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〈来栖の独白 2018.11.16 Fri〉
11月7日から、さだまさしさんの『ちゃんぽん食べたかっ!』(上)を読んでいる。さださんの書いたものを読むのは初めてである。
昔、「精霊流し」を聴いて、叙情的な歌詞・旋律に圧倒された覚えがある。また、『無縁坂』も、人間への優しい眼差し・労りに満ちた詩が、心に静かに染み入ってくる旋律で、いまも折に触れ、口ずさむ。
これほどの詩が書ける佐田さん。音楽の才能と同等かそれ以上に文学的才を持っておられる。
ところで、『ちゃんぽん食べたかっ!』(上)で分かったこと。3歳の時からヴァイオリンを習っていたのに、結局、音楽系の高校へ入れなかった。『ちゃんぽん食べたかっ!』(上)には次のように書かれている。
p102~
ヴァイオリンの二村先生が、芸高を受けさせない、と言ったのだ。『芸高』とは、『東京芸術大学音楽学部付属音楽高校』のことで、もちろん国立である。
「ええっ?」僕は胸の内で悲鳴を上げた。
鷲見先生を裏切ってまで二村先生についたのは、「私立校」への進学費用を心配してのことだった。だから当然、自分は芸高を受けるものだと思っていた。なのに先生は芸高から芸大に上がってきた奴は総じて駄目だ、と言う。
芸高を受験していれば、佐田さんはおそらく受かっていただろう。なのに、ヴァイオリンの二村師の云うとおりに---また、経済的な配慮もあって---佐田さんは、都立駒場高校音楽科を受験する。私の記憶では、当時、都立駒場は東大合格者を多数輩出する超難関校だった。
p104~
都立駒場高校音楽科の受験は他の都立高校と違い、2日間行われた。初日は実技で、まず自由曲の演奏、そして聴音、ソルフェージュ、コールユーブンゲンによる階名歌唱試験などだ。僕は3年間も離れたそういう訓練を心細く思い出しながら、どうにかこうにか初日を終えた。数百人の中から数十人が選抜され、2日目の筆記試験に臨むことができる。
p105~
その第一次試験結果は即日発表された。
そこは受かった。なのに筆記試験で落ちたのである。
当時の僕の偏差値は67だったので、中学の先生方はまあまあ、普通の学校ならば落ちるわけがない、と高をくくっていた。
現在、『ちゃんぽん食べたかっ!』(上)を読み終えようとするところ。昨日、セブンイレブンで『ちゃんぽん食べたかっ!』(下)を受け取った。・・・詩を作るのも難しいことだが、自伝・小説を完成させること(完成度)は至難である、と佐田氏の作品を読みながら痛感する。させられる。
なお、ウィキペディアによれば、タイトルの「食べたか」は「食べたか?」という疑問形ではなく、長崎の方言で「食べたい」という意味であるそうだ。
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さだまさし作詞・作曲
無縁坂
母がまだ若い頃 僕の手をひいて この坂を登るたび いつもため息をついた
ため息をつけば それで済む うしろだけは見ちゃだめと
笑ってた白い手は とてもやわらかだった
運がいいとか 悪いとか 人は時々口にするけど
そういうことって確かにあると あなたを見ててそう思う
忍ぶ 不忍 無縁坂 かみしめる様な ささやかな 僕の母の人生
いつかしら僕よりも 母は小さくなった
知らぬまに白い手は とても小さくなった
母はすべてを 暦に刻んで 流して来たんだろう
悲しさや苦しさは きっとあったはずなのに
運がいいとか 悪いとか 人は時々口にするけど
めぐる暦は季節の中で 漂いながら過ぎてゆく
忍ぶ 不忍 無縁坂 かみしめる様な ささやかな 僕の母の人生
◇ https://www.youtube.com/watch?v=QtQtJEBeV_w
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精霊流し
去年のあなたの想い出が テープレコーダーから こぼれています
あなたのためにお友達も 集まってくれました
二人でこさえたおそろいの 浴衣も今夜は一人で着ます
線香花火が見えますか 空の上から
約束通りに あなたの愛した レコードも一緒に流しましょう
そしてあなたの 舟のあとを ついてゆきましょう
私の小さな弟が 何にも知らずに はしゃぎまわって
精霊流しが華やかに始まるのです
あの頃あなたがつま弾いた ギターを私が奏いてみました
いつの間にさびついた糸で くすり指を切りました
あなたの愛した母さんの 今夜の着物は浅黄色
わずかの間に年老いて 寂しそうです
約束通りに あなたの嫌いな 涙は見せずに 過ごしましょう
そして黙って 舟のあとを ついてゆきましょう
人ごみの中を縫う様に 静かに時間が通り過ぎます
あなたと私の人生をかばうみたいに
◇ https://www.youtube.com/watch?v=hpNtkGEhyPE
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「防人の詩(さきもりのうた)」
おしえてください
