郷原信郎:小沢氏に対する検察審査会の起訴相当議決は無効だ!
2010年10月06日 内憂外患THE JOURNAL編集部
5日におこなわれた、郷原信郎(名城大学教授・弁護士)氏による緊急記者レクです。小沢一郎氏に対して検察審査会が2回目の起訴相当議決を行ったことについて、郷原氏のコメントをテキスト化しました。
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小沢氏の政治資金規正法に関する事件で、東京第5検察審査会が2回目の「起訴相当」の議決を出しました。この議決文にはいろんな問題があると思います。
第一に、形式的な手続面の問題です。私は、この事件については1回目の起訴相当議決のときも「被疑事実についてきちんと報じられてない」と話しました。
ようするに、不動産の取得時期と代金の支払い時期についての虚偽記入(記載時期のズレ)が1回目の議決で起訴相当とされただけであって、検察の捜査過程に報道で問題視されていた「小沢氏の2億円の現金収入」についてはまったく議決の対象になっていないということを強調してきました。
そのこともあり、昨日に被疑事実の要旨を見たときに今回も同じ被疑事実だったので、同じ内容について再び起訴相当議決を出したのだと早合点してしまいました。
ところが、今朝になってよく見てみると、起訴すべき事実は「犯罪事実」として別紙がついてる。これが被疑事実の容疑と違うんです。
(2回目の検察審査会で審議された)被疑事実の容疑は検察が2回目の不起訴処分の対象とした事実で、これは1回目の起訴相当の事実である「不動産の取得時期と代金の支払時期のズレ」のことです。
しかし、(昨日発表された議決文の)起訴すべき犯罪事実には、例の収入のことも含めて考えられています。つまり、小沢氏から不動産取得代金の原資が提供されたことも含めて、虚偽記入の犯罪事実として書かれているわけです。
これをどう見るかなのですが、私の基本的理解では、検察審査会の強制起訴という制度は、あくまで検察の「不起訴処分の不当性」を審査するために設けられた制度で、検察審査会が起訴相当の判断を2回議決したときには、その事実を強制起訴の対象とすると私は理解していました。
その観点からすると、検察の不起訴処分は「不動産の取得時期と代金の支払時期のズレ」についてだけ判断がなされているのに、2回目の起訴相当の議決でその範囲を逸脱した事実を「起訴相当」とするのは、これは検察審査会の起訴強制という手続きの趣旨からして明らかにおかしい。
起訴強制は検察審査会が2回目の起訴相当議決を出したときに「検察官の公訴権の独占の例外」として認められたものであるにもかかわらず、(告発事実の範囲を逸脱することは)その事実についての手続きが取られてないことになるわけですから、本来の法の趣旨からするとおかしいわけです。なので、このような検察審査会の起訴相当議決では、強制起訴はできないのではないかと考えています。
問題は、もし、今回のように検察の不起訴処分の対象を逸脱した事実に対して「起訴相当」という議決が行われてしまった場合はどうなるのかということです。
これは難しい問題で、そもそも、外形的に見て事実の範囲が違っており、それを逸脱している部分については「強制起訴による起訴の要件を満たさない」と考えるとすれば、裁判所から指定された指定弁護人が「この起訴相当議決では強制起訴はできない」ということで、強制起訴の手続きをとらないという判断をするということもあるでしょう。あるいは、「全体の中の逸脱した部分だけを除外して起訴する」というやり方を取ることも可能ではないかと思います。
ただし、そこは検察審査会法の解釈として、そういった判断を行うことを指定弁護士に与えられているのかどうかは、慎重に検討する必要があります。私は、基本的には要件を満たさない強制起訴手続きを指定弁護士に行わせることは難しいので、そういう判断権があると考える余地はあると思います。そこのあたりは私自身ももう少し詰めて考えていきたいと思っています。
一方、仮に指定弁護士がそれでも(2回目の議決内容で)強制起訴という手続きをとったらどうなるか。あるいは、その手続きに対して何らかの法的な対抗措置が可能なのかということですが、これについては具体的な規定がありません。
また、指定弁護士の職務の性格をどう考えるかによって違ってくるのですが、少なくとも、そういった場面の被疑者側のアクションとして「強制起訴手続きが行われるべきではない」という申立てをして、強制起訴の手続きを取らせないようにするアクション自体は可能だと思います。
