13名のオウム大量死刑執行 安田好弘 『創』2018/9月号

2018-08-23 | 死刑/重刑/生命犯

100年以上前に戻った13名のオウム大量死刑執行 安田好弘
2018/8/22(水) 12:32配信  9月号
■当人に知らされる前に第三者に知らされる現実
 〔はじめに〕以下に掲載するのは2018年7月27日に行われた「死刑廃止を求めるフォーラム90」など4団体主催の「死刑執行に抗議する集会」での安田好弘弁護士の発言に、本人が加筆したものだ。安田弁護士は松本元死刑囚のかつての弁護人でもあり、死刑をめぐって2018年3月から7月の執行までの間、どういうことが行われていたか詳しい経緯が語られている。月刊『創』2018年9月号の特集「オウム死刑執行の衝撃」から転載した。(『創』編集部)
  *  *
  7月6日、私は朝早く新實智光さんに会うために、また午後からは林眞須美さんに会うために、大阪に向かいました。午前7時頃、電話があって、どうも執行が今日行われるらしいという話が入ってきました。前日の段階で、被害者に法務省から電話があった、さらにその日の朝6時過ぎ頃に別の被害者に電話が入ったというのです。
  法務省から被害者に連絡があるのはよしとして、当の執行される人たちには、この段階では全く知らされない。連行される直前になって知らされる、あるいは連行される段階でも知らされず、刑場に連れていかれて初めて知らされるということなんですね。当の本人が知らされていないのに、第三者には知らされるという、これが日本の死刑の実態です。
  振り返ってみると、今年の1月、高橋克也さんの刑が確定しました。その前から、確定後を見込んで刑の執行が行われるだろうとマスコミで言われていましたし、現実に確定してからはいろいろなマスコミが死刑が執行されるだろうという話をしてきました。そしてその人たちの話では、当初は3月末までに執行するだろうということでした。4月になれば人員の異動がありますからもう一度執行の体制を組み直さなくてはならないということなのでしょう。
  しかし4月、5月、6月、と執行がなく、7月に入って、いよいよ執行されるのではないかと言われるようになりました。というのは8月になると、お盆もあって職員が連続的に休暇に入るわけです。そうすると、大量執行の体制を組むことができない。9月以降になると、政治的な日程があったり、皇室関係の行事があったりすることで執行しづらくなってしまうのではないかというわけです。
  そういうなかで、私どもは何としてでも執行を阻止したいと考えました。13人の死刑囚がいるわけですけれど、まず中心人物である麻原氏の執行を止めればならない。そうすれば、これに連動して他の人たちも止まるだろうと思いました。それで私どもがやったことは、麻原氏の再審請求です。これは4度目ですけれども今度の再審請求は、地下鉄サリン事件をめぐるいわゆるリムジン謀議について、青山由伸さんに話を聞いて、そういう謀議はなかったという確たる証言を得て陳述書を提出し、再審請求をしたわけです。
  同時に人身保護請求もしました。麻原氏が心神喪失状態で10年以上も放置され治療されていない、これは法令に違反する不当な身柄拘禁であるということで、適切な治療を求めて人身保護請求をしたわけです。
  それから後見人の選任をしました。ご本人が心神喪失状態にあるわけですから、自ら意思を表示することができません。そうすると後見人が代わって意思表示する必要があるわけです。
  それからさらに山本太郎議員にお願いして、法務省の矯正局に対して請願をしました。私どもは10年以上も麻原さんに会えていない。生死さえも確認できていない。ですから家族や私どもが確認できるようにしてくれという請願を行ったのです。
  それから死刑執行停止義務付け訴訟という新しい行政訴訟法の中で認められている訴訟を提起しました。法務大臣に対して刑事訴訟法に基づき、心神喪失を理由に、死刑執行中止命令を出せという裁判を提起したわけです。これについてはなかなか第一回期日が入らないものですから、私どもは、法務大臣に直接内容証明郵便で訴訟を告知し、また訴状を送りましたが、結局、第一回期日も入れられないままで執行されてしまったのです。
