間問題で行き詰っていく頃に、米国を中心とする国際関係の論壇では、米国の有識者たちが鳩山総理の主張に耳を傾け、対話の姿勢や、賛意を示していたのである。私は、日米の政府間協議に加え、賢人会議のような有識者同士の対話の場も活用し、日米双方の国民的な合意の下で、普天間基地をはじめ沖縄の米軍基地を移転・縮小していくことは、可能だと思う。鳩山総理の主張は、決して非現実的なものではなく、まして愚かなものではなかったのだ。
日本国内で、普天間問題について鳩山包囲網が作られ、鳩山総理自身が県外・国外移転をあきらめ、福島みずほ大臣を更迭することになってしまったのは、鳩山内閣瓦解の罠にはまってしまったのだと言えよう。
アメリカについて言えば、米国政府には、およそ政府というものにつきものであるタテ割りの弊害とか、組織間の不毛な権限争いとか、そういうものが普通にあると思う。政府が巨大で力も大きいので、質が普通でも量は普通以上になる。気を付けなければならない。
一方、様々なイシューについて広く議論が行われ、質の高い意見が存在するので、そこを味方にしていくのが大事だ。こちらから高邁な意見を発信していくと、受け止めてくれる人は出てくる。鳩山総理の普天間基地県外・国外移設についても、受け止められていたのである。
アメリカ相手には、高邁な意見を発信していくことが大事だと思う。一定の合理性や利益追求のタフさは普通にあったほうがいいと思うが、アメリカ相手に決め手になるのは、志の高さではないか、と私は考えている。
ちなみに、去年の今頃、日本に来ている米国政府関係者から、東日本大震災からの復興支援には何がいいか、と訪ねられた。私は、米国が日本にできる最高の事は米国での教育や交流の機会を提供することで、子どもや若者を対象にしたホームステイや留学をやってもらうといいと思う、と答えた。今年に入って、それがトモダチ・イニシアティブとなって実現しているのは、喜ばしい。
追記
☆本号は無限拡散希望につき、転載許諾を必要としませんので、お取り扱いをよろしくお願い申し上げます。2012年08月01日
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『アメリカに潰された政治家たち』孫崎亨著(小学館刊)2012年9月29日初版第1刷発行
p93~
第2章 最後の対米自主派、小沢一郎
角栄に学んだ小沢の「第七艦隊発言」
私は情報局が人材のリクルートのために製作したプロモーション映像を見たことがあるのですが、そのなかで「我々は軍事だけでなく、政治的な分野でも諜報活動を行っている」と活動を紹介し、オサマ・ビン・ラディンの映像などを流していました。そういった一連の映像や画像のなかに、小沢一郎氏の写真が混ざっていて、私はハッとしました。
彼らにとっては、小沢一郎に工作を仕掛けているということなど、隠す必要がないほど当たり前のことなのです。
p94~
明確にアメリカのターゲットに据えられている小沢一郎とはどんな人物なのか、簡単におさらいしておきましょう。
小沢一郎は27歳という若さで衆議員議員に初当選した後、田中派に所属し、田中角栄の薫陶を受けて政界を歩んできました。しかし、1985年に田中角栄とは袂を分かち、竹下登、金丸信らと創政会を結成。のちに経世会(竹下派)として独立しました。
1989年に成立した海部俊樹内閣では、47歳で自民党幹事長に就任しています。おそらく小沢一郎という人物をアメリカが捕択、意識し始めたのはこの頃だと考えられます。1990年にサダム・フセインがクウェートに軍事侵攻し、国連が多国籍軍の派遣を決定して翌年1月に湾岸戦争が始まりました。
ここでブッシュ(父)大統領は日本に対して、湾岸戦争に対する支援を求めてきます。
アメリカ側は非武装に近い形でもいいので自衛隊を出すことを求めましたが、日本の憲法の規定では、海外への派兵は認められないとする解釈が一般的で、これを拒否します。アメリカは人を出せないのなら金を出せとばかり、資金提供を要請し、日本は言われるまま、計130億ドル(紛争周辺国に対する20億㌦の経済援助を含む)もの巨額の資金提供を行うことになります。
p95~
当時の外務次官、栗山尚一の証言(『栗山尚一オーラルヒストリー』)では、この資金要請について「これは橋本大蔵大臣とブレディ財務長官の間で決まった。積算根拠はとくになかった」とされています。何に使うかも限定せず、言われるまま130億㌦ものお金を出しているのです。
橋本は渡米前に小沢に相談していました。小沢は2001年10月16日の毎日新聞のインタビューでそのときのやりとりを明かしております。
「出し渋ったら日米関係は大変なことになる。いくらでも引き受けてこい。責任は私が持つ」
この莫大な資金負担を決定したのが、実は小沢一郎でした。当時、小沢はペルシャ湾に自衛隊を派遣する方法を模索し、実際に「国連平和協力法案」も提出しています(審議未了で廃案)。
“ミスター外圧”との異名をもつ対日強硬派のマイケル・アマコスト駐日大使は、お飾りに近かった海部俊樹首相を飛び越して、小沢一郎と直接協議することも多かったのです。小沢一郎が「剛腕」と呼ばれるようになったのはこの頃からです。
