裁判員裁判で2例目の死刑求刑 池田容之被告 生きたまま電動のこぎりで切断 横浜地裁 2010/11/10

2010-11-10 | 裁判員裁判/被害者参加/強制起訴

裁判員裁判で2例目の死刑求刑 2人殺害・切断、横浜地裁
中日新聞2010年11月10日 夕刊
 東京・新宿のマージャン店経営者ら男性2人を殺害し、遺体を切断して海に捨てたなどとして、強盗殺人など9つの罪に問われた住所不定、無職池田容之被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判が10日、横浜地裁であり、検察側は「殺害方法が残虐かつ冷酷非情で、遺族の被害感情も峻烈(しゅんれつ)」として死刑を求刑した。裁判員と裁判官の評議を経て、判決は16日に言い渡される。
 裁判員制度での死刑求刑は、東京地裁での耳かき店員ら殺害事件以来、2例目。初の死刑判決が下されるか、裁判員らは究極の判断を迫られる。
 検察側は論告の冒頭で死刑を求刑し、1983年に最高裁判決が示した死刑適用の「永山基準」に基づいて理由を説明。経営者の首を生きたまま電動のこぎりで切った殺害方法を「人間の所業とは思えず、鬼畜としか言いようがない」と指摘した。
 さらに検察側は、2人の遺族が法廷で極刑を希望したことに触れ「遺族の心の傷は事件から1年5カ月がたっても癒やされていない」と主張。「被告を死刑にできないなら今後、死刑になる人がいるのか」と裁判員に問い掛けた。
 被害者遺族の代理人は「遺族の心情は峻烈の一語に尽きる。被告を極刑に処すことを希望する」と述べた。
 10日午後には、弁護側の最終弁論などがあり結審する。池田被告は公判で起訴内容を認めており、弁護側は被告が内省を深めていることや、強盗殺人事件については被告の自首が成立し、逃亡中の首謀者が存在していることなどを主張し、死刑回避を求める方針。
 論告などによると、池田被告はマージャン店の元経営者近藤剛郎容疑者(26)=強盗殺人容疑などで国際手配=と共謀し、マージャン店経営者の水本大輔さん=当時(28)=から現金約1300万円を奪い、知人の会社員高倉順一さん=同(36)=とともに殺害した、などとされる。
 池田被告は、覚せい剤7・6キロを密輸したとして、覚せい剤取締法違反罪などで、10月に同地裁で有罪の部分判決を受けており、今回は両事件を合わせての求刑となった。

 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です *強調(太字・着色)は来栖
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〈来栖の独白 2010-11-10
 男性2人を殺害し、遺体を切断して海に捨てたなどとされた事件。
 殺害直前、家族に電話したいと懇願する被害者を無視。被害者が「せめて殺してから首を切って」と訴えたが、生きたまま電動のこぎりで首を切断した(産經新聞2010/11/10)という。検察側は論告で「人間の所業とは思えず、鬼畜としか言いようがない」と、裁判員裁判では2度目となる死刑を求刑した。被害者遺族感情も、極めて峻烈だ。
 「刑事司法は、被害者自身による報復や、被害者個人の損害回復のための制度ではなく、犯罪を抑止することと同時に犯罪を犯した人の改善更生を実現することを目的としている」と私は考えてきたが、本件の残虐性と被害者の嘗めた極限の苦痛、恐怖、絶望のまえに、カントの「犯罪の重さに応じた刑罰が加えられること自体が正しく、それによって正義が実現する」との言葉が合理的、救済のように響く。
 米国での犯罪研究の第一人者で米国内の死刑制度改革などにもかかわってきたジョセフ・ホフマン(インディアナ大ロースクール教授)は、次のように言う。

 「犯罪の中には時に非常に残酷で暴力的なものがあります。そうした凶悪犯罪を死刑にしないことは、その犯罪の残忍性を過小評価することになります。カント的な考え方に沿って言えば、感情的な報復ではなく、司法自体が応報的である(罪に報いる)必要があると思います。罪を犯した人に相応の罰を与えないことは、その人間を一人前の人間として扱っていないということにもなりえます。責任能力のない人が罪に問われないのもそうした理由です。また、死刑制度が存在している社会契約の中で生活している以上、残虐な罪を犯した人間の死刑を避けるということは、被害者に対する屈辱にもなります。死刑は被害者の命を大切にしていることの裏返しでもあるのです」

 抗い難い、重い言葉だ。
 ところで、応報論の側から引用される「目には目を」という言葉について、少しく考えてみたい。
 旧約聖書『出エジプト記』は、第21章で、次のように言う(12節以降、抜粋)。

  12. 人を撃って死なせた者は、必ず殺されなければならない。
 15. 自分の父または母を撃つ者は、必ず殺されなければならない。
 16. 人をかどわかした者は、これを売っていても、なお彼の手にあっても、必ず殺されなければならない。
 17. 自分の父または母をのろう者は、必ず殺されなければならない。
 22. もし人が互に争って、身ごもった女を撃ち、これに流産させるならば、ほかの害がなくとも、彼は必ずその女の夫の求める罰金を課せられ、裁判人の定めるとおりに支払わなければならない。
 23. しかし、ほかの害がある時は、命には命、
 24. 目には目、歯には歯、手には手、足には足、
 25. 焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。

 これは、新約になると次のように変容する。『マタイによる福音書』第5章38節~

 目には目を、歯には歯を、と命じられている。しかし、わたしは云っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。(略)求める者には与えなさい。あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。しかし、わたしは云っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。(略)あなたがたの天の父が完全であるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