  それから最後に恩赦の出願もしました。麻原氏は、自ら恩赦の出願書を書けませんし、我々に委任状を書けるわけでもありませんから、お子さんが本人に代わって出願するということになりました。
  そうすると、拘置所長は、出願書を送り返してきました。再度事情を説明して、本人はできないんだと説明しても、彼らはまた送り返してくるんです。今度は、直接提出に行こうとしているところに、今回の執行が行われました。
■13人のうち10人が再審請求中だった
 麻原氏だけでなく、他の死刑囚の人たちも一緒に足並みを揃えてやろうということで、私は新實さんにお会いして、新實さんの恩赦の出願を手助けしました。それから中川智正さんにも恩赦の出願も勧めました。
  今までは、一部の例外を除き、再審請求により、死刑の執行を止めることができてきたわけですけど、昨年の3名に対する再審請求中の死刑執行があったものですから、再審請求だけでなく、これに恩赦の出願というもう1枚の歯止めを加えようとしたわけです。また、昨年の再審請求中の執行は、1回目の請求ではなかったので、まだ再審請求をしていない人にも再審請求をしてもらう努力も行われました。そもそも、オウム事件に加わった人たちは、自由意思でこれに加わったのかどうか、またその結果がどうなるかについて予見できていたかどうかという重大な疑問があるわけです。
  しかし、7月6日、7名の死刑が執行されました。最初は13名の人を一緒に執行するだろうと思っていたので、3月の移送の後にもう1回移送があり、執行体制を組むだろうとも予想していました。そうすると、どうしても過去のケースが頭に浮かんできますが、大逆事件の場合、24名が死刑判決を受けたわけですが、執行の時に12名が恩赦で減刑されているんですね。結局、処刑されたのは12名の人でした。いくら安倍政権であっても、それくらいのことはやるのではないかとかすかな期待もありました。
  特に地下鉄サリン事件では、横山真人さんは、死者が一人も出していない。行為態様を見てみますとサリンの入った2つの袋を弱くしか突かなかったためにサリンの噴出量が少なかった。それで死者が出なかったわけです。井上嘉浩さんについても、一審では無期懲役だったわけです。そして岡崎さんは、自首をしているわけです。こういう人を本当に死刑にするのだろうかと私は思っていました。淡い期待ですけど、もしかすると少なくともこの3人については恩赦があるかもしれないと思ったのです。でも実際にはそうではなかったわけです。
  7月26日の死刑執行については、事前に、木曜日つまり26日が危ないという話がマスコミの人からどんどん入ってきました。その通りになったわけですから、恐らくマスコミには一定の情報が流れていたのだろうと思います。
  今回の執行の問題点について言えば、13人のうちの10人が再審請求中で、その中には再審請求をしたばかり。しかも、弁護人の方に話を聞くと、三者協議で、検察官が新証拠を開示することが決まり、その証拠が開示される直前であったというわけです。
  法的な問題として、そもそも再審請求中に死刑執行ができるのかという問題があります。刑事訴訟法では死刑執行は確定から6カ月以内となっているのですが、その間に再審請求があった場合には、6カ月に算入しないという規定があるんです。
  では6カ月過ぎた後はどうなるのかというと規定がないんです。死刑という刑罰のしかも人の命の問題ですから、憲法31条にも法律の定める手続きによらなければならないと明記されているわけですから、法律事項、つまり法律で定める必要があるわけです。しかし、6カ月を過ぎた後の再審請求中に死刑を執行できるかについては規定がありません。
  もっとも、政府は、反対解釈をして、6カ月過ぎた後の再審請求であれば執行できるんだと公言しています。これは、あくまでも法律の解釈でしか過ぎません。国家権力の行使を制限する方向でそういう解釈をするのであればまだ納得できますが、国家の権力を拡大する方向での法律解釈であれば、それはご都合主義というほかなく、法治主義の原則に反します。
  同時に、再審請求中で現に裁判所に事件が係属しているのですから、その最中に死刑を執行して裁判を終わらせてしまうことは、裁判権の侵害というほかありません。再審請求をしている人にとっては、憲法で保障されている裁判を受ける権利の侵害であって、憲法違反であるわけです。