p96~
この時代の小沢一郎は、はっきり言えば“アメリカの走狗”と呼んでもいい状態で、アメリカ側も小沢を高く評価していたはずです。ニコラス・ブレディ財務長官の130億㌦もの資金要請に、あっさりと応じただけでなく、日米構造協議でも日本の公共投資を10年間で430兆円とすることで妥結させ、その“剛腕”ぶりはアメリカにとっても頼もしく映ったことでしょう。
田中派の番頭だった小沢は、田中角栄がアメリカに逆らって政治生命を絶たれていく様を目の当たりにしています。ゆえに、田中角栄から離れて、「対米追随」を進んできたものと思われます。
しかし、田中角栄の「対米自主」の遺伝子は、小沢一郎のなかに埋め込まれていました。
1993年6月18日、羽田・小沢派らが造反により宮沢内閣不信任案が可決され、宮沢喜一首相は衆議員を解散しました。それを機に、自民党を離党して新生党を結成し、8党派連立の細川護煕内閣を誕生させました。その後は、新進党、自由党と新党を結成しながら、03年に民主党に合流します。(略)
p97~
外交政策についても、対米従属から、中国、韓国、台湾などアジア諸国との連携を強めるアジア外交への転換を主張するようになりました。「国連中心主義」を基本路線とするのもこのころです。
小沢一郎は、09年2月24日に奈良県香芝市で「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ。あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う。米国に唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持ち、少なくとも日本に関係する事柄についてはもっと役割を分担すべきだ。そうすれば米国の役割は減る」と記者団に語っています。
つまり沖縄の在日米軍は不要だと明言したわけです。
この発言を、朝日、読売、毎日など新聞各紙は一斉に報じます。『共同通信』(09年2月25日)の配信記事「米総領事『分かっていない』と批判 小沢氏発言で」では、米国のケビン・メア駐沖縄総領事が記者会見で、「『極東における安全保障の環境は甘くない。空軍や海兵隊などの必要性を分かっていない』と批判し、陸・空軍や海兵隊も含めた即応態勢維持の必要性を強調した」と伝えています。アメリカ側の主張を無批判に垂れ流しているのです。
p98~
この発言が決定打になったのでしょう。非常に有能だと高く評価していた政治家が、アメリカから離れを起しつつあることに、アメリカは警戒し、行動を起こします。
発言から1か月も経っていない2009年3月3日、小沢一郎の資金管理団体「陸山会」の会計責任者で公設秘書も務める大久保隆規と、西松建設社長の國澤幹雄ほかが、政治資金規正法違反で逮捕される事件が起きたのです。小沢の公設秘書が西松建設から02年からの4年間で3500万円の献金を受け取ってきたが、虚偽の記載をしたという容疑です。
しかし、考えてもみてください。実際の献金は昨日今日行われたわけではなく、3年以上も前の話です。第7艦隊発言の後にたまたま検察が情報をつかんだのでしょうか。私にはとてもそうは思えません。
アメリカの諜報機関のやり口は、情報をつかんだら、いつでも切れるカードとしてストックしておくというものです。ここぞというときに検察にリークすればいいのです。
この事件により、小沢一郎は民主党代表を辞任することになります。しかし、小沢は後継代表に鳩山由紀夫を担ぎ出します。選挙にはやたらと強いのが小沢であり、09年9月の総選挙では“政権交代”の風もあり、民主党を圧勝させ、鳩山由紀夫政権を誕生させます。ここで小沢は民主党幹事長に就任しました。
p99~
小沢裁判とロッキード事件の酷似
ここから小沢はアメリカに対して真っ向から反撃に出ます。
鳩山と小沢は、政権発足とともに「東アジア共同体構想」を打ち出します。 対米従属から脱却し、成長著しい東アジアに外交の軸足を移すことを堂々と宣言したのです。さらに、小沢は同年12月、民主党議員143名と一般参加者483名という大訪中団を引き連れて、中国の胡錦濤主席を訪問。宮内庁に働きかけて習近平副主席と天皇陛下の会見もセッティングしました。(略)
しかし、前章で述べたとおり、「在日米軍基地の削減」と「対中関係で先行すること」はアメリカの“虎の尾”です。これで怒らないはずがないのです。
その後、小沢政治資金問題は異様な経緯を辿っていきます。
p100~
事件の概要は煩雑で、新聞等でもさんざん報道されてきましたので、ここでは触れませんが、私が異様だと感じたのは、検察側が10年2月に証拠不十分で小沢を不起訴処分にしていることです。結局、起訴できなかったのです。もちろん、法律上は「十分な嫌疑があったので逮捕して、捜査しましたが、結局不起訴になりました」というのは問題ないのかもしれません。
