やはり、すでに小沢一郎氏は殺されたのか

2012-09-16 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

〈来栖の独白 2012/9/16 Sun.〉
 近いうちの解散・総選挙を睨んで、自民、民主ともに選挙の顔となる総裁、代表の座争いが熾烈だ。3年ぶりの政権奪還。おそらく選挙で第1党に選ばれるのは、自民党だろう。そういうメディアの報道姿勢だ。
 2009年8月30日、民主党は衆院総選挙で圧勝、政権交代を実現させたわけだが、政権交代により既得権益を奪われると怖れた集団は、選挙前夜ともいえる2009年3月3日、小沢一郎氏の公設秘書であった大久保隆規氏や西松建設社長らを政治資金規正法違反で逮捕した。公設秘書が西松建設から不当な巨額献金を受けていたという容疑だった。
 小沢一郎氏自身は逮捕も起訴もされていないのに、この日から洪水のような大手メディア、全メディアによる小沢バッシングが始まった。東京地検特捜部の意図する方向にメディアは全面的に加担し、小沢極悪人というイメージを流布させ、固定させた。小沢代表をトップに選挙を戦おうとしていた民主党だったが、バッシングの洪水に抗しきれず、5月11日、小沢氏は代表を辞任している。半世紀も続いた自民党政権の終焉というタイミングで、事件をでっち上げ、野党第1党の党首を完膚なきまでに叩く。日本の民主主義の危機であったのに、官僚とメディアのタッグに気づいた国民がどれだけいただろう。西松建設をめぐっては、森喜朗氏や二階俊博氏など自民党の政治家の名前も挙がっていたが、彼らはクローズアップされず、小沢氏だけが攻撃された。
 その後も、既得権益(官僚・メディア・・・)は、更なる民主党潰しに躍起となった。鳩山氏を総理の座から降ろさせた(外務始め、官僚は一切鳩山氏に協力しなかった)ところに付け込んだのが、菅直人氏であり、野田総理だった。小沢氏を座敷牢に押し込め、官僚のポチとなって、頂点を手に入れた。
 既得権益の言うがまま、官僚制内閣となって、マニフェストを放り出し、民主党は民主党ではなくなった。
 この景色を安田好弘弁護士は、死刑制度との関連で次のように言う。
“しかし、法務省は、およそ行政官ではない検察官が完全に握っている、課長以上はほとんど検察官というのが実情なわけです。そういう人たちが法務行政をやり、死刑を維持しているのです。ですから検察改革も全く進まないし、監獄改革も全く進みません。ですから、まず法務省から検察官を追い出すことが必要です。しかし、そうしようとすると、検察から訴追されてしまう、誰かさんのようにです(笑)・・・”
 日本の記者クラブは、当局(東京地検特捜部)から情報をもらって、そのまま書く。報道する。逆らえば、会見場から出されてしまう。入れてもらえない。生き残りたければ当局の従順な走狗となるしかない。そのようにして、小沢極悪人、原発推進、消費税増税賛成・・・のプロパガンダは貼られてきた。
 「選挙は近い」、小沢氏は「生活」結党前からそう言ってきた。
 ポピュリズム、ワンフレーズポリティクスの席巻するこの世相で、来たる9月26日小沢一郎氏「 控訴審初公判」のニュース、「刑事被告人」のイメージは、小沢氏と「国民の生活が第一」党の足を引っ張って余りあるだろう。果たして「生活」党が生き残れるだろうか。深く憂慮してやまない。やはり、すでに小沢氏は殺されたのか。
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「自民党総裁選」/「民主党代表選」小沢系票争奪戦/小沢一郎氏 控訴審初公判 9・26 2012-09-15 
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前原誠司外相辞任と『誰が小沢一郎を殺すのか?』〈カレル・ヴァン・ウォルフレン著〉 2011-03-07 

          

p47~