■恩赦出願と人身保護請求
 それから恩赦の出願についてですが、恩赦というのは国際人権規約の6条に、死刑を宣告された人の権利として保障されています。罪を犯した人には、赦される権利、社会に復帰することを認められる権利があります。誰とも共生していく、それが民主主義の考え方なんです。そういう趣旨に基づいて、恩赦については権利として国際人権法の中で保障されているわけです。ですから恩赦の出願中に刑を執行するというのは、明らかに条約違反なわけです。憲法は最高の規範です、その次が条約です。そして第三の規範が法律です。ですから、条約違反は、憲法違反と同レベルの重大な問題です。
  人身保護法はなじみのない法律ですが、戦後、議員立法として制定された、憲法に準ずる法律だと言われています。この法律は、いかなる不当な拘禁についても、即時に解放することができるという、裁判所が直接権力を行使できる法律なんです。人身保護請求事件は、他の事件を差し置いてでも、迅速に審理しなければならないと規定されています。しかも、人身保護請求事件は、必ず最高裁に報告しなけばいけませんし、最高裁はいつの時点でも自由にその事件を自分のところに引き取って、審理することができるとなっています。そしてその決定は、それ以前の判決の効力を失効させる力があると規定されています。ですから、人身保護法で救済の命令が出た場合には、麻原氏に対する判決の効力はその限度で失効することになるわけです。
  麻原氏の人身保護請求事件では、国側は答弁書と証拠を出してきました。その中に、東京拘置所の医務部長の医師が約10年間にわたって麻原氏と接したやりとりを書いています。最後は昨年の12月で終わっているのですが、そのやりとりを見ると、全く言葉が通じてないんですね。Aと尋ねたらBという言葉しか出てこない。Aという趣旨で話しても、全く関係ない反応しか示さない。その連続だったんですね。10年間、一度も意思疎通ができていませんでした。
  人身保護法請求がなされ、それが審議の過程にあるなかで、麻原氏を処刑して事件を終わらせてしまうというのは、明らかに裁判権に対する侵害であるわけです。
  このように私どもは法律の規定に従って死刑の執行を止めてきました。しかし、法務省は、それをことごとく無視したわけです。これが今回の執行の基本的な問題点だと思います。
■100年前の幸徳事件の以前に戻った
 今回の執行は13名です。彼女の過去の執行を加えますと16名になります。過去の記録を見ても、一人の法務大臣がこれほど多くの死刑を執行した法務大臣はいません。今回の執行により、死刑をめぐる状況は、100年前、1911年の大逆事件の12名の執行、それ以前に逆戻りしてしまいました。今回の執行により、死刑のステージを一気に悪い方向に引き上げてしまいました。
  例えば今後、法務大臣が一度に3名の執行は多いんじゃないですか、そんなことはできませんよ、と言ったとしても、この前7名の人を執行した法務大臣がいたじゃないですか、しかも女性の法務大臣ですよ、ということになるわけです。こういう状況の中で、私たちは、どのように運動を展開していくかという問題に直面しています。死刑廃止というのは、思想でも価値観でも生き方でもありません。死刑廃止という政策を実現していくことにほかなりません。どうすればこの政策が実現できるか。そしてその実現に一歩でも近づけるかという問題だと思うのです。そのためには、死刑執行を少しでも減らしていき、政策実現のための環境を作り出していくことが必要だとあると思います。
  私は前から申し上げているんですけれど、終身刑を今の状況で導入しようと。そうすることによって死刑がひとつでも減るじゃないか。そして死刑判決については慎重を期するため、全員一致制を採用しようじゃないか。全員一致の時だけ死刑が決定され、過半数の人が死刑に賛成しても、一人でも反対の人がいれば、慎重を期して終身刑にしようじゃないかと申し上げているわけです。
  そして検察官の控訴は認められない、全ての死刑判決については必要的上訴、つまり、二審、三審の審査を経ない限り死刑を確定させてはならないというふうにしたらよいと思っています。再審請求には国選の弁護人を保障する必要があると考えています。
