【元露スパイ毒殺事件】猛毒ポロニウムはロシアの核閉鎖都市で製造されていた…戦慄の英報告書 2016/1/21

2016-01-27 | 国際

 産経ニュース 2016.1.25 07:00更新
【元露スパイ毒殺事件】猛毒ポロニウムはロシアの核閉鎖都市で製造されていた…暗殺国家の闇を浮き彫りにした戦慄の英報告書
 ロシアの「毒殺」は小説より奇なり-。2006年に元ロシア連邦保安庁(FSB)中佐、リトビネンコ氏(当時43歳)が暗殺された事件の真相を解明する英国の独立調査委員会(公聴会)が最終報告書でロシア政府の関与の可能性を示し、リトビネンコ氏のほかにポロニウム210で毒殺された人物を特定したことなどからロシアが政敵をいとも簡単に毒殺する「暗殺国家」であることを改めて裏付けた。(ロンドン 岡部伸)
  <ロンドンの病院で治療を受ける元ロシア情報機関員リトビネンコ氏=2006年11月(ゲッティ=共同)>
■ボルシチに睡眠薬
 プーチン大統領が毒殺を「承認した可能性が高い」とする英国の調査委員会の結論に妥当性があると判断した。筆者自身、モスクワ特派員時代にロシア情報機関から飲食物に睡眠薬を混入された経験があるからだ。赴任して間もない1997年4月か5月ごろ、投宿したサンクトペテルブルクのホテルでルームサービスのボルシチを取って食べたところ、衣服を着たまま熟睡してしまい、翌朝起きると財布の中から、米ドル札だけが抜き取られていた。パスポートやルーブル札は残っていた。不審に思い、外務省の知人に相談すると、しばらくしてロシア情報機関から次のような回答が来たと伝えてくれた。
 「あなたの行動をずっと見張っている。今回はそのことを知らす警告だ」
 入り口の鍵とチェーンロッカーはかけていた。連中はボルシチに睡眠薬を混入して眠らせた上で、コネクティングルームの隣から侵入したようだった。薬物をいとも簡単に混入させ相手を意のままに操ろうとするロシア国家の本質を垣間見て背筋が寒くなった。
■凶器 ポロニウム210
 今回のリトビネンコ氏暗殺事件では、睡眠薬ではなく致死に至る放射性物質、ポロニウム210が使用されていたが、報告書でロシア政府関与の可能性が高い根拠としたのが、ポロニウム210の入手ルートだった。
 サセックス大学のドムベイ名誉教授の研究成果から、殺害の「凶器」ポロニウム210は、大変レアで致死量を製造できるのは核兵器を製造するロシア西部の核閉鎖都市で、ロシア政府の管理下で製造されたことを突き止めた。
 しかも事前テストとして2004年にロシア南西部ボルゴグラードで収監していたチェチェンの反体制活動家のイスラモフ氏ら2人にもポロニウム210を飲ませ、殺害していた。
 さらにモスクワからロンドンにポロニウム210を3回持ち込み、事件があった約1カ月前の6年10月にもリトビネンコ氏はポロニウム210を盛られた可能性が高いと指摘した。
 そこでポロニウム210を製造、使用できるロシア政府が殺害に関わった可能性が高いと結論づけた。
■毒殺の伝統
 ロシアでは毒物によって暗殺する伝統がある。古くは暗殺者たちを生み出す原点となった帝政ロシア末期に、人心を乱すとして怪僧ラスプーチンに青酸カリを飲ませ、殺害を試みたことはよく知られている。
 そしてロシア革命の父、レーニンが1917年の10月革命後、政敵に対するテロ暗殺のために設立した国家保安委員会(KGB)の前身である「チェカー」(秘密警察組織の通称)の毒物研究が発端となり、ジェルジンスキーらが裁判なしに反革命派を逮捕・処刑、最後の皇帝ニコライ2世一家殺害にも関与した。
 78年、ロンドンでブルガリアの反体制活動家が傘の先に仕掛けられた猛毒、リシンによって殺害された。KGBの対外防諜局長で米国に亡命したオレグ・カルーギンが、亡命先でKGBの犯行であったことを暴露している。
 スターリン時代に規模が拡大され、ソ連崩壊後はFSBが研究を引き継いだ。ロシア西部サロフの国家施設アヴァンガルド・プラントで開発された放射性物質ポロニウム210は最新の「凶器」といえる。サロフは、旧ソ連時代には「アルザマス16」の名前で呼ばれていた秘密核兵器開発都市だ。
■動機 モスクワアパート連続爆破事件
 報告書は暗殺の動機を「FSBの腐敗を告発するなど、リトビネンコ氏はロシアに多くの敵を作った」とした。
 具体的には99年に300人の死者を出したモスクワアパート連続爆破事件の“内幕”を暴露したことにあり、背景にプーチン氏とリトビネンコ氏の浅からぬ因縁があったと指摘した。
 プーチン氏が、第2次チェチェン戦争の引き金となったアパート連続爆破事件を契機に絶大な権力を握るようになったのは有名だ。
 リトビネンコ氏は98年11月、政商ベレゾフスキー氏の暗殺を命じられながら、その命令を内部告発して逮捕された。その上司であるFSB長官がプーチン氏だった。リトビネンコ氏は無罪となるが、翌年再逮捕され、再び釈放され2000年に家族を連れて英国に亡命した。 
 ロンドンでリトビネンコ氏は、モスクワの一連のアパート爆破事件とプーチン氏の大統領就任を結びつける告発本「ロシア爆発。内からのテロ」を出版する。アパート爆破事件はチェチェンの犯行と決めつけたプーチン氏はそれを理由にチェチェン弾圧を行い、国民から圧倒的な支持を得た。病弱なエリツィン大統領(当時)はプーチン氏を後継者に指名、99年12月に引退。チェチェン平定を果たしたプーチン氏は2000年3月大統領選挙で圧勝する。