では、たとえば裁判所に「仮処分」の形で差し止める手続きが可能かどうかというところでは、指定弁護士と検察官が同じような職務の性格だとすると、(裁判所が)検察官の不当な起訴に対してそれを差し止める仮処分ができないのと同じように、難しいかなと思います。
そうなると、指定代理人の強制起訴という手続きが行われ、裁判所の手に渡ったときに、裁判所に対して「この強制起訴手続きは違法なものであり、無効である」として、裁判所にただちに公訴棄却の決定、もしくは判決を直ちに行うよう主張することは可能だと思います。
いずれにしても、検察審査会の手続きや議決できる被疑事実の範囲がきちんと整理されていない。たとえば、ちょっとした日時の違いや金額の多少のズレも許されないのかというと、これもあまりに硬直的に過ぎる気もします。そのあたりをどう考えるかも難しい問題だと思います。
一つの考え方としては、たとえば、「犯罪事実が同じで一罪の範囲内であれば拡張してもいい」という考えがありうるかもしれません。ひょっとすると、今回の検察審査会もそういう考え方にたち、「収入の問題も支出の問題も不動産の取得時期の問題も、結局一つの政治資金収支報告書の問題なのだから一つの犯罪であり、逸脱しているわけではない」という見解がありうるかもしれません。
しかし、そうなると一つの収支報告書でカバーされる犯罪が無限に広がってしまいます。たとえば、水谷建設の5000万円を水谷会長が陸山会宛の寄付なんだと言っていて、(検察審査会が)その事実を認めれば、それも一罪です。つまり、検察審査会の2回目の議決が「水谷建設の寄付についても不記載・虚偽記入だ」ということになれば、(強制起訴が)1回の起訴相当でできることになります。
その意味でも、手続き規定をもっときちんと整備する必要がある気がします。公訴権を検察官が独占していることの例外として「強制起訴」という手続きを認めるのであれば、その実態要件としての犯罪は、当初の告発事実・告訴事実とどういう関係でなければいけないか。その途中で事実関係の変更はどこまで許されるのか。そこが実務的にきちんと固まっていないところに今回の議決書があると思います。
今回の起訴相当議決は、前提としている政治資金規正法の解釈論がおかしいと思います。
以前から言っているように、政治資金収支報告書の記載の正確性について責任を負っているのは会計責任者です。なので、虚偽記入の罪は「会計責任者が正確に収支報告書に記入すべきところを虚偽の記入をした」というところが一次的な虚偽記入罪の範囲です。そこに会計責任者以外の人が関わったとするならば、何らかの積極的な関与、指示、働きかけ等がなければならない。少なくとも、これが刑事の実務で前提とされています。検察の2度にわたる不起訴処分もこういった政治資金規正法の解釈を前提にしています。
ところが、今回の議決文に書かれている「報告」とか「了解を得た」といった断片的でフワッとした抽象的な供述では、到底、会計責任者以外(=代表である小沢一郎氏)の共謀は認定できません。これが常識的な刑事司法の実務です。しかし、(検察審査会の議決文では)そこのところが前提とされていない。しかも、そんな抽象的な供述が信用できれば、ただちに共謀が認められるかのような言い方です。これはそもそも政治資金規正法の罰則の解釈としておかしいと思います。
さらに、供述の信用性について様々なことが書かれているのですが、村木判決を聞きかじりしてこんな表現をしたのかと思われるようなところもあります。
たとえば「細かな事項や情景が浮かぶようないわゆる具体的、迫真的な供述がなされている方が、むしろ作為性を感じ、違和感を覚える」(3頁)というのは、これははっきりいって「わけのわからない理屈」です。一般的な証拠の信用性評価というのを完全に無視していて、これを「市民の感覚・素人の感覚」というのかもしれませんが、常識ある人はこんな見方はしないと思います。
たしかに、「具体的かつ迫真性があるから信頼できる」という、これまでの裁判所の検察官調書の信用性の判断に問題があるとは私も思います。村木さんの無罪判決でも、「具体性や迫真性は後から造ることもできる」とのことが言われました。これはどういう意味かと言うと、「具体性があり、迫真性があるからといって、ただちに供述が信用できるとはならない」と言ってるわけです。ところが、それを逆に解釈して「昔のことだから、具体的で迫真性であるとかえって信用できない。逆に言うと、具体的、迫真性は何もなく、フワッとした内容の供述の方が信頼できる」というのは、論理があべこべで、メチャクチャです。