■遺骨の問題をめぐる3月の通達の意味
 最後になりますが、麻原氏の遺体と遺骨の問題について情報を提供します。私たち弁護人は、麻原氏の遺族の依頼を受けて、拘置所に遺体の引き取り、それが駄目なら遺骨の引き取りを求めて交渉をしました。さらに、分骨でもいいと申し入れました。みなさんの願いは、遺体を引き取り、家族だけで、親子全員で、静かにお別れをし、荼毘に付したいということでした。しかし、遺体を引き取ることはできませんでしたし、遺骨も引き取れていません。実は今年の3月7日に法務省が通達が出しました。それまで、誰が遺体を引き取るかについての定めはありませんでした。ですから、当然、喪主に当たる人、つまり配偶者が遺体を引き取ることになっていました。しかし、この通達によって、引き取り人は死刑囚本人が指定した者とされてしまったのです。ですから、今回、麻原氏が、執行の場で、わざわざ拘置所の職員から問いかけられて、これに答えて、四女の方を指定したということで、たとえ喪主であっても、それ以外の人は引き取ることができない。遺骨もそうだとされてしまったわけです。つまり、今年の3月の段階から、麻原氏の執行を前にして、遺体や遺骨の引き取りについても、妻には引き取らせないということが準備されていたんです。かつて、極東裁判によって、処刑された7名の人の遺体は、遺族が引き取ることができませんでしたし、その遺骨も、占領軍によって散骨され、遺族に渡されることはありませんでした。これと同じことを、法務省はやったわけです。正に、時代が逆行しているわけです。法務大臣は「鏡を磨いて磨いて死刑を執行を決定した」と言いました。つまりこういう周到な上にさらに周到な準備をして、死刑執行の準備を進(・・・註;ここから空白=来栖・・・)

  そして執行の前日です。安部首相や法務大臣は、赤坂の私の事務所のすぐ近くで酒盛りをしていました。法務大臣は、赤ら顔で、乾杯の音頭をとっています。つまり、死刑執行の準備完了ということで酒盛りをしたのでしょう。人の命を絶つことに対する厳粛さは微塵も見ることができません。安部首相も当然翌日の執行を知っていました。命に対する侮辱というほかありません。また死者に対する冒涜です。そして彼らの本質、つまり、人の命を何とも思わない、彼らが日本を支配し、司法行政を行っている、これが日本の今の現実です。
  大逆事件、つまり、幸徳事件によって日本の死刑の状況は一変し、社会全体が国家主義に右傾化し、言論が弾圧され、軍部が国家を支配し、戦争へと突き進んでいきました。石川啄木も、徳冨蘆花もそのことを憂いました。恐らく今回の執行も同じような影響をもたらすでしょう。私たちはそれを覚悟しなくてはいけないと思います。
  こういう中で、死刑廃止をどう実現していくかを真剣に考える必要があると思います。死刑廃止論者だけではとても死刑廃止はできません。死刑存置の人たちと手を携えないと、死刑廃止に近づくこさえもできません。死刑廃止の人だけで自己満足に陥っているわけにいきません。死刑存置の人たちにも受け入れてもらえる具体的な施策を考えようではありませんか。私は、死刑存置の人たちの考えもそれなりの考えだと思っています。一気に目的を達成するということではなく、目標に向かって、一つ一つ地道に進めていくという率直さと気構えが必要だと思います。
. 安田好弘
 最終更新:8/22(水) 12:32 

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2018.8.23 Thu〉
 『』9月号から転載させていただいたが、安田弁護士の主張に同意ではない。氏の「再審請求」にも見られるように、主張には幾つかの矛盾があると感じざるを得ない。論理破綻を来していると云ってもよいのではないか。
 例えば、再審請求を延命の手段(死刑執行阻止)とするのは、正しいか? 私には、そうは思えない。再審請求はあくまでも裁判の公正を求めて為されるものだ。「延命のため」と公言して憚らない弁護人もいる。裁判・事実認定の間違いのため、真実と正義を求めて再審請求する人々にとって、延命のために再審請求する群像は、どのように映るだろう。悔しい思いをなさるのではないか。
