眞子さまの婚約相手・小室圭さんの母が頼る霊媒師の存在
週刊女性2017年8月8日号 2017/7/26
画像;7月19日の朝7時ごろに都内の法律事務所へ出勤する小室圭さん(右)と、その約20分後にSPとともに自宅マンションを出た佳代さん
「あの佳代ちゃんの息子さんが眞子さまと婚約されるなんて驚きです。たしかに佳代ちゃんの弟と小室圭さんが似ているとは思っていました」
そう話すのは、秋篠宮家の長女・眞子さまの婚約相手である小室圭さんの母・佳代さんの小・中学校時代の同級生の女性だ。
眞子さまと小室さんの婚約会見は、7月上旬に九州北部を襲った記録的豪雨の被害を受けて延期されることに。そんな眞子さまのお相手である圭さんのお母さまについて『週刊女性』は先日、シングルマザーとして奮闘していた時代のことをレポートした。
その一方で、他誌では佳代さんと圭さんの“密着ぶり”が報じられているが、その「理由」は佳代さんの「生い立ち」が関係しているようだ─。
「佳代さんは近しい人にも実家のことやご出身など、自分のことを話さない人なんです。そのかわりに圭くんのことばかり話している印象でした」(佳代さんの知人)
そして、今回の婚約については冒頭の同級生もまったく聞かされていなかった。佳代さんは、亡き夫・敏勝さんの出身地である神奈川県藤沢市に小学3~4年生のころに引っ越してきたという。海からほど近い地域で、佳代さんは地元の市立小・中学校を卒業した。
「角田(旧姓)佳代ちゃんは転校生で、おばあちゃんとご両親と弟の5人家族でした。高校からは相模女子大学の附属に進学していたと思います。近所同士だったので、佳代ちゃんの家や私の家を行き来して遊んでいたこともあります」(佳代さんの同級生)
角田家が藤沢市に越してくる以前のことを、佳代さんの母・八十子さん(すでに他界)の同級生だった女性が明かしてくれた。
「八十子さんは高校時代に鎌倉市内のお寺の敷地内にあった3畳ひと間の借家に、家族3人で住み込んで下駄店を営んでいました。
そして、お寺からまた引っ越されて、八十子さんのお母さんがハウスキーパーをしていた横浜市内のとある会社の寮に、ご家族でしばらく生活されていたんです」
その後、八十子さんは圭さんも現在一緒に暮らしている祖父・角田国光さんと結婚し、’66年に佳代さんが誕生。
「'74年ごろに寮が取り壊されるなどの事情で“家がなくなるから困っている”との相談を受けたので、私が仲介して藤沢市内の平屋に引っ越されたんです」(八十子さんの同級生)
そのころ、角田家をひとりで支えていたのは国光さん。高校を卒業後、横浜市港北区内の『東和製作所』の従業員として、定年となる'98年まで勤務していたという。
「『東和製作所』は、缶ビールの缶や段ボールを作る機械の部品を製造する工場でした。角田さんはとてもまじめで仕事熱心な“職人気質”の方でしたね。5~6年前に角田さんがおひとりでふらっとうちの工場に挨拶に来られて、義理堅い方だなと思いましたね」(国光さんを知る工場関係者)
国光さんが家族の大黒柱として奮闘する中、角田家には人知れず「苦労」があったことを前出の八十子さんの同級生が明かしてくれた。
「八十子さんは佳代さんと弟さんを出産される直前くらいから、全身がリウマチになって簡単に外を出歩けなくなったんです。手足がかわいそうなくらい細くなり、本人も心身ともにそうとうまいっていたようです。
外食や旅行なども当然行けないので、ご家族は基本的にご自宅で過ごされていました。佳代ちゃんも、お母さんのお世話をされていたのだと思いますよ」
そんな八十子さんは病気のストレスも相まって、とある宗教団体に入信したのだという。
◎上記事は[週刊女性PRIME]からの転載・引用です
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小室圭さん 「デリケートにならざるをえない」家族の身上
2017.08.04 07:00
「7月上旬、九州北部を襲った豪雨被害を受けて延期された眞子さまと小室圭さんの婚約発表は、11月に行われることになりそうです。小室さんの仕事の都合で休日が既定路線の上、天皇皇后両陛下の公務日程なども考慮しなければなりません。そうなると、現実的には会見はしばらく開けそうもないようです」(皇室記者)
内親王としては紀宮さま(黒田清子さん)以来13年ぶりとなる慶祝の日が近づいている。だが、手放しで祝福されるべきはずのふたりの門出には、日増しに心配の声が高まっている。