補助弁護士は市民・素人だからとバカにせず、「供述の信用性とは基本的にこう考えるべき」ということを審査員にちゃんと説明し、検察官も常識にかなった認定をしてもらうよう説明をすべきです。今回の件に関しては、審査結果がとても重大で政治的な影響を持つわけですから、それだけにこういう「ピント外れの認定」が書かれていることに非常に違和感を感じます。
ということで、この議決の供述の信用性等についての実態的な判断、つまり、共謀が認められるかどうかについては、私はまったくもっておかしいと思います。こういう判断によって有罪の可能性を語っているのは、理屈に合っていません。
ただ、最後のまとめ(6頁)に「国民は裁判所によってほんとうに無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考えにに基づくものである」と書かれています。判断の中身がデタラメであるとしても、この議決の効果を社会はどう受け止めるべきかということについては、ある意味では正しい考え方です。つまり、「本件は最終的に裁判所に判断してもらえ、検察の処分は信用できず、検察の判断だけで本件を終わらせるべきではない」という主旨であり、それが検察審査会の起訴相当議決ということです。
これは何も検察審査会が「有罪」を決めたのではなく、(検察審査会は)そういう場でも、そういう議決でもなく、あくまで「検察官の処分に納得できないので、裁判所に判断を求める権利がある」という主旨です。そこのところを、議決の主旨として正しく理解しておくべきではないでしょうか。
ということで、私はこの議決に対しては非常に大きな問題が多々あると言わざるをえませんが、一方で、起訴相当の議決を受けてまた世の中が大きく動いて、政治的にも社会的にも重大な影響が生じている。(議決は)あくまで「裁判所に最後に最終的な判断を求める」という主旨にすぎないというところをもっと重く受け止め、現時点では、小沢氏に「政治的に責任をとるべき」だとか「議員辞職すべき」だとか「党として除名すべき」ということを言うべきではない。それはおよそ検察審査会制度の趣旨にも、議決の主旨にもあわない。そういうことを語る人は、「見識」や「法的なセンス」が疑われます。(了)
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<陸山会事件>強制起訴手続き始まる 議決有効か、争いも
毎日新聞 10月5日(火)21時51分配信
小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る政治資金規正法違反事件で、東京第5検察審査会の小沢氏に対する起訴議決を受け、東京地裁は5日、検察官役を務める指定弁護士の候補者3人を22日までに推薦するよう第二東京弁護士会に依頼した。強制起訴に向けた手続きが始まったが、小沢氏の弁護士は議決内容を問題視しており、実際の起訴、公判までには課題も浮かんでいる。
◇告発内容を超えて
陸山会の土地購入は04年だったのに05年に購入したように装い、両年分の政治資金収支報告書に虚偽記載したとして小沢氏は告発され、これが第5審査会の審査対象となった。
同審査会の第1段階の議決(4月)は告発範囲内で「起訴相当」と議決したが、今回の第2段階の議決では、土地購入の原資となった小沢氏の手持ち資金4億円を収支報告書に記載しなかったことを「犯罪事実」に加えた。同法違反で起訴された元秘書の衆院議員、石川知裕被告(37)らの主な起訴内容に合わせたとみられる。
だが、起訴議決が告発内容を超えて「犯罪事実」を認定できるかどうかは「法律に規定はなく、議論は整理されていない」(法曹関係者)。小沢氏の弁護士は「議決には問題がある。法的な有効性を争うことも検討する」と話す。
◇再聴取どうなる
4億円について東京地検特捜部は、水谷建設などの提供資金と見立てたが、小沢氏は「自宅売却時の残金や家族名義の預金」と説明し、突き崩せなかった。しかし議決は「到底信用できない」とし、同時期に銀行から受けた同額の融資を「原資を隠す偽装工作」と指摘。融資の必要は「まったくなく」、融資書類に小沢氏が署名・押印していることで「当然、虚偽記載を了承していたと認められる」と結論付けた。