 勝田清孝の死刑執行についても、当日安田さんは私に電話で虚偽を語られた。・・・正義と真実から遠くなっていかれているのではないか。
 このように独白しながら、しかし、清孝の死に際し、初めて私を泣かせてくれたのは安田さんだったことを思い出す。氏は言われた「すみませんでした。私たちの力が足りませんでした」。
 何があっても、とりわけ清孝の命に関しては被害者御遺族を思い自分の悲しみを殺してきた私に、安田さんの「すみませんでした」は優しい慰撫となって、私を泣かせたのだった。氏の他に誰が勝田清孝死刑囚の死に対して「すみません」などと謝ってくれただろう。
 勝田清孝死刑囚と交流を続けた歳月、死刑制度について様々考えさせられた。死刑廃止団体の人たちの独善が嫌で、彼らと与することはなかったが。
 清孝の生存中も現在も、痛感するのは、日本では死刑廃止は無理だろうな、ということだ。
 よく「侍ジャパン」という言葉を聞く。サムライ、即ち武士道とは、迷い無く「パッと咲いて、パッと散る」潔さだろう。武士道精神であり、もののあわれという美意識である。西行法師は「願わくば、花の下にて、春死なん、その如月の、望月のころ」と詠んでいる。
 人を殺めて、自らは生き長らえる、そういう美意識は日本人には受け入れられそうにない。(一方で、「命は尊貴。地球よりも重い」という国民性もあって、矛盾きわまりないが・・・)
 この国の国民性は、「きれい好き」なのだ。ヒロシマ原爆の日や終戦記念日に見られるように、モノゴトに問題意識を持たず、追及せず、「ごめんなさい」「もうやりません」と、儀式で詫びて、禊ぎは終わったとする。
 そのような国が、死刑を廃止するなど、考えられない。
 幾人もの死刑囚の最期を書物などを通して見たが、私の見た故死刑囚の方々の最期は、矜恃あるものだった。
 むしろ私の心に解決不能のものとして、どうしても残ってしまうのは、執行する刑務官の方々の痛みである。職務とはいえ、白昼、抗う術を持たぬ弱者(死刑囚)を呼び出し、刑場へ連行し、その首に縄を掛けねばならぬ。ボタンを押さねばならぬ。如何ばかり、苦しい職務であることだろう。規定では、執行は確定後6ヵ月以内となっているが、多くは何年も後に行われる。何年も後の執行ならば、囚人と官吏とはいえ、互いの間に情が湧いても不思議ではない。そのような情況下で、手に掛けねばならない。刑務官という人の心に、恢復不能の傷を遺す。死刑存否について、私が最も悩むのは、一にその事かも知れない。

* 弁護士安田好弘さん
* 天国の清孝へ 2007/12/07 安田好弘さん「私どもの力が足りなかったために、死なせてしまった」〈旧HP原稿〉
* 富山長野連続誘拐殺人事件 宮崎知子死刑囚 2回目の再審請求/「延命の企図も」弁護人 2011-11-26 
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オウム松本元死刑囚を拘置所で間近に見ていた獄中者から届いた手紙の気になる内容
篠田博之  | 月刊『創』編集長  8/22(水) 12:41 

  

 オウム死刑囚13人の執行をめぐっては、時間がたてばたつほど疑問が膨らんでくる。
 最近、獄中者から届いた手紙をまず紹介しよう。
《最近のニュースで本当に頭にきているのはオウムの死刑執行です。彼ら13人のやったことは責任を取らねばならないのは当たり前だと思います。しかし、私は麻原が執行前に遺体を四女にと言ったという報道には怒りを通り越して笑ってしまいました。東京拘置所に入所中、私の面会連行の時に、車いすの麻原氏を警備隊の人間が15~20人くらいで完全に囲んで見えないようにして移動しているのを自分の目で何度も見ています。人間の姿ではないという印象で、それがそんなふうにしゃべったというのはありえないと思います。東拘の発表は、密室なのをいいことに都合よく……国がこういうデタラメをやっていることに何とも言えない気持ちになりました。
 私は東拘では死刑囚の舎房があるフロアーに入っていたので、新實さんと土谷さんの2人は1年間、舎房が隣でした。毎日、会釈をして、笑顔でしたので、死刑は当然かもしれませんが、何とも言えない気持ちになりました。》