 権力を掌握したチェチェン弾圧とそのきっかけとなったアパート爆破事件が、チェチェンのテロリストの犯行ではなくFSBのプーチン勢力による自作自演だったとリトビネンコ氏は内部告発したことがプーチン氏の逆鱗に触れたと報告書は分析している。報復と見せしめの可能性が強い。リトビネンコ氏自身は、死のベッドで書いた遺書で、プーチンとFSBにやられたと記している。
 リトビネンコ氏と連絡を取り、FSB関与疑惑を調査した野党のユシェンコフ下院議員は2003年4月、射殺されている。
 また次期大統領候補といわれたレベジ元安保会議書記もアパート連続爆破事件は「治安機関が関与している疑いがある」と発言して、ヘリコプターが突然墜落する不審な事故で死亡している。
 99年にモスクワに赴任していた筆者も第二次チェチェン戦争の引き金となったアパート連続爆破事件がチェチェンのテロと結論付けることに疑念を抱いたことを覚えている。あまりにも証拠に乏しく唐突に思えたからだ。ロシアの暗殺を巡る闇は深い。
●ポロニウム210
 ポーランド出身のノーベル物理・化学賞受賞のキュリー夫人が1898年に発見した放射性物質。ポーランドのラテン語が語源になっている。強い放射線を出すとされ、放射性元素の中で最も有毒とされている。
●リトビネンコ事件
 プーチン政権を批判していたロシア連邦保安局(FSB)元幹部のアレクサンドル・リトビネンコ氏が2006年11月、亡命先のロンドンで急に体調を崩して死亡。体内から放射性物質ポロニウム210が検出され、毒殺されたことが判明した。英検察当局は翌07年5月、ロンドンでリトビネンコ氏と接触した旧ソ連国家保安委員会(KGB)元職員の実業家、ルゴボイ容疑者の犯行と断定したが、ロシア政府は身柄の引き渡しを拒否している。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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2016.1.21 20:38更新
【元露スパイ毒殺事件】プーチン大統領が“暗殺”を承認か 国家犯罪の可能性 英公聴会が調査結果公表
 【ロンドン=岡部伸】ロシア連邦保安庁(FSB)のアレクサンドル・リトビネンコ元中佐=当時(43)=が2006年11月、ロンドンで放射性物質によって暗殺された事件で、真相を究明する英国の独立調査委員会(公聴会)が21日、殺害はFSBの指示で行われた国家犯罪の可能性が高く、恐らくプーチン大統領の承認を得ていたとの最終調査結果を発表した。大統領の関与を示唆したことで、英露関係の冷却化は必至の情勢となった。
 リトビネンコ氏はプーチン政権を批判して英国に亡命したが、06年11月1日午後、ロンドン市内のホテルで茶を飲んだ後で体調を崩して同月23日、死亡した。尿から猛毒の放射性物質ポロニウムが検出された。
 300ページに及ぶ報告書では、(1)リトビネンコ氏とホテルで会い、事件後ロシアに帰国した旧ソ連国家保安委員会(KGB)職員ら2人が、殺害する目的で茶にポロニウムを入れて暗殺した(2)2人には個人的にリトビネンコ氏を殺害する目的はなかった(3)殺害はかなり高い可能性でFSBの指示で行われた(4)ロシアは2人の身柄の引き渡しを拒否しており、FSBの暗殺は恐らくパトルシェフ安全保障会議書記とプーチン大統領が承認していた、と結論づけた。
 またサセックス大学のドムベイ教授の研究では、ポロニウムは核兵器を製造するロシア国内の2つの閉鎖都市でしか製造されておらず、04年にもチェチェンの反体制指導者などが毒殺されており、ポロニウムを使用できるロシア政府が国家として殺害に関わった可能性が高いとしている。
 殺害の動機としては、プーチン氏が権力を掌握する契機となった1999年のモスクワのアパート爆破事件がFSBの自作自演であったことなど、プーチン氏の「アキレス腱(けん)」を明らかにしたのがリトビネンコ氏だったことを挙げた。
 調査委は同氏の妻、マリーナさん(53)の要請を受けて英政府が一昨年7月、設置を受け入れた。委員長は、事件で検視官を務めたロバート・オーエン氏。ロンドンの王立裁判所内などで審問が行われてきた。
 調査委は計62人の関係者からの聞き取りを実施。オーエン委員長は政府の秘密文書を読む権限も与えられ、証人の発言と秘密文書の内容などを総合的に判断して最終調査をまとめた。
●リトビネンコ事件
 プーチン政権を批判していたロシア連邦保安局(FSB)元幹部のアレクサンドル・リトビネンコ氏が2006年11月、亡命先のロンドンで急に体調を崩して死亡。体内から放射性物質ポロニウム210が検出され、毒殺されたことが判明した。英検察当局は翌07年5月、ロンドンでリトビネンコ氏と接触した旧ソ連国家保安委員会(KGB)元職員の実業家、ルゴボイ容疑者の犯行と断定したが、ロシア政府は身柄の引き渡しを拒否している。
●ポロニウム
 ポーランド出身のノーベル物理・化学賞受賞のキュリー夫人が1898年に発見した放射性物質。ポーランドのラテン語が語源になっている。ウランの330倍強い放射線を出すとされ、放射性元素の中で最も有毒とされている。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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『知の武装 救国のインテリジェンス』手嶋龍一×佐藤優 新潮新書 2013年12月20日初版発行
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