〈来栖の独白 2015.11.30 Mon.〉15年前の今日、113号事件死刑囚勝田清孝に刑執行されたと知ったのは…

2015-11-30 | 日録

〈来栖の独白 2015.11.30 Mon 〉
 晴れて暖かである。同じ日和の15年前の今日(2000.11.30.Thu)、113号事件勝田清孝に刑執行されたと知ったのは安田好弘弁護士からの電話によってだった。朝からなぜともなく気分が落ち着かず、教会へ行き、オルガンを弾いて帰宅した時だったので、知るのが遅かった。
 本日で、ホームページ(『勝田清孝と来栖宥子の世界』)も閉じる。閉じる理由は何点かある。「勝田は『もう世間から忘れられたい』と思っているのでは」と私が感じるようになったのも、その一因だ。
 絶対な存在(神)ではない人間には、本当の意味での償い----無きものにした命を再創造して返す----などできない、と私は考えてきた。「無きものにした命を再創造して返す」と書いたが、今の次元に返しても、それは全き償いではないだろう。あの、喪われた次元に返さなくてはならぬ。喪わせた次元(時代・年齢・環境…)に戻す、それは人間のわざではない。
 そんな人間存在が、せめて二次的な、不完全な償いとして為すのが「詫び」であり、勝田はそれを死刑という自らの命を差し出すことで為した。自分に関わってくれた人に感謝を述べ、被害死者に謝りながら受刑した。
 人は神ではない。相対的な存在である。それが私のカトリック信仰かもしれぬ。聖書は「人命尊重」を戒律のトップに挙げない。トップは、「神を蔑ろにするな」、「偶像崇拝禁止」である。  

モーセの十戒
一、我は汝の神ヤーウェ、我の外何ものも神とするなかれ
二、汝自らのために偶像を作って拝み仕えるなかれ
三、汝の神ヤーウェの名をみだりに唱えるなかれ
四、安息日をおぼえてこれを聖くせよ
五、汝の父母を敬え
六、汝殺すなかれ
七、汝姦淫するなかれ
八、汝盗むなかれ
九、汝隣人に対して偽りの証をするなかれ
十、汝隣人の家に欲を出すなかれ


弊ホームページのこと 
 〈来栖の独白 2015.10.29 Thu 〉
 弊ホームページ 『勝田清孝と来栖宥子の世界』をお仕舞にすることをずっと考えてきた。来月の上旬をもってお仕舞にする予定。本日、以下のように、お知らせをした。

 

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