 歴史が示すように、日本では政党政治は発展しなかった。しかも1世紀以上を経たいまなお、それはこの国にとって大きな問題であり続けている。だからこそ民主党は与党となっても悪戦苦闘を続けているのだ。政党政治が発展しなかったからこそ、軍事官僚が、当時の日本の10倍にも達する産業基盤を有する国アメリカを相手に戦争をはじめても、それに対して日本はなんら対処することができなかったのだ。
p48~
 小沢氏をはじめとする改革派政治家たちはみな、彼らにこそ国家を運営する権利があり、義務があると信じている。官僚が国に滅私奉公する善なる存在であるなどと、彼らはもちろん考えてはいない。我々が一歩退いてみるとき、小沢氏のような政治家をつぶそうとするメカニズムは、近代国家の道を歩みはじめたばかりの当時の日本で、すでに機能していたことがわかる。つまり日本の近代化が推し進められるのとときを同じくして、政治家に対する陰謀も進行していったということだ。そして小沢氏こそ、この百数十年もの長きにわたり、連綿と続けられてきた陰謀の犠牲者にほかならないのである。
p50~
 そして体制の現状維持を危うくする存在であると睨んだ人物に対して、その政治生命を抹殺しようと、日本の検察と大新聞が徒党を組んで展開するキャンペーンもまた、画策者なき陰謀にほかならない。検察や編集者たちがそれにかかわるのは、日本の秩序を維持することこそみずからの使命だと固く信じているからである。そして政治秩序の維持とは旧来の方式を守ることにほかならない。そんな彼らにとって、従来のやり方、慣習を変えようとすることはなんであれ許しがたい行為なのである。この種の画策者なき陰謀で効果を発揮するツールこそがスキャンダルである。そして検察や編集者たちは、そのような人物があらわれたと見るや、まるで自動装置が作動しているのではないかと思えるほどに、予想に少しも違(たが)わない反応を見せる。
p60~
 欧米諸国を参考とした大日本帝国憲法もほかの法律も、専制的な権力から国民を守ることを想定したものではなかった。つまり日本の当局は欧米の法律を参考にしはしても、その「精神」を真似ることはなかったというわけだ。そして今日、もちろん不当なあつかいから国民を守るべきだという理念はあり、それが過去数十年で強められてきてはいても、現実には、それはいまなおきわめて曖昧模糊とした感情の領域に押しとどめられている。そのため大抵の日本人はいまだに、法律というのは単に政府が人々の行動を抑制するための手段なのだ、と見なしている。これに関して忘れてはならない事実がある。東京大学法学部というのは、日本の政治システムの最上部を占める高官を輩出することで知られているわけだが、その教授陣はいまだに法律を官僚が統治に利用する手段にすぎないととらえている。そして彼らはそうした視点に立って、学生に教え続けているのである。要するに、時代が変わったとはいえ、法律は権力エリートが用いるツールであるとする見方は、日本では以前とまったく変わっていないということなのだ。
 また日本の官僚たちの間では、自分の目的を達成するために、法律のなかから適切なものを選び出すという習慣が長いこと続いてきた。そして自分たちの計画が法律の文言に抵触しかねない場合は、実に巧に新しい解釈を考え出す。このように日本では、法律というのは当局にとって、あくまでも秩序を維持するためのツールでしかない。そのため、国民みずからが与えられているはずの権利を政治システムの上層部に対して主張する目的で、法律を利用するよう奨励されているなどということは決してないのである。
p64~
 1960年代と70年代に日本の政治、そして権力構造について研究していた時期、私はそのようなやり方が繰り返し行われていることに気づいた。だからこそ日本の政治・経済について初めて執筆した著書〔『日本/権力構造の謎』〕のなかで、「法を支配下におく」という1章を設けたのだ。
 私はそのなかで、権力者の独り歩きを可能にするような方法で、日本では法律は支配するのではなく、支配されているのであって、この国の権力システムにおいて、法律は政治に関して許容すべきこととそうでないことを決定づける基準にはなっていない、と説いた。すなわち独り歩きをする日本の権力システムに対して、異議を唱え、改革を加えようとする者を阻止するような仕組みがある、ということだ。本書のテーマに当てはめて解説するならば、小沢氏のような野心的な政治家、あるいは彼のように改革を志す政治家が将来何人あらわれようと、現体制はあくまでそれを拒むというわけだ。