「もともと、小室さんの仕事や収入について不安視する声はありました。ですが、“若いふたりは、手に手を取り合って乗り越えていってくれるだろう”と楽観的な意見もあった。
大きく風向きが変わったのは、小室さんの父親が自殺を遂げていたり、母・佳代さんが霊媒師のような存在に傾倒していたことが報じられたこと。さらに決定的だったのは、7月17日に小室さんが秋篠宮邸を訪れた際の服装でした。白い長袖のニット姿に、“宮邸を訪れるのにふさわしい格好とはいえない”“せめて襟付きの服を着るべきだ”という声があふれ出したんです。中には“あまりに常識がなさすぎる”“あの服装を見て、母親はなにも感じなかったのか”という厳しい批判もありました」(宮内庁関係者)
秋篠宮さまと紀子さまは、お子さま方に「本人の意思を尊重する」という教育方針を貫かれてきた。
「お相手選びについても、眞子さまのお気持ちが第一だったそうです。もちろん、紀子さまは眞子さまの結婚について当初から心配されていたそうですが、それはどこにでもある母の親心からくるもの。ところが、数々の報道を目にされるにつれ、不安の種が一気に膨らんだのか、最近になって周辺から、小室さんの育ってきた環境について改めて確認するよう“再調査”を求める声が上がったといいます」(前出・宮内庁関係者)
戦前、皇族の婚約者候補は三親等以内の親族の思想や病歴、犯罪歴などが事細かに調査された。現代ではそこまで徹底した対応はなされないが、雅子さまや紀子さまが皇室に嫁がれる際には、宮内庁内で親戚縁者のプロフィールが作成されたという。
「それは民間から皇室に迎え入れる場合で、小室さんは逆ですから、そこまでやる必要はありません。もちろん、いまさら“婚約をなかったことに”とはいきませんから、“再調査”はあくまでさまざまな事情を把握しておきたいという意味合いが強いようです。
経歴などは本人への聞き取り調査などが中心になります。ですが、ご婚約検討は報道が先行して明るみに出たうえ、会見の準備も急ピッチで進められたことで、それも不足していたようです。会見に先立って、宮内庁の担当記者には宮務課から小室さんと佳代さん、母方の祖父の角田国光さんに関する資料が配られました。しかし、父親がいない理由や死因について質問が出ても、宮内庁側は“不明です”“わかりません”と繰り返すばかりでした」(前出・皇室記者)
家族の経歴などが宮内庁としても把握できていないなか、佳代さんとある宗教団体との関連が、『週刊女性』で報じられた。本誌は、佳代さんの小中学校時代の知人に話を聞いた。
「佳代さんは、国光さんと母・八十子さんと弟さん、八十子さんの母の5人家族で、肩を寄せ合うようにつつましく暮らしていました。あまり近所づきあいを積極的にするほうではありませんでした。八十子さんは病気がちで、そのストレスもあって横浜市内に拠点を置く宗教団体に入信していたんです。佳代という名前も、その宗教の関係者につけてもらったそうです」
さらに別の知人が続ける。
「小室さんの“圭”という名前は佳代さんの“佳”からとったそうです。いつも行動をともにしていた霊媒師のような人も、もしかしたらその宗教と関係していたんじゃないですかね」
もちろん、信教の自由は憲法で保障されたものだ。それでも「宗教に限らず、元皇族ということを広告塔にされてしまうといった可能性を考えると、デリケートにならざるを得ない」(前出・宮内庁関係者)という。さらに、自宅近隣では、佳代さんの変貌ぶりに驚かされたという声も上がっている。
「以前は化粧っ気もなかったんですが、最近は化粧も欠かさず髪形も変わって、服装も気にかけているみたいで、サンダル履きで出てくるところは見なくなりましたね。勤め先のケーキ屋さんは、今回の話題で売り上げが3倍になったそうです。佳代さんが土地を探しているという噂もあって“今度は自分でケーキ屋さんをやるのかしら”っていう話で持ちきりです」(近隣住民)
◎上記事は[NEWS ポストセブン]からの転載・引用です
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◇ 『週刊新潮』が小室圭さん父親の自殺を報道 「平成皇室論」(1) 八幡 和郎 2017/5/26
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