〈来栖の独白〉
本田靖春著『誘拐』を読み終えた。先月だったか、テレビ朝日でドラマ『刑事一代~平塚八兵衛』をやっていたが、吉展ちゃん誘拐事件のノンフィクション作品である。テレビドラマでは伝えきれない内容が、本にはあった。
テレビドラマの中で私の心に強く残っていた「保が人の道に外れたことをしたのなら、天罰をくだしてやってください」と土下座して懇願する小原さんの母親の姿、これは本では以下のようである。
本田靖春著『誘拐』(ちくま文庫)2005年10月10日第1刷発行
「腰が曲がっているのは、お前のお袋さんだ。俺が帰るとき、山道を追い掛けてきて、何ていったと思う? 私はあんな悪いことをする子どもを育てたおぼえはない。もし保が犯人だったら、何とも申しわけない。刑事さん、勘弁してくれ。そういって、お前のお袋さんは山道に手をついて頭を下げたんだぞ。こういうふうにな。しっかり目をあけてあわれな姿を見ないかい?」
そして、やはり書き写しておこうと思う。
「私がしていた蛇皮のバンドをはずして寝ている吉展ちゃんの首に一巻きし、喉仏の辺でバンドを交叉させ、両端を強く引いて絞めております。ただ、私の気持ちとしては、しっくりと絞めきらないような感じがしたので、その後、さらに両手で首の両側から強く絞めております。
吉展ちゃんは鼻からほんのわずか血を出しておりましたので、私はそれを手で拭いております」
誘拐犯小原の供述である。おさな子の細い首を絞めて殺害した・・・。絞殺により窒息死させて殺害したのは、勝田事件においては5人の女性に対する5件がある。自分の手で殺めておきながら、死顔が苦しそうだったので「紐をゆるめて」あげたこともあった。何という哀しい侘しい風景であることだろう。
東京地裁初公判に臨んで、小原は弁護士に託した手紙の中で次のように言う。
私は人間社会において最高の罪を犯したのですから、最高の刑罰を受けることは当然と心得ていますし、自供以前にすでに覚悟致しておりました。(略)到底、私の今生においては償いきれないほどの罪であると考えておりますが、釈尊の教えによれば、どのような悪人でも改心して信仰することによって成仏出来、またこの世に生まれてくることが出来るという経典の一節がありますので、今生において償い切れないところはまた来世と、七度この世に生まれ来て償いが出来るように、朝に夕に、吉展ちゃんの冥福を祈りながら信仰に励んでおります。
清孝もそのようであった。償いたいという思いは、一般人の想像を超えて遙かに遙かに強い。切実である。清孝から幾度もこの悲願を訴えられ、その度に私は途方に暮れた。「殺人犯の角膜など誰も欲しがらないでしょうが」と言いながら、生きながら角膜の提供を申し出た清孝であった。
小原死刑囚に次のような歌があって、と胸を衝かれた。
世のための たった一つの角膜の 献納願ひ 祈るがに 書く
1審小松弁護士は
「被告が深く反省している事情を認めながら、あえて死刑に処するのは、被告のあやまちを改め、善導するという刑罰の目的を逸脱するばかりでなく、死刑制度の乱用であり、残酷な刑罰を禁止した憲法の精神に反する」
として、本人を説得、控訴する。
「真人間になって死んで行きます」
これが刑死に臨んでの小原死刑囚の遺言であった。宮城刑務所看守を通して平塚刑事に伝えられた。
最後に書き写しておこうと思うのは、205頁を中心とした以下である。
脅迫者に次いで村越家の人々を苦しめたのは、もろもろの宗教の狂的な信心家たちであった。これが、入れかわり立ちかわり、押し掛けてくる。
人の不幸につけ込んで信徒数を増やそうと企む宗教団体。浅ましい姿だ。だが、これは、ひとり宗教団体だけの姿ではないだろう。人は、往々にして、このような姿をとりやすいのではないか。
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◇ テレビ朝日「刑事一代~平塚八兵衛」 死刑囚が漂わせる極限の侘しさ 2009-06-22