 死刑存廃を考える際に、聖書の文脈が各々に都合の好いように切り離され、引用されているのを私はしばしば見た。聖書は、その全体からメッセージ(福音)を読みとられねばならないと思う。断片を切り取っては、読み違える。
 EUは死刑を廃止しているが、同じキリスト教が息づいている国であっても米国には死刑制度が残っているし、カトリックとかプロテスタントといった宗派によっても、死刑に対する考え方は異なる。私はカトリックの信徒だが、一口にカトリックといっても、さまざまな考え方、立場があることを痛感させられてきた。
 死刑について考えることと、聖書を読むこととは、酷似している。いずれも難しい、というのが、私の正直な感懐である。難しい。実にむずかしい。
 ただ、微かに、言えることがある。絶対者でない人間が、絶対者の真似はしないほうがよいのでは、ということだ。
 絶対者でないとは、被造物ということだ。命の創造主(神)ではなく、造られ、命を与えられて存在している(人間)ということだ。
 そのような被造物が、命を奪ったなら(死刑も命を奪うこと)、取り返しはつかない。人間に、命は創造できない。髪の毛1本造れない被造物は、創造者の領域には手を出さないほうが無難ではないだろうか。
 裁判員裁判導入を前にして私が最も危惧し、畏れたことは、それだった。裁判員は、事案によっては自らの判断で、犯罪者といえども、その命を奪う(死刑という)決断をしなければならない。後になって気が変わって後悔しても、遅い。命は、一旦失われたならば取り戻せない。裁判員は、生涯、失われた命と自らの判断に悩むことになるのではないか。
 死刑求刑された最初の裁判員裁判(いわゆる「耳かき殺人事件」)の折、職業裁判官は「被告人が1審判決に不服なら、控訴できるのだから」と教えて裁判員の気持ちを楽にしたというが、妥当性があるだろうか。最高裁司法研修所は09年3月、「極めて重要な事情を見落とした場合などを除き、1審の判断を尊重すべきだ」との考え方を示している。
 死刑制度のある国での裁判員制度。人間の持つ残虐性と更生可能性のまえに、重すぎる課題だ。
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◆ 男性2人を殺害「電動のこぎり切断事件」池田容之被告、弁護人控訴(東京高裁)を取下げ 死刑が確定 2011-06-17  
 裁判員裁判初の死刑確定=被告が控訴取り下げ-2人殺害切断・東京高裁
 マージャン店経営者ら男性2人を殺害し遺体を切断、遺棄したなどとして、強盗殺人などの罪に問われ、一審横浜地裁の裁判員裁判で死刑とされた無職池田容之被告(33)が17日までに、弁護人による東京高裁への控訴を取り下げた。死刑が確定した。裁判員裁判による死刑判決の確定は初めて。取り下げは16日付。
 横浜地裁は昨年11月、被害者の1人に対し生きたまま首を切断した殺害方法を、「およそ想像できる殺害方法のうちでも最も残虐だ」と非難。「酌むべき事情を最大限考慮しても、極刑を回避する事情は見いだせなかった」と述べ、裁判員裁判で初の死刑判決を言い渡した。
 判決言い渡し後、朝山芳史裁判長は「控訴することを勧めます」と異例の付言をしていた。裁判員経験者も判決後の記者会見で、「控訴してください」と被告に呼び掛けていた。(時事通信2011/06/17-16:55)
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〈来栖の独白2011/06/17〉
 「控訴してください」などと、実に情けない愚かな一審裁判官、裁判員だ。被告本人は上訴しないのでは、との危惧が私にあった。裁判所も裁判官(員)も独立した存在のはずだ。上の裁判所を当てにして判決を下すなど、言語道断。
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裁判員裁判初の死刑判決「電動のこぎり切断事件」 池田容之被告の弁護団、東京高裁に控訴 2010-11-30  
〈来栖の独白 2010-11-30
 報道によれば、強盗殺人などの罪に問われ、裁判員裁判初の死刑を横浜地裁で言い渡された無職池田容之被告(32)の弁護団が、判決を不服として東京高裁に控訴した、ということである。控訴は29日付。池田被告自身は22日に弁護団と接見した際、「控訴は(遺族を)傷つけることにつながる恐れがある」として、控訴しない意向を示していた。
 被告人は弁護団の控訴を取り下げないで戴きたい。1審で判決を下した裁判長が上訴を勧めるなど、言語道断。それほどに脆弱な、心もとない判決だった。自分の下す判断に確信を持たずして、人の命を奪う。呆れた話だ。三審制(控訴審がある)とはいえ、裁判官の独立も判決の重みも、皆目、分かっておられない。言い訳と控訴審への甘えばかりが窺われる。こんな杜撰な「いのち」の扱い方(殺し方)をしておいて「良い経験だった」と感想を述べる裁判員。
 人の生死(命)を決めるに、多数決による、というのも無茶な話だ。
 目を転じてみる。死刑執行に手を下す刑務官は、この人殺しという職務を上から命令され、遂行する。三審制によって(たてまえは)厳正に定められた(はずの)刑を、法務大臣が執行を命令し、行政が遂行する。執行する刑務官の胸は、いかばかりだろう。死刑とは何か、執行に携わる人の涙も知らず、いい加減な、子どもみたいな気持ちで判決を出してもらっては困る。
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The Death Penalty 死刑の世界地図 [1] The Death Penalty 死刑の世界地図 [2]
◇ 私の母は勝田に殺されました。・・・彼が最後に幸せだったことは、許されないことです 2005,6,18
◇ 闇サイト殺人事件 控訴審(2010年8月9日~)「闇のなかから 生き返ってくる 人間の すがた 目の色」
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