 いま、小沢氏の政治生命を抹殺しようと盛んにキャンペーンが繰り広げられているのも、これによって説明がつく。
p65~
 99・9%という「無謬」
 中立的な権威としての法律を日本の政治システムから遠ざけておくやり方はそのほかにもいくつかある。法律が非公式な政治システムに対して、なんら影響をおよぼすことが許されないとしたら、ではなにがシステムをつかさどっているのか?。それは暗黙の了解事項、つまり不文律であり、記憶のなかで受け継がれる古い習慣だ。裁判官もまた体制に大きく依存している。最高裁事務総局に気に入られるような判決を下さなければ、地方に左遷されかねないことを、彼らは考えないわけにはいかない。戦前、戦後を通じて日本の裁判官たちは、法務省のトップクラスの検察官を恐れてきた。これが99・9%という人間の検察の有罪判決率を可能にした理由の一つである。
 つまり、みずから裁判にかけたケースで99・9%の勝利をおさめるに日本の検察は、事実上、裁判官の役割を果たしているということになる。つまり、日本ではわずか0・1%、あるいはそれ以下に相当するケースを除いては、法廷に裁判官がいようといまいと、その結果に大した違いはないということだ。
p68~
 しかし日本に関してもうひとつ気づいたことがある。それは社会秩序を傷つけかねないどんなものをも未然に防ぐという検察の任務が、政治システムにおいても重視されているという事実だ。当然、そのためにはシステムの現状を維持することが必要となる。問題は、現状をわずかでも変える可能性があると見れば、どんな人間であっても既存の体制に対する脅威と見なしてしまうことである。そのような姿勢は当然のことながら、小沢氏のみならず、日本という国家そのものにとっても望ましいものではない。なぜならば多くの日本人は長い間、権力システムの改革が必要だと考えてきたからだ。後述するが、自民党と日本の秩序をつかさどる人々との間には、一種、暗黙の了解のようなものがあり、それが50年にわたって保たれてきたのだろう。そして自民党が政権の座を追われたいま、単に自民党とは行動の仕方が違うという理由で、体制側は民主党を、小沢氏という個人とともに、脅威を与える存在と見ているのだ。
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規制仕分け 官僚の発言力強まる 政権地盤沈下 議論に影
中日新聞2011/3/8(抜粋)
 7日まで行われた政府の行政刷新会議による規制仕分け。いたるところに張り巡らされた規制にどこまで切り込めるか、注目された。だが今回は、これまで行われた事業仕分けの時とは懸け離れた、歯切れの悪い議論が続いた。政権の地盤沈下と反比例するように強くなってきた官僚の発言力。当事者能力を失いつつある政府。その現状が、仕分けの議論にも影を落とした。
 6日行われた「訪問看護ステーション」に関する仕分け冒頭、目を疑うような光景があった。厚生労働省課長が「当初は参考人として2人出席できるという話だったのに、直前に1人に絞るように言われた。これで議論の公平性が担保されるのか」と抗議した。これに対し平野達男内閣府副大臣は「相手方に失礼だった。のちほど対応したい」とわびた。
 過去の仕分けでは仕分け人が官僚を一方的に攻め込むシーンが多かった。仕分けする側の副大臣が陳謝するのは異例だ。この問題は事務的なミスが原因だったが、他の議論でも、仕分け人の切込みに対し、官僚が押し返すような展開が何度もあった。菅政権の求心力低下で相対的に官僚の発言力が増してきていることを印象づけた。(政治部・規制仕分け取材班)
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この国が恐ろしいのは、総ての権力が同じ方向を向いて走り、正義より自分たちの足元ばかり気にしている点だ 2011-10-03 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア 
