「密約」有識者委、半島有事と沖縄の核認定の方向
日米間の核持ち込みなどに関する「密約」を検証している外務省の有識者委員会は来月取りまとめる報告書で、四つの「密約」のうち二つについて、存在を認定する方向となった。
密約と認定される見通しとなったのは〈1〉1960年の日米安全保障条約改定時にまとめた朝鮮半島有事の際の米軍の戦闘作戦行動〈2〉72年の沖縄返還時に交わされた有事の際の核持ち込み――の二つ。
〈1〉については同省の内部調査で、当時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日米大使が半島有事の際、在日米軍が日本の施設などを自由に使用できるなどとした「例外的措置」に関する協議の議事録が見つかった。〈2〉を巡っては当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が署名した「合意議事録」を昨年12月、佐藤首相の遺族が公表した。有識者委はこれらの発見を踏まえ、「密約が存在した」と判断する方向だ。
一方、〈3〉「60年の日米安保条約改定時の核持ち込みに関する密約」は、明確な日米間の合意文書が見つかっておらず、当時、日本政府が密約を結んだ認識はなかったと結論づける見通しだ。〈4〉「沖縄返還補償費の肩代わりに関する密約」は日本では明確な合意文書が見つかっていないが、米側文書や関係者の証言があるため、精査している。
(2010年2月24日11時34分 読売新聞)
◆沖縄「密約文書」訴訟が結審 判決は4月9日
◆沖縄密約「文書に署名した」 元外務省局長、法廷で証言
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新S.新聞案内人.栗田 亘(コラムニスト、元朝日新聞「天声人語」執筆者)
2009年12月03日
「沖縄密約証言」をよみくらべる
テレビのニュースをつけっぱなしにして、東京発行の6紙とスポーツ1紙を2時間ほどかけ、急ぎ足ながら隅から隅まで読む。朝刊コラムを担当していた6年近くのあいだ、私の一日はそれで始まった。
同じ事件、事故であっても、報じる内容はメディアによって微妙に異なる。A紙にあることがB紙にはない。C紙にないことがB紙にはある。そうした差異がヒントになって、コラムの視点が定まる。そんな体験を何度もした。
「よみくらべ」の面白さ、楽しさである。頭の体操にもなるし、知恵もつく。
とはいえ、新聞コラムを毎日書かなければならない身には、面白さ、楽しさ以前に、なんとか今日のネタを探し出したいという気持ちが先に立ってあわただしい。手持ちの材料が一つもない朝などは、目が血走っていたかもしれない。浅学非才の情けなさである。
このコラムを離れて8年余、読む新聞を5紙に減らし、かける時間も少ない。でも、いささかの余裕をもって面白さ、楽しさを味わえるようになった。
隅から隅までは目を通さない。けれど、興味を抱いたテーマについては、かなり丹念によみくらべる。
最近では、12月2日の紙面がそうだった。朝日の見出しにしたがえば<沖縄返還密約「署名した」 元外務省局長 法廷で初証言>のニュースだ。私は5紙に加え、現在は自宅で購読していない1紙もコンビニで買ってきて読みふけった。
<37年前の東京地裁の法廷。「覚えていいません」「分かりません」。外務省機密漏えい事件で訴追された西山さんの公判で、吉野さんはあいまいな証言を繰り返し、密約を否定した>=東京新聞
なぜ法廷での全面否定が37年後に全面肯定に変わったか。私などは、素朴な疑問を抱く。証言後の吉野さんの記者会見の様子が社会面に載っている。
<法廷で証言した理由を問われると、「過去の真実を追求することが、日本の将来のために有益と信じるようになった。歴史を忘却したり歪曲したりすると、歴史を作る国民にとってマイナスになることが大きい」と話した>=読売新聞
なるほど、その通りだろう。しかし、政府がひた隠しにしてきたことがらだ。もっともっとドロドロした部分があったに違いない。