小沢氏には第1段階の議決後も特捜部による聴取が行われたが、否認のまま説明内容も変わらず、今回の議決は「形式的な取り調べの域を出ていない」と批判した。このため指定弁護士が再聴取を求めることもあり得るが、小沢氏の弁護士は「既に4回応じているうえ、事実上の被告になった」などとして、再聴取要請を拒む可能性を示唆している。
◇石川議員の供述
石川議員の供述調書には、土地購入時期を翌年にずらすと報告した際の小沢氏の発言などが記されている。特捜部は「具体的なやりとりがなく小沢氏の反応は受け身」と判断したが、議決は「5年が経過し、具体的でなくとも何ら不自然ではない」と認定。「石川議員は第1段階の議決後の再捜査でも供述を維持している」として起訴議決の支えとした。
だが、検察が消極的に評価した石川議員の供述が公判でどこまで有罪立証の柱になるかは不透明なうえ、石川議員は現在、自らの公判前整理手続きで「検察側の誘導があった」として自身の供述の信用性を争っている。指定弁護士は難しい立証活動を迫られる。【伊藤直孝、山本将克】
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◆7/19緊急シンポジウム!! ''ニッポン''は何を守ろうとしているのか!H.22-06-08 http://www.youtube.com/watch?v=ZCEPWjJ-5Ow&feature=related
「唯一はっきりしている条文があるんです。政治資金規正法で処罰されるのは、会計責任者だけなんです。政治家は処罰されないんです。始めから、そういう法律なんです。そもそも法律の目的というのは、会計責任者が責任を持って会計の結果について報告する、ということが義務付けられているんです。ところが皆さん、勘違いしている。小沢さんが秘書と一蓮托生で処罰されるべきだと。これほど法律違反、法律の主旨に反することは、ないんです。つまり、どこかで法律が歪められて、トリッキーに、つまり、政治資金規正法は政治家取締法なんだというふうに完全に勘違いしている。この勘違い、実は検察審査会も、まったく同じ評決をしているわけですね。小沢さんは、これだけ権力を持っている人間が、小沢さんの指示なしに物事が行われるはずがない、と。しかし法律の枠組みは、およそそんなことは無いんです。・・・」(安田好弘弁護士の話)
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ニュースの匠:「市民の力」は正しいか=鳥越俊太郎
大阪地検特捜部をめぐる証拠改ざん事件の報道は、朝日新聞の鮮やかなスクープでした。今回の事件は単に過去の事実が明るみに出たということにとどまらず、今後の検察の捜査やメディアの報道のあり方に影響を与える、それほど強烈なものでした。
その朝日新聞の9月19日付朝刊の社説で私が実名入りで批判の俎上(そじょう)にのせられているのもちょっとした驚きでした。政治家や団体の責任者など公的立場の人間ではなく、メディア関係者とはいえ一民間人の私の名前を取り上げるのは社説の中では異例です。まあ察するに、私が当コラムで取り上げた朝日新聞の社説「あいた口がふさがらない」についてのカラシがちょっと効きすぎたのか、社説子にはお気に召さなかったんでしょうね。
社説の関係部分を引用します。
「市民の力を信じる--。
ごく当たり前の話なのに、それを軽んずる姿勢が、社会的立場の高い人の言動に垣間見えることがある。
裁判員と同じく一般の市民がかかわる検察審査会制度について、小沢一郎氏が『素人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか』と述べたのは記憶に新しい。ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は新聞のコラムで『“市民目線”と持ち上げられてはいるが、しょせん素人の集団』と書いた」
私は市民の力を信じてはいない。
市民、世論、民衆、大衆--こうした存在こそ、実は一番恐ろしいと思っています。日本という国は“世論”という名の下に、一方向にぶれやすい“文化”を抱え込んでいます。その最たるものが、「一億総火の玉」で突き進んだ日中戦争から太平洋戦争に至るプロセスです。
検察審査会といえども「市民の力」という言葉だけで信じるわけにはいかないのです。正しい市民もいれば、間違いを犯す市民もいる。それをチェックするのが私たちメディアの仕事なのですから。毎日新聞 2010年10月4日 東京朝刊