〈来栖の独白〉
昨夜、テレビ朝日『「刑事一代~平塚八兵衛」』というドラマを見た。平塚八兵衛という刑事さんは、帝銀事件や吉展ちゃん誘拐事件を扱ったそうだ。「吉展ちゃん」という名前は、私の記憶にある。
胸に刺さったのは、誘拐犯小原保の老いた母親が、雨の中、捜査に当たる平塚さんたち刑事に土下座して「足の悪い保を注意して育ててきた。もし、もしも保が人の道に外れたことをしたのなら、どうか天罰を下してやってください」と懇願するシーンである。
この母の姿を、声紋鑑定のためという最後の調べの機会に平塚さんは土下座して保に伝える。直前の自らのアリバイを覆す供述と共に小原容疑者は、激しく動揺する。平塚さんは更に言う。「親のためには、嘘吐きではなく、真人間になることだ」と。小原容疑者が落ちたのは、その瞬間だった。
ここから小原保役の俳優の演技が一変する。侘しさが漂う。この侘しさは、死刑確定した清孝が漂わせたものだ。---清孝は全事件を自ら告白していったから、容疑者の時点ですでにこの「侘しさ」を感じたそうだが、容疑者時代を私は知らない--- 小原保役の俳優は、よく演じていると思った。死刑囚という、極限の侘しさ。
やがて歳月を経て平塚さんのもとへ宮城刑務所から電話が入る。「小原保が今朝、刑を受けました。『平塚刑事さんに、小原は真人間になって死んでゆきました。戴いたナスの漬物、美味しかったです、と伝えてください』ということでした」。「真人間」とは、清孝も使った言葉である。
ところで、小原保の母親は土下座して「天罰を下してください」と言う。が、これは、先般公判のあった「土浦8人殺傷事件」の父親とはニュアンスが違うように、私には思えてならない。金川被告の父親は、息子を「金川被告人」と呼ぶ。小原保の母親とは違うことを、如実に物語っていないか。天地の開きがある、と私は思う。
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贖罪 勝田清孝の手記『冥晦に潜みし日々』(6) 結之章〈後篇〉
しかし懺悔したからといって決して心が安らいだわけではないのです。多少胸のつかえは取れたものの、目の裏に焼き付いた当時の光景がありありと浮かび、むしろ懺悔してからの方が自責の念にさいなまれ続けているのです。
人間として生まれ変わるには一切の悪業をさらけだし、1日も早く被害者に詫びる以外に道はなかったのですが、告白した直後の私は、正直言って「これで俺の一生は終わったのだ・・・」という暗澹とした心境でした。いわば覚悟していたとはいえ、罪科による死期が一層身に切迫した感に、何とも言えぬ寂しい気分だったのです。
でも、同じ裁きを甘受するのなら、真人間に立ち返ってから裁かれようと、大阪での猫かぶりを省みて、自らの意志で宿悪の苦悶から脱却を図ったことも事実だったのです。だから、暗澹とした気分ではあったが、告白した事実に対する後悔はまったくなかったのです。むしろ、我ながら「よく打ち明けたぞ」と、勇気を出した素直な自分に心から喝采を贈れる心境でいられたのです。
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趣味を押し付ける積りは有りませんが、この唄、小原保が犯行時、同棲していた女性の心情を歌っているようで、切ないです。(最近知ったのですが、“あの頃”の唄らしいです)
http://www.youtube.com/watch?v=zHH6T0zaims&feature=related
もし、当時裁判員制度が有ったとしたら、小原保に死刑判決を下すことが出来た裁判員は居ただろうか。
社会は、世界は、いつも酷薄だけれども、ギリギリの所で、人は踏み止まれるのだと、そう信じたいです。 出なけりゃ、生きるに値しませんから。