 週刊ポスト2011年10月14日号
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『誰が小沢一郎を殺すのか?』の著者カレル・ヴァン・ウォルフレン氏と小沢一郎氏が対談〈全文書き起こし〉 2011-07-30 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア 
                 

              

『誰が小沢一郎を殺すのか?』著者と小沢氏本人が対談 全文書き起こし
NCN 2011年7月29日(金)16時48分配信

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政治資金規正法を皆さん勘違い。小沢さんがいなくなることはプロの政治家がいなくなること=安田弁護士2011-01-08
 7/19緊急シンポジウム!! ''ニッポン''は何を守ろうとしているのか!H.22-06-08 
 「唯一はっきりしている条文があるんです。政治資金規正法で処罰されるのは、会計責任者だけなんです。政治家は処罰されないんです。政治家は処罰の対象から外れているんです。始めから、そういう法律なんです。そもそも法律の目的というのは、会計責任者が責任を持って会計の結果について報告する、ということが義務付けられているんです。ところが皆さん、勘違いしている。小沢さんが秘書と一蓮托生で処罰されるべきだと。これほど法律違反、法律の主旨に反することは、ないんです。つまり、どこかで法律が歪められて、トリッキー歪められて、つまり、政治資金規正法は政治家取締法なんだというふうに完全に勘違いしている。この勘違い、実は検察審査会も、まったく同じ評決をしているわけですね。小沢さんは、これだけ権力を持っている人間が、小沢さんの指示なしに物事が行われるはずがない、と。しかし法律の枠組みは、およそそんなことは無いんです。もし小沢さんが有罪になるとすればですね、責任者との共犯なんです、あくまでも。単に、知っていたとか、報告受けていたとか、そんなことでは共犯になるはずありませんね。これは、税理士さんが「これで申告しますよ」と言って「ああ、はい、どうぞ」って言ったら共犯になるか、といえば、そんなことはないわけなんです。ですからもし小沢さんが共犯になるとすれば「おい、石川、こうやれ」という形ですね。「こうやらんと許さんぞ」と、指示・命令、絶対的に服従させたと、そういう場合に初めて共犯として存在する。それを皆さん、完全に誤解している。大変な誤解(笑)。それで、皆さん、恐らくテレビなどで論評していらっしゃる。
 次の問題です。政治資金規正法の中に、何を記載せよとか、どのような会計原則に則れとか、何一つ書いてないんです。ですからたとえば、ちょっとお金を借りましたとか、立て替えて貰いましたとか、或いは、今日帳簿に載せるよりは来年のほうに載せとこうか、というような話は、本当に虚偽記載になるのかどうか、或いはそれを載せなければならないのかどうか、それさえもあの法律の中には書いてないんですよ。つまり、虚偽を記載してはいかん、という話だけなんですよ。何が虚偽なのか、さえ書いていない。しかしそれを検察が勝手に解釈してですね、例えば今回の場合の、今年載せずに来年載せたということが犯罪だと、虚偽だと、やったわけです。或いはAという政治団体からお金貰った、それを実はこうだった、違う人だった、と言って、それは虚偽だというわけですね。しかしAという政治団体を通して貰ったんだから、それを記載するのは当たり前の話でして、それを虚偽といえるかどうか、それこそ大変大きな問題なわけです。ですから小沢さんの一昨年の問題、或いは今年の問題、いずれも法律の解釈を彼らがやって初めて有罪に出来るだけの話でして。ですから立法者の条文とは違うんですね。