<「西山さんの刑事裁判では、密約を否定しましたね」と質問されると、「『密約がない』とは、今は(証言)できないと思う」と言葉少なに語った>=毎日新聞
この辺りの事情が(私にとって)よく分かったのはつぎの記事だ。
<37年前の証言については「当時は政府が『否定しろ、否定しろ」で一致していた。検察官も政府側の役人で、(自分が認めても)偽証罪という形にしたと思う」と振り返った>=東京新聞
朝日も37年前の裁判に触れている。
<吉野氏は検察側の証人だった。法廷で「密約はなかった」と否定したが、すべてはうそだった。検察側の事情聴取で「もし(米側との取り決めを)公表するようなことがあれば交渉できなくなる。国会に対しても否定する。うそを言う」と述べていた。
「私がそう言ったからといって、(検察は)偽証罪に問わなかった。それほど検察も政府側だった」と吉野氏はこの日の記者会見で振り返った>
東京新聞に比べちょっとゴチャゴチャした書き方だけれど、吉野さんが言わんとしたことはほぼ同じだろう。
それにしても「検察も政府側の役人」という吉野さんの指摘は、本質の一端を突いて鮮烈である。会見でこの言葉通りにご本人が語ったのなら、ぜひとも文字にとどめておいて欲しかった。
優秀な検察担当の記者は、夜討ち朝駆けで検事に食い入り、しばしばスクープを放つ。
同時にそれは、検察の描く構図に沿ってメディアが操作される危うさもはらむ。過去の事件、現在進行形の事件……。あれはどうだったか、これはどうか、と考える。「よみくらべ」の効能である。
それにしても、と素朴な疑問は続く。吉野さんが出廷できた条件は何だったのか、と。
<民事訴訟法では、元公務員が職務上の秘密にかかわる証言をする場合、所属官庁の承認を得なければならないが、今回の吉野さんの証人出廷については、岡田克也外相が承認。それに加え国は1日、日本の費用肩代わり経緯などに関する原告の主張について一転して「認否を留保する」との態度に変えた>=毎日新聞
これで私の素朴すぎるかもしれない疑問は氷解した。
新聞の読者の大多数は、扱われているニュースについてアマチュアである。初歩的な疑問には、できうる限り答えてもらいたいと思っている。
当日は書かなかったが、前日の記事にきちんと書いてある、といったメディア側の言い分をよく聞かされる。現役当時、私も言い張った覚えがある。
「それは君の手前勝手だよ」とデスクに一蹴された。「読者はそれほど暇じゃない。大事なことは、何度でも繰り返して書け」
<歴史の扉を開く証人尋問が実現した背景には杉原則彦裁判長の異例の訴訟指揮がある。(中略)杉原裁判長は第1回口頭弁論で自ら、吉野氏を証人申請するよう原告側に促した。「米側に密約文書があるのだから、日本側にもあるという主張は、十分理解できる」と述べ、「不存在」を主張する国に「存在しない合理的な理由を示せ」と迫った>=東京新聞
先だって他紙も書いたことなのかもしれないが、この解説も私には栄養になった。
つぎの解説も、考えるヒントになる。
<吉野氏の証言を巡っては現在の米軍再編論議への影響を指摘する意見がある。自公政権が決めた沖縄駐留の海兵隊約8000人のグアム移転費用についても「日本が負担する必要があるのか」との声が根強い。日本は合計102.7億ドルの移転費のうち、融資を含め60.9億ドルを拠出する。だが実際の移転規模や、グアムでの施設整備の詳細は不透明だ>=日本経済新聞
吉野さんの証言を読むと、グアム移転費用を外務省や財務省にお任せする気分に、私はなれない。
「政権交代」が今年の流行語大賞に選ばれた。あれは流行語なの? と首をかしげないでもないが、それはともかく、自民党政権が続いていれば、外務大臣は吉野さんの出廷を承認しなかっただろう。
<06年に吉野さんが報道機関に対して、密約を認めると、麻生太郎外相(当時)は「元外務官僚と、現職の役人とどちらを信用するかと言われれば現職を信用するのは当然だ」>=毎日新聞
こうした「密約否定」の系譜はいまも続いていたに違いない。
事業仕分けをめぐって、さまざまな意見がある。一点たしかなのは、政権交代がなければ絶対に実現しなかったということだ。