この世に生きとし生けるものの すべての生命(いのち)に 限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか 風はどうですか 空もそうですか
おしえてください
私は時折 苦しみについて考えます 誰もが等しく 抱いた悲しみについて
生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
病いの苦しみと 死にゆく悲しみと
いまの自分と
答えてください
この世のありとあらゆるものの すべてのいのちに 約束があるのなら
春は死にますか 秋は死にますか 夏が去る様に 冬が来る様に
みんな逝ゆくのですか
わずかな生命(いのち)の きらめきを信じていいですか
言葉で見えない 望みといったものを
去る人があれば 来る人もあって
欠けてゆく月も やがて満ちて来る
なりわいの中で
おしえてください
この世に生きとし生けるものの すべてのいのちに 限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な ふるさともみんな
逝ってしまいますか
海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な ふるさともみんな
逝ってしまいますか
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「償い」
月末になるとゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに
必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった
仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと
飲んだ勢いで嘲笑ってもゆうちゃんはニコニコ笑うばかり
僕だけが知っているのだ彼はここへ来る前にたった一度だけ
たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ
配達帰りの雨の夜横断歩道の人影に
ブレーキが間にあわなかった彼はその日とても疲れてた
人殺し あんたを許さないと彼をののしった
被害者の奥さんの涙の足元で
彼はひたすら大声で泣き乍ら
ただ頭を床にこすりつけるだけだった
それから彼は人が変わった何もかも
忘れて働いて働いて
償いきれるはずもないがせめてもと
毎月あの人に仕送りをしている
今日ゆうちゃんが僕の部屋へ泣き乍ら走り込んで来た
しゃくりあげ乍ら彼は一通の手紙を抱きしめていた
それは事件から数えてようやく七年目に初めて
あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り
「ありがとうあなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました
だからどうぞ送金はやめて下さい あなたの文字を見る度に
主人を思い出して辛いのです あなたの気持ちはわかるけど
それよりどうかもう あなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」
手紙の中身はどうでもよかった それよりも
償いきれるはずもないあの人から
返事が来たのがありがたくてありがたくて
ありがたくて ありがたくて ありがたくて
神様って 思わず僕は叫んでいた
彼は許されたと思っていいのですか
来月も郵便局へ通うはずの
やさしい人を許してくれてありがとう
人間って哀しいね だってみんなやさしい
それが傷つけあって かばいあって
何だかもらい泣きの涙がとまらなくて
とまらなくて とまらなくて とまらなくて
◇ https://www.youtube.com/watch?v=MzNeMZqNwL4
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◇ 【裁判員制度のウソ、ムリ、拙速】 大久保太郎(元東京高裁部統括判事) 『文藝春秋』2007年11月号
(抜粋)
さだまさし氏は「信号も守れない人に裁かれたくない」と題する文章(高山俊吉著『裁判員制度はいらない』中の特別寄稿)の中で、「もうひとついいたいこと。たとえ兇悪犯人であっても、人としての尊厳は守られるべきです。素人判断を押しつけ、被告人を不安の淵に追い込んでもよいという理屈はないはずです」と言っている。これは千金の値のある言葉だ。本来ならば司法の指導的立場にある人が言わなければならない言葉であろう。それが民間の識者の口から出ざるを得ないところに、この制度の問題性が端的に現れていよう。
最高裁、法務省、日弁連は、もしどうしても裁判員法を施行するというのならば、以上に指摘した問題点について、国民にきちんと説明すべきであり、説明できないならば施行を断念すべきである。これが国民に対する誠実な態度であろう。今や司法は、その誠実性が問われているのだ。
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