しかし、検察が民主党の党代表だった小沢の秘書を逮捕したことで、小沢は党代表を辞任せざるをえなくなったのです。この逮捕がなければ、民主党から出た最初の首相が鳩山由紀夫ではなく、小沢一郎になっていた可能性が極めて高かったと言えます。小沢首相の誕生を検察が妨害したということで、政治に対して検察がここまで介入するのは、許されることではありません。
小沢は当初から「国策捜査だ」「不公正な国家権力、検察権力の行使である」と批判してきましたが、現実にその通りだったのです。
この事件には、もう1つ不可解な点があります。検察が捜査しても証拠不十分だったため不起訴になった後、東京第5検察審査会が審査員11人の全会一致で「起訴相当」を議決。検察は再度捜査しましたが、起訴できるだけの証拠を集められず、再び不起訴処分とします。それに対して検察審査会は2度目の審査を実施し「起訴相当」と議決し、最終的に「強制起訴」にしているところです。
p101~
検察は起訴できるだけの決定的な証拠をまったくあげられなかったにもかかわらず、マスコミによる印象操作で、無理やり起訴したとの感が否めないのです。これではまるで、中世の魔女裁判のようなものです。
ここで思い出されるのは、やはり田中角栄のロッキード事件裁判です。当時、検察は司法取引による嘱託尋問という、日本の法律では規定されていない方法で得た供述を証拠として提出し、裁判所はそれを採用して田中角栄に有罪判決を出しました。超法規的措置によって田中は政界から葬られたのです。(略)
東京地検特捜部とアメリカ
p102~
実は東京地検特捜部は、歴史的にアメリカと深い関わりをもっています。1947年の米軍による占領時代に発足した「隠匿退蔵物資事件捜査部」という組織が東京地検特捜部の前身です。当時は旧日本軍が貯蔵していた莫大な資材がさまざまな形で横流しされ、行方不明になっていたので、GHQの管理下で隠された物資を探し出す部署として設置されました。つまり、もともと日本のものだった「お宝」を探し出してGHQに献上する捜査機関が前身なのです。
東京地検特捜部とアメリカお関係は、占領が終わった後も続いていたと考えるのが妥当です。たとえば、過去の東京地検特捜部長には、布施健という検察官がいて、ゾルゲ事件の担当検事を務めたことで有名になりました。
ゾルゲ事件とは(略)
p103~
さらに布施は、一部の歴史家が米軍の関与を示唆している下山事件(略)
他にも、東京地検特捜部のエリートのなかには、アメリカと縁の深い人物がいます。
ロッキード事件でコーチャンに対する嘱託尋問を担当した堀田勉は、在米日本大使館の一等書記官として勤務していた経験があります。また、西松建設事件・陸山会事件を担当した佐久間達哉・東京地検特捜部長(当時)も同様に、在米大使館の一等書記官として勤務しています。
この佐久間部長は、西松建設事件の捜査報告書で小沢の関与を疑わせる部分にアンダーラインを引くなど大幅に加筆していたことが明らかになり、問題になっています。
この一連の小沢事件は、ほぼ確実に首相になっていた政治家を、検察とマスコミが結託して激しい攻撃を加えて失脚させた事件と言えます。
『文藝春秋』11年2月号で、アーミテージ元国務副長官は、「小沢氏に関しては、今は反米と思わざるを得ない。いうなれば、ペテン師。日本の将来を“中国の善意”に預けようとしている」と激しく非難しています。
p104~
アメリカにとっては、自主自立を目指す政治家は「日本にいらない」のです。必要なのはしっぽを振って言いなりになる政治家だけです。
小沢が陥れられた構図は、田中角栄のロッキード事件のときとまったく同じです。アメリカは最初は優秀な政治家として高く評価していても、敵に回ったと判断した瞬間、あらゆる手を尽くして総攻撃を仕掛け、たたき潰すのです。小沢一郎も、結局は田中と同じ轍を踏み、アメリカに潰されたのです。
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◆大震災被害対策「小沢一郎さんの計らい・小沢力」が有効に働いている/仙台空港=小沢側近・弟子が奔走 2011-04-25 | 地震/原発/政治
東日本大震災津波・岩手からの報告
日本一新の会 達増拓也(岩手県知事)
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◆「菅政権は去年の参院選以後、王道を歩まず、邪道に邪道を重ねた」達増拓也 岩手県知事2011-06-06 | 政治
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◆日本で人気がある排除の論理=何かに反対することで自分を売り込む<アンチ左、アンチ右、反小沢>2010-10-12 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
達増拓也:反小沢の背景にある冷戦思考の呪縛 日本一新の会 達増拓也(岩手県知事)
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