 ですからこの間(かん)も法律が守られずにどんどんどんどんきている。今回典型的なことはですね、石川さんが逮捕されました。しかしその2日後、3日後ですかね、3日後には国会が開かれるわけです。国会が開かれた場合、国会議員を逮捕するためには国会の議員の議決の承諾がないといけないわけなんです。それを抜き打ち的に、先達する形で石川さんを逮捕する。これは立法権に対する侵害じゃないですか。つまり憲法違反の事を彼ら、やっているわけです。つまり憲法に違反している行為に対する批判がどこにもない。これは、私ももう、大変びっくりしたわけです。
 検察はしっかりと政治をやっている、というふうに私は理解しているんです。例えば今回、石川さんの弁護をやっていて3日目か4日目ですかね、あ、検察はこれを狙っているな、というのは大体、私も、石川さんが検察にどういうことを言われているかというのを聞いて分かるんです。
 つまり検察は小沢さんを逮捕することは恐らく不可能だろうと最初から思った。しかし検察審査会で勝負をかける、ということを彼らは考えている。彼らのやり方はこうだな、と。検察審査会で起訴相当を取ることによって小沢さんの政治生命を奪う、と。そのシナリオ通りに見事に小沢さんの政治生命はなくなってしまった。ま、これが今回のシナリオでですね。小沢さんを直接起訴すれば当然全面戦争になってしまうわけでして。むしろ国民を総動員して、或いは市民という名を、怒れる11人の市民を使って小沢さんの政治生命を奪うという戦術に彼ら、でてきた。
 で検察審査会も、トリック、ま、検察審査会には助言者といってですね、弁護士がその場に同席していろんな助言をするわけです。法律の解釈とかそういうものを。恐らくその助言者がとんでもない助言をしたんだろうと思うんです。どういうことかというと、政治資金規正法は政治家の犯罪、取締法なんだという解説をしたんだと思うんです。
 ですからとんでもない、検察でさえ起訴しなかったものを検察審査会が起訴相当という結論をだしたんだろうと、そしてそのことを検察は最初から予想、予定していたんだろうと、そう思うわけです。
 先に、情緒的な風潮の中で有罪無罪が決まっていくと、そういう話がありましたけど、私は思うんですね。弁護士は弁護士として、政治家は政治家として、メディアの人間はメディアの人間として、それぞれの人間がプロ的な精神を持ってそれぞれの職責を全面的に発揮すれば、おそらくこんな体たらくな状態にはならんだろうと思うんです。法廷でも、捜査段階から弁護士が弁護人として責任をしっかりと果たせば、恐らく情緒的な社会の動きに対してたえることが出来る、或いは十分に弁護して勝つことが出来るだろうと思うんですね。
 プロ性がどんどん抜けていく、今回の政権交代でも、ま、アマチュアの集団というか、益々プロがなくなる。小沢さんがいなくなることは、プロがいなくなる、そういうことだろうな、と。崩壊の社会が来たな、と。プロが居なくなるということは、結局情緒的なものに流されるし、或いは、世間の風潮に流される、とこういう時代に益々突入したな、と思っているんです。
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政党政治が崩れる~問責国会が生む失望感===透けるポピュリズム2011-02-24
  論壇時評 金子勝(かねこ・まさる=慶応大教授、財政学)
 2011/02/23Wed.中日新聞
 
 歴史の知識を持つ人にとって、今日の日本政治には政党政治が崩壊する臭いが漂っている。約80年前の大恐慌と同じく、今も百年に一度の世界金融危機が襲っており、時代的背景もそっくりだ。
 保坂正康「問責国会に蘇る昭和軍閥政治の悪夢」(『文藝春秋』3月号)は、昭和10年代の政治状況との類似性を指摘する。
 保坂によれば、「検察によるまったくのでっち上げ」であった「昨年の村木事件」は、財界人、政治家、官僚ら「16人が逮捕、起訴された」ものの「全員無罪」に終る昭和9年の「帝人事件」とそっくりである。それは「検察の正義が政治を主導していく」という「幻想」にとらわれ、「いよいよ頼れるのは軍部しかいないという状況」を生み出してしまった。