 この手紙の主が誰かは明かせないが(明かしたらそれ自体驚愕なのだが)、松本元死刑囚が執行直前に係官に話したという内容については、多くの人が疑問を呈している。手紙では東京拘置所が発表したと書かれているが、実は正式な発表は何もない。個別にマスコミの取材に応じて語られた内容があれだけ一斉に報じられているのだが、前回、ヤフーニュースに載せた松本家の二女三女サイドの話にあるように、事実関係についてはどうもよくわからない面がある。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20180814-00093020/
*オウム松本元死刑囚「遺骨」問題に国家の意思が働いたとしか思えないこれだけの事情
 国家の側が、平成時代の間にオウム事件にケリをつけようと早い時期から準備していたと思われる事情はいろいろ明らかになりつつある。昨年、再審請求中の死刑執行の前例を作り、今年3月には「遺体引き取りは死刑囚本人が指定した者とする」という法務省通達がわざわざ出されたというのは、今から振り返ると、明らかな意思のもとに着々と準備が行われていたと思わざるを得ない。
 そのあたりの事情については、月刊『創』9月号の特集「オウム死刑執行の衝撃」の中で、松本元死刑囚のかつて弁護人だった安田好弘弁護士が語っているので、その内容をヤフーニュース雑誌で公開することにする。この安田弁護士の話では、3月のオウム死刑囚移送からどんなことが行われていたか、興味深い経緯が明らかにされている。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180822-00010000-tsukuru-soci
100年以上前に戻ったオウム13名の大量死刑執行
 この『創』9月号のオウム死刑執行の大特集はいろいろな反響を呼んでいるので、ぜひ現物を読んでほしいが、特集内容の詳細は下記のホームページをご覧いただきたい。
[ http:www.tsukuru.co.jp]
 その『創』の 発売当日に新實智光元死刑囚の妻から電話があり、いろいろ話をした。彼女のメッセージがその特集に掲載されているのだが、新實元死刑囚への批判はともあれ、死刑執行という現実について遺族から話を聞くとやはりその重さを感じざるを得ない。彼女によると、夫である新實元死刑囚は死亡診断書を見ると、16分間以上吊るされていたことになるという。
 さて、オウム死刑執行の意味やオウム事件について考えるために8月24日に大きな集会を予定していることは既にいろいろなところで告知している。今朝22日に東京新聞が告知記事を載せてくれたおかげで、朝から『創』編集部に電話が来ているのだが、さきほど電話してきた年配の女性は、今回の死刑執行については納得できないこともあるので関心を持っていると熱く語っていた。でも、その電話の数分後、また電話があって、オウムについての集会に行くと娘に話したら「そんな危ないところに行って大丈夫?」と心配されたという。別に集会自体は何も危なくないので(笑)、多くの人に参加して一緒に議論してほしい。
 松本元死刑囚に拘置所で面会して意見書を提出した精神科医の野田正彰さんにはわざわざ京都からおいでいただいて、松本元死刑囚の精神状態がどうだったのか改めて聞く予定だし、松本サリン事件被害者の河野義行さんもわざわざ遠方からおいでいただくことになっている。今回のオウム死刑執行がどうだったのか、13人もの例のない大量執行という事態について我々はそれをどう考えどう受け止めるべきなのか、ぜひ一緒に考えてほしいと思う。森達也さんや有田芳生さんら発言者も十数人にのぼる。集会の詳細と予約申し込み先は下記からアクセスできる。
http://www.aum-shinsokyumei.com/2018/08/10/post-756/
「死刑執行に抗議し、オウム事件についてもう一度考える」集会
 オウム死刑執行をめぐる問題については9月に私の属する日本ペンクラブでも取り組む予定だし、今後もフォローし、発信していきたいと思っている。

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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