今回の「よみくらべ」で、私はあえて、あらたにす3紙以外にも範囲を広げた。
証言報道に連動して、同じ日の朝刊1面コラムでこの問題を扱ったのは「筆洗」(東京新聞)だけだったが、吉野さんの来し方にさらりと触れて興味を引いた。
サンケイは、このニュースを1面に載せなかった。
「よみくらべ」は面白くて、楽しい。頭の体操にもなるし、知恵もつく。
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【コラム】
筆洗
2009年12月2日
ある日突然、外出するユダヤ人が胸に黄色い星の印を着けるようになった。一九四一年、留学先のドイツで吉野文六さん(91)はユダヤ人が排斥されていく状況を目撃していた▼「ヒトラーから独ソ戦争が始まると聞いた。驚くな」と大島浩大使から告げられたこともある。四五年五月のベルリン陥落では、日本大使館に押し寄せたソ連の兵士に機関銃を突きつけられた。まさに、歴史の生き証人である▼外務審議官、旧西独大使などを務めた吉野さんがきのう、東京地裁の法廷で重大な証言をした。七二年の沖縄返還に伴い、日米両政府が交わしたとされる密約文書の開示をめぐる行政訴訟の弁論で、密約の存在を認めたのだ▼毎日新聞記者だった西山太吉さん(78)が国家公務員法違反罪に問われた公判や国会で、アメリカ局長として返還交渉を担当した吉野さんは密約を強く否定していたのだから百八十度の転換だ▼証言後の記者会見で、印象に残ったのは「過去を忘却したり歴史を歪曲(わいきょく)しようとすると国民のマイナスになることが大きい」という言葉だ。秘密交渉も一定期間を過ぎれば、原則公開すべきだとの信念が証言を後押ししたのだろうか▼事件で筆を折った西山さんは故郷に戻り、「精神的な牢獄(ろうごく)」の日々を送った。長い沈黙を経て再び始めた国との闘い。密約外交を突き崩したのはジャーナリストの執念だった。
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「真実追求、将来に有益」沖縄密約証言の元局長
12月2日9時59分配信 読売新聞
1972年の沖縄返還を巡る「密約」の存在を、当時の外務省局長が公の場で証言した。東京地裁で1日、開かれた情報公開訴訟の法廷。吉野文六・元外務省アメリカ局長(91)と、密約の存在を訴え続けていた原告の元毎日新聞記者・西山太吉さん(78)が約37年ぶりに法廷で顔を合わせた。
証人尋問が行われたのは同地裁の103号法廷。吉野氏がいったん法廷を出ようとしたとき、原告席にいた西山さんが立ち上がってがっちりと握手し、笑顔で吉野氏の肩をたたいた。
吉野氏は、西山さんが約37年前、国家公務員法違反に問われた同じ東京地裁の公判で証人として出廷し、密約の存在を否定していた。この日の尋問後、東京・霞が関の司法記者クラブで開かれた記者会見で西山さんは、「法廷という厳正な場所で証言してくれた。相当の覚悟があってのことで、信ぴょう性を高く評価している」と感慨深げに話した。
一方、吉野氏も尋問後の記者会見で、「西山さんがたくさんの時間をかけて裁判に挑んでおり、信念の強さに感心していた」と評価。報道機関の取材に対して密約の存在を認めてきたが、法廷で証言した理由について問われると、「過去の真実を追求することが、日本の将来のために有益と信じるようになった。歴史を忘却したり歪曲(わいきょく)したりすると、歴史を作る国民にとってマイナスになることが大きい」と話した。
この日午後開かれた口頭弁論では、吉野氏が駐日米公使との間で、沖縄返還協定などで米側が支払うとされていた米軍使用地の原状回復補償費400万ドルと米短波放送中継局の国外への移転費1600万ドルを日本側が肩代わりすると、秘密裏に合意したと証言。局長室で公使と会い、合意文書に「BY」と、イニシャルで署名したことも認めた。
補償費の合意文書の作成経緯については「公使から、米議会から追及された場合に説得するためと要請された」と説明。文書の写しは、「日本側の立場では必要はないので処分したと思う」と述べた。最終更新:12月2日9時59分