故郷 「罪人の肖像」 第3部 住所不定、無職 2021/6/17

2021-06-18 | 社会

自立と謝罪 険しい道
  罪人の肖像  第3部 住所不定、無職
(3)故郷
  中日新聞 2021年6月17日 木曜日
 拳を握り、やや前かがみに、霧のかかった桜並木を歩く。五月中旬の朝。名古屋市の有料老人ホームに入居する川本修(74)=仮名=が、日課のウオーキングをしていた。「このままじゃ、体がなまっちまう」。2年前、刑務所を出たが、就職先が決まらず、焦りばかりが募る。 
 ブドウの産地で知られる長野県の故郷を離れたのは、2018年冬だった。トラック運転手の友人に「仕事がある。助手をしてほしい」と誘われ、岐阜県に移った。だが、思うように稼げず、友人は東京へ。残された川本は寮を追われた。手持ちは数万円だった。 
 「働かせてください」。なじみのない土地で町工場を回った。高齢を理由に相手にされなかった。無施錠の空き家や倉庫を探し、寒さをしのいだ。しばらくして、持ち主に見つかった。 
 空き家に忍び込んで刑務所に行くのは初めてではなかった。約十年前、実家の長野県でも同じ罪を犯し、一年半余り服役した。 
 生家は小さな和菓子店。兄と弟は高校に進んだ。川本は中卒で働く道を選んだ。「(高校を)3人出すと(お金が)えらい。俺は辞退する」。勉強は苦手だったし、家族は貧しかった。 
 実家近くの靴工場に勤めた後、上京。プレス工場で左人さし指の先を切断する事故に遭った。労災は認められず、長野県に戻った。20歳のころ、父が脳出血で亡くなり、実家の和菓子店は廃業した。左官や解体。日雇いの給与の半分を母に渡して家計を支えた時期もあった。「中卒はカネが悪い。もっと良い仕事はないか」。職を転々とし、結局、貯金はつくれなかった。
 50歳のころ、同僚に借金の保証人を頼まれた。「だまされた。実家までやられちゃった」。高齢の母を連れ、6歳下の弟の家に居候させてもらった。若い時は小遣いを渡すなど弟をかわいがっていたが、肩身が狭かった。母が亡くなった後、弟の元を離れた。所持金はほとんどなく、空き家に居ついた。
 「仕事は途中で辞めちゃだめ。貯金しなさい」警察に捕まり、母の生前の言葉が身に染みた。
 出所後に頼った弟からは、「近所の目が厳しい」と同居を拒まれた。数年間は日雇いで食いつないだが、仕事に穴のあく時期も多かった。弟への負い目もあり、友人の誘いに乗って岐阜県に出たことが、罪を繰り返すきっかけになった。
 弟とは音信不通が続く。生活保護費で施設に入る現在は寝食に困らないが、職を得て自立しなければ謝罪もできないと考えている。
 そんな川本に施設を紹介し、就職活動をサポートしている愛知県地域生活定着支援センター(名古屋市)の泉原拓也(33)は「計画性や慎重さが乏しい」と感じている。「もっと早く福祉の支援が入っていれば、違う人生になったかもしれない」
 コロナ禍の前、清掃員の仕事に就けたこともあった。勤務先はバスと地下鉄を乗り継いで1時間。もらった地図を手に、出発の30分前からバスを待った。慣れない都会の通勤が心労になり、無理だと断った。
 そしてコロナによる就職難。70歳過ぎの出所者にとって、職探しは厳しさを増している。「謝って一緒に暮らしたい。兄弟だから。でも、今の自分じゃ許してくれない」。体力維持のためのウオーキング中、故郷の桜並木の懐かしさと同時に弱音が込み上げてくる。  (敬称略)

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)
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