恨まず 日々を生きる 松本サリン事件 30年
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松本サリン事件の現場。手前の砂利の駐車場でサリンがまかれた=長野県松本市で、本社ヘリ「まなづる」から(益田樹撮影)
中日新聞 2024.06.23 Sun.
第一通報者・河野さんの娘の思い
焼き上がったパンの香りを嗅ぐと、少女時代の思い出がよみがえってくる。おなかをすかせた3人の子どもたちが学校から帰ってくるのを見計らい、母が食卓に用意してくれたメロンパンやソーセージパン。あの日まで、家族が紡いできた原風景の一つだ。
1994年6月27日夜、長野県松本市の住宅街で猛毒のサリンがまかれ、当時44歳だった会社員河野義行さん宅を直撃した。自宅にいた長女で高校2年の真澄さんは、母親の澄子さん=当時(46)=とともに意識を失った。
事件の第一通報者となった義行さんは、警察やマスコミからサリンを発生させた犯人のように扱われ、一家は報道による被害に苦しんだ。澄子さんは意識が戻ることなく、事件から14年がたった2008年に8人目の犠牲者として永眠した。
「事件があっても生活を変えたくない。現状を維持したい。お母さんが毎日パンを焼いて焼いてくれたから、私もパンを焼こうかなと」。大阪市で今年5月、本紙の取材に応じた真澄さんは、涙を流して母への変わらぬ思いを語った。ふんわり焼き上げる技はまだ母に及ばない。母の形見となったパン焼き器を修理して、今も大切に使っている。
オウム真理教は、武力で国家権力を握ろうとする教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚の下、教団の抱える民事訴訟を妨害するため、松本市の住宅街にある裁判所の官舎を狙ってサリンをまいた。翌95年には東京都心で地下鉄サリン事件を起こした。世界でも例のない連続毒ガステロだった。
「理不尽な命の奪われ方はあってはならない。日々幸せであること。恨まないことを大切にしている」と真澄さん。
(部分略)
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松本サリン事件は27日で発生から30年を迎える。麻原元死刑囚らは18年に死刑執行されたが、事件の幕は完全に閉じたのか。当事者の証言から探る。
◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=部分略)
* <松本サリン事件から15年>河野義行さんの長男 仁志さん、15歳で事件直面 裁判員制度には疑問(毎日新聞2009/6/25)