『死刑執行拒否』が残す波紋

2006-10-01 | 死刑/重刑/生命犯

エントリー『死刑執行拒否』が残す波紋につきまして、清爾さんとHaykaさんのコメント、心よりありがとうございました。

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 三権分立について (清爾)  2006-09-30 01:40:37
 
 司法・立法・行政の三権は分立していると学びました。司法が決定した「死刑」の確定力というのは、行政(執行)と、どのように関わるのでしょう。 
 
 
 三権分立について (HAYKA)  2006-10-01 12:39:41
 
刑の執行とは、裁判の判決内容を国家権力により強制的に実現することです。そのほとんどは検察官手動で行われますが、死刑については法務大臣の執行命令が必要になります(刑事訴訟法475条1項)。

死刑の執行権限は行政にありますので、もっぱら執行についてのルールである刑事訴訟法の規定との関係が問題となりますが、遅延によって罰則を受けるようなことは無いはずです。

とはいえ、三権が分立しながらも「正義と人権の確立」を同一の目的としている以上、立法・司法・行政は互いに尊重しあうことが前提となります。杉浦前法相の態度は、死刑制度を生み出した立法、裁判で死刑を選択した司法の両方の判断を踏みにじったことになり、この点で問題となります。
杉浦前法相の「拒否」は、国家の基幹となる制度をないがしろにする公務の放棄です。

とはいえ、これまでの法相が死刑執行に対して誠実であったかと考えると、疑問があります。
刑事訴訟法は、死刑につき判決確定後六箇月以内に執行しなければならないと規定します(475条2項)が、実際には法務大臣の任期切れぎりぎりや、衆院解散などにあわせて駆け込み的にやることが多いです。これは死刑執行を密室化することで国民への情報を遮断し、制度の是非についての議論を阻害する「別の意味」での公務怠慢だと批判されています。

“死刑制度の是非や展望を判断するのは国民であるべき”という大前提からは、いずれの態度も批判がされなければならないと考えます。


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