池田小事件15年 安全な学校守る自覚と責任を 戸塚君の母が保護者を前に講演
2016.6.8 15:22 産経新聞
「一番危惧しているのは、この事件が遠い過去の不幸な出来事としてとらえられ、風化していくことです」。大阪教育大付属池田小学校の児童殺傷事件から15年となった8日。追悼式典を前に、事件で犠牲となった戸塚健大(たかひろ)君=当時(6)=の母、正子さんが保護者約600人を前に講演を行った。事件でうちひしがれた自分を支えてくれた同級生やその親たちに感謝しながら、保護者にも学校にも自覚と責任がなければ、決して安全は永遠には守れないと訴えた。
■一生愛し続ける
講演の冒頭、正子さんは、幼稚園の年長から事件直前まで家で撮影した健大君の映像を紹介した。
池田小に通ったのはわずか43日だけ。それでも、健大君はこの学校が大好きだった。映像には、元気いっぱいの健大君の姿が残されていた。
「私が健大を産んだから、こんな運命にしてしまった」。事件直後はそう自分を責めた。周囲の視線が全て哀れみと感じられ、「背中に『私は子供を亡くしました』と張り紙をしているようなみじめな思いで過ごした」時期もあった。
そんな正子さんに、事件から約1カ月後の7月13日の健大君の誕生日を前に、近所の人が声をかけた。
「健大君のお誕生日に花火大会をしようと思う。生まれてきてくれてありがとうの気持ちをこめて、お祝いがしたい」
目が覚めるような気がした。「生まれてきてくれたことに感謝し、一生愛し続けていく。それが自分にできる精いっぱいのこと」。涙でにじむ花火にわが子の笑顔をいっぱい浮かべ、そう心に誓った。
■同級生の心の中に
事件で犠牲となった8人の児童は、遺族の希望で事件後も卒業まで同校に在校生として籍を置いた。健大君の机も教室に置かれ、正子さんも保護者として運動会や授業参観に可能な限り参加した。
元気に学校に通う同級生を見るのがつらいこともあった。学校に通い続けることが、遺族のわがままと思われているかもしれないという懸念もあった。
それでも、自分たちも傷ついているはずの健大君の同級生たちは、正子さんを優しい目で迎え入れてくれた。そっと心に寄り添い、手紙のやりとりで思いを打ち明けられる保護者にも巡り会えた。
健大君の机の引き出しにクラスメートが入れてくれた折り紙や手紙を見ると、「健大は友達の心の中で生きている」。そう感じ、安心することができた。
■教訓を継承して
事件から3年後の平成16年、健大君の弟が誕生した。弟はいま、池田小の6年生。来春には卒業式を迎える。毎朝、「いってらっしゃい」と学校に送り出す度に、「今日も無事私の元に帰ってきますように」と、祈るような思いで後ろ姿を見届ける。
事件を教訓に、池田小ではさまざまな防犯対策がとられた。だが、正子さんは「子供たちが今楽しい学校生活を送れていることは、決して恒久に約束されたことではない」と語った。
安全、安心な学校生活は、「保護者がわが子という大切な命を学校に預け、学校がその自覚と責任を持って的確な行動をすることに委ねられている」。その思いを風化させず、将来に受け継いでいってほしいと呼びかけた。
◎上記事は[iZa]からの転載・引用です
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◇ 6月8日、池田小事件15年のこの日に、無差別殺傷事件について考える…映画「葛城事件」篠田博之 2016/6/8
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◇ 付属池田小事件(2001/6/8)から14年 ・・・(宅間守死刑囚 2004年9月14日 刑執行 状況要旨)
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◇ 大阪教育大付属池田小学校児童殺傷事件 宅間守 『殺人者はいかに誕生したか』長谷川博一著
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