 ところが、「民主党現執行部」は「小沢潰しに検察を入れてしまうことの危険性」を自覚しておらず、もし小沢氏が無罪になった時に「政治に混乱だけが残る」ことに、保坂は不安を抱く。さらに「問責決議問題」は「国家の大事を政争の具にした」だけで、「事務所費問題」も、国会を「政策上の評価ではなく、不祥事ばかりが議論される場所」にしてしまった。
 保坂によれば、「最近の政党が劣化した原因」は「小泉政権による郵政選挙」であり、その原形は「東条内閣は非推薦候補を落とすため、その候補の選挙区に学者、言論人、官僚、軍人OBなどの著名人を『刺客』としてぶつけた」翼賛選挙(昭和17年4月)に求めることができるという。そしてヒトラーを「ワイマール共和国という当時最先端の民主的国家から生まれたモンスター」であるとしたうえで、「大阪の橋下徹知事」が「その気ならモンスターになれる能力と環境があることは否定できない」という。
 保坂とは政治的立場が異なると思われる山口二郎も、「国政を担う2大政党があまりにも無力で、国民の期待を裏切っているために、地方政治では既成の政治の破壊だけを売り物にする怪しげなリーダーが出没している。パンとサーカスで大衆を煽動するポピュリズムに、政党政治が自ら道を開く瀬戸際まで来ている。通常国会では、予算や予算関連法案をめぐって与野党の対決が深刻化し、統治がマヒ状態に陥る可能性もある」(「民主党の“失敗” 政党政治の危機をどう乗り越えるか」=『世界』3月号)という。
 山口も同じく、「小沢に対する検察の捜査は、政党政治に対する官僚権力の介入という別の問題をはらんでいる。検察の暴走が明らかになった今、起訴されただけで離党や議員辞職を要求するというのは、政党政治の自立性を自ら放棄することにつながる」とする一方で、「小沢が国会で釈明することを拒み続けるのは、民主党ももう一つの自民党に過ぎないという広めるだけである」という。
 そのうえで山口は「民主党内で結束を取り戻すということは、政策面で政権交代の大義を思い出すことにつながっている。小沢支持グループはマニフェスト遵守を主張して、菅首相のマニフェスト見直しと対決している」と述べ、民主党議員全員が「『生活第一』の理念に照らして、マニフェストの中のどの政策から先に実現するかという優先順位をつけ、そのための財源をどのように確保するかを考えるという作業にまじめに取り組まなければならない」と主張する。そして「菅首相が、財務省や経済界に対して筋を通すことができるかどうか」が「最後の一線」だとする。
 しかし残念ながら、菅政権は「最後の一線」を越えてしまったようだ。菅政権の政策はますます自民党寄りになっている。社会保障と税の一体改革では与謝野馨氏を入閣させ、また米国の「年次改革要望書」を「グローバルスタンダード」として受け入れていくTPP(環太平洋連携協定)を積極的に推進しようとしている。小泉「構造改革」を批判して政権についたはずの民主党政権が、小泉「構造改革」路線に非常に近づいている。
 まるで戦前の二大政党制の行き詰まりを再現しているようだ。戦前は、政友会と民政党の間で政策的相違が不明確になって、検察を巻き込みつつ、ひたすらスキャンダル暴露合戦に明け暮れて国民の失望をかい、軍部の独裁を招いた。現在の状況で総選挙が行われて自民党が勝っても、政権の構成次第では様相を変えた衆参ねじれ状態になり、また野党が再び問責決議を繰り返す状況になりかねない。
 このまま政党政治が期待を裏切っていくと、人々は既存の政党政治を忌避し、わかりやすい言葉でバッシングするようなポピュリズムの政治が広がりかねない。何も問題を解決しないが、少なくとも自分で何かを決定していると実感できるからである。それは、ますます政治を破壊していくだろう。
 いま必要なのは歴史の過ちに学ぶことである。それは、たとえ財界や官僚の強い抵抗にあっても、民主党政権はマニフェストの政策理念に立ち返って国民との約束を守り、それを誠実に実行する姿勢を示すことにほかならない。
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