金正男暗殺を決意させた1万枚の「風船ビラ」 李英和(関西大学教授)2017/02/17

2017-02-18 | 国際/中国/アジア

北朝鮮
金正男暗殺を決意させた1万枚の「風船ビラ」
『iRONNA編集部』  2017/02/17 22:17 李英和(関西大学教授)
 私が昨年9月にiRONNAに寄稿した「北朝鮮に交渉など通用しない!脱北者による『亡命政権』樹立を急げ」で亡命政権について論考したのは、そのころに情報筋から構想が進んでいることをキャッチしていたからだ。当時はまだ情報源の秘匿の意味もあり、具体的に触れるわけにいかなかったため、寄稿はあくまで私の提言としていた。
 だが、その後の昨年10月ごろには、この構想がかなり具体化していったようだ。今年1月に英国在住の脱北者団体が中心となって韓国側から北朝鮮側に風船で飛ばした1万枚のビラの内容は、明確に金日成(キム・イルソン)の次男である金平一(キム・ピョンイル)をトップとする亡命政権樹立を呼びかけている。これに金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が怒り狂ったのだ。
 そのころから、北朝鮮高官の処刑が相次ぐようになっており、正恩の異母兄である金正男(キム・ジョンナム)の暗殺はまさに亡命政権構想を潰すための実力行使であることはまちがいない。
 平一は正恩から見れば叔父にあたり、現在の駐チェコ大使だ。ビラで亡命政権のトップとして担がれているとはいえ、本人は正恩に表向きは従っているため、先に正男が暗殺の対象になったというわけだ。
 正男の亡命政権での位置づけは、平一に次ぐ第2位だ。まだ、亡命政権に加担するという意思表示はしていないが、最近になってかなり具体的な動きを始めたため、工作員に命を狙われたのだろう。
 ただ、正男は北京やマカオに自宅があり、中国政府に守られているため、中国国内での暗殺は難しかった。ゆえに、工作員はマレーシアに出国したところを見計らって実行したにちがいない。
 本来なら中国の護衛があるはずだが、マレーシアに1人でいた理由は簡単に想像がつく。本格的に亡命政権樹立に向けた動きが始まったため、中国政府が面会などをさせたくないと思った人物と正男が秘密裏に単独で接触を図ろうとしたのだろう。
 正男暗殺の理由は亡命政権への動きに関連しているとみられるが、これは最近起きた北朝鮮秘密警察幹部の処刑と密接につながっている。
 今年1月、北朝鮮秘密警察である国家安全保衛省(旧国家安全保衛部)のトップが解任されて幹部が処