〈来栖の独白 2019.3.22〉 とわに安らぎ 与えたまえ  世の旅 終えて ゆきししもべに

2019-03-22 | 日録

〈来栖の独白 2019.3.22 Fri〉
 帚木蓬生著『安楽病棟』を読んでいる。全607頁の文庫本。帚木さんの著作は、『閉鎖病棟』に続いて2作目。医師である帚木氏にしか書けない内容。詳しくは後日に。
 2週間ほども前のことになってしまったが、福生市の病院で“透析中止”という出来事があった。毎日新聞始めメディアは“犯罪”という風潮で報道した。私自身は他人事とは思えず、可能な限り多くの人のコラムなどを読んだ。たまたま帚木さんの『安楽病棟』を読んでおり、密接に重なったということもある。
 そして思ったのは、2年前に亡くなった母のことであった。亡くなる5年前、母は施設内で転んで大腿骨骨折し、寝たきりとなった。それまで杖も使わず、自由に歩けていた母であったから、私は施設の「見守り」に疑念を抱いたし、不満も感じた。が、遠く離れて暮らしており、普段お世話になっているのだからと、口にはしなかった。
 医師から「胃ろうにしますか」と尋ねられた。“胃ろう”という言葉すら知らない私だった。「胃ろうについては、インターネットで調べてみてください」と医師。
 胃ろうの施術をした。……人は自分で(口から)食べないと、すべてが機能しなくなるようだ。母は、ものを言わなくなり、会話もなくなった。謂わば、植物人間。
 少し後に、母の姉が寝たきりとなった。従姉も、医師から同様のこと(胃ろう)を訊かれたという。従姉は、拒否した。伯母は、その半年ほど後に亡くなった。
 植物のような(会話もできない)母を見舞うのは、辛さがあった。しかし、私は年を経るごとに、母への感謝(早世した父に代わって私を育ててくれた)が湧いていたのでいたので、会うたびに、その思いを口にした。“母は私からの感謝を受け留めるために、生きていてくれている”、そう思う私だった。母は、食べることが好きな人だった。多くの友達もいて、出かけたり、おしゃべりが好きだった。…そのいずれをも奪われて、静かな母。
 そういう日々が、5年続いた。幸い、寝たきりなのに手厚い介護のおかげで、褥瘡もなかった。
 『安楽病棟』を読みながら、母の亡くなる前の5年間を思う。動けず、食べる楽しみも、おしゃべりの楽しみも無くなった母。“胃ろう”の選択はどうだったのか、とも。
 そんな私を救ってくれたのは、やはり母だった。母の言葉だった。「百歳までも生きたい」と、母は元気なころ、よく口にしていた。明るいポジティブな母であった。
 そういえば、まだ僅かに会話ができていた頃、私が「何を考えていたの? Tさん(戦死した元婚約者)のこと?」と訊くと頭を振って「お父さんのこと」と答えた。私の父のことを考えていた、と。
 そうか(私との会話には上らなかったけれど)、父は母を訪れておしゃべりを楽しんでいたのかもしれない。母には92年という歳月が、あった。…人の「人生」を想う。
 私自身、長く生きた。来し方ばかりを思う明け暮れだ。先に旅立った人たち、早く迎えに来てほしい。
 日々、聖歌を弾き、歌いながら、祈る。
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 【とわにやすらぎ】 カトリック聖歌 78

1  とわに安らぎ 与えたまえ
   絶えざる光 照らしたまえ
   世の旅 終えて ゆきししもべに
2  あわれみの主よ み使いもて
   みちびきたまえ このしもべを
   なみだの地より 天(あめ)のみくにへ

 【世を去る友】 (#445)

1 世を去る 友をば かえりみたまえ
  死こそは 神への 門出なりせば 
2 愛の みあるじよ かなしき わかれ
   み旨と あおぎて 忍びて あらなん 
3 主に 賜わりては 主に 召さるるぞ
   此上(こよ)なき 御恵み(みめぐみ) おもうも なみだ 
4 とうとき 御陰(みかげ)を たのみまつりて
   逝きにし 霊(たま)をぞ 御手(みて)に ゆだねる

 * 本当に医者が死なせたのか?「透析中止」問題で続く“偽善報道”への大いなる疑問 2019/3/20 山田順 
 * 福生病院「透析中止判断」は間違っていない 宇和島徳洲会病院・万波誠医師の見解 2019/3/18 
 * 透析中止、院長が容認 「どういう状況下でも命を永らえることが倫理的に正しいのかを考えるきっかけにしてほしい」2019/3/10 


日々、ピアノに向かう カトリック聖歌を弾き「迎えてください」と祈る 〈来栖の独白〉
〈来栖の独白 2017.6.21〉
 体の具合が悪い。母が帰天して、まもなく4か月。母の生存中は、母を見守らなくてはという気概があったのだろう。それがなくなった今、私は疲労感や体調不良に悩まされるようになった。精神は、こんなにも肉体に影響するものか。高齢化の現代。昔は親を見送っても、子はまだ若かったが。
 大切な人が、ここ十何年かで、世を去った。その一人一人を思うとき、私は最早、生きているのが辛くてならない。この世に未練もない。「見るべきものは、見つ」。「一日も早く、(そちらへ)迎えてください」と主に祈る。心も体も、弱っている。
 ほぼ毎日のように、ピアノに向かう。カトリック聖歌を弾き、「迎えてください」と祈る。

ロザリオ第一環 【みつかいの】(#371)
1 み使いの 告げ給えば 謙(へりくだ)りたもう マリア
 み救いの み子の母と ここに定まりましぬ
(おりかえし)
み冠(かむり)は ロザリオ ばらの花 うち香り
祈りは 珠の数々 み前に 献げまつる 
2 山路越え ユダの町に エリザベトを 訪(と)い給う
我主(わがしゅ)の み母 来ますと 母と子は 喜べリ
(おりかえし) 
3 人知らぬ 村の外れ 漸(ようや)く 辿り来まして
貧しき 厩(うまや)のうちに まこと み子 生(あれ)ましぬ
(おりかえし) 
4 厳しき 掟のままに 天(あめ)にいます 御父に
幼児(おさなご)を 献げたもう とうとし 母の み旨
(おりかえし) 
5 聖殿に見失ないし み子を 今し 見出しぬ
相見る この喜びを 心に おさめ居たり
(おりかえし)

ロザリオ第二環 【見よやゲッセマニの】 (#372)
1 見よや ゲッセマニの園 み子は 血の汗 流し
 ひとり 祈りしたもうは 誰(た)が為の 苦しみぞ
(おりかえし)
みははよ わがために み子に 取り次ぎ給え
切なる われらの願い み子に 執り成し給え 
2 罪なきに 縄目を受け 鞭(むち)もて 打たれつつも
世の罪の あがないなり なすがまま 耐え忍ぶ
(おりかえし) 
3 茨(いばら)のとげも そのまま 冠(かむり)を 造り編みて
 み子の み頭(かしら)にかぶせ 人びとは 嘲(あざけ)りぬ
(おりかえし) 
4 重き十字架にないて ゴルゴタへの道行き
主は 三度(みたび) 倒れましぬ われも 主に従わん
(おりかえし) 
5 世の罪を あがなうため 十字架に 付けられて
御生命(みいのち) ささげたまいぬ 主の愛は限りなし
(おりかえし)
みははよ わがために み子に 取り次ぎ給え
切なる われらの願い み子に 執り成し給え

第五ミサ 【なやむわがむね】(#72)
 なやむわがむね
  いかになすべき
 よろこぶこころ
  たれにぞ告げん
 天(あめ)なるみ神
  愛の御父(みちち)よ
 主こそ知りたもう
  わが思いを

聖心 【なやみつつ】(#266)
1 なやみつつ辿り行くは ひとの世のつねなれど
霧ふかく立ちこめて わがこころ迷えば
(おりかえし)
み心の光よ
道のしるべと 照し給え
行手(ゆくて)の道を 守り給え 
2 あらし吹き波は高く 船はゆれかたむきて
 ひかりなき海原に わがこころ弱れば
(おりかえし) 
3 谷ふかく道けわしく いただきは遥かにて
 いくたびかためらいつ わがこころ悩めば
(おりかえし) 
4 主にならいみ旨のまま 苦しみもよろこびも
 わがすべて残りなく ささげたる嬉しさ
(おりかえし)
み心の光よ
道のしるべと 照し給え
行手(ゆくて)の道を 守り給え

    

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世を去る 友をば かえりみたまえ 死こそは 神への 門出なりせば 2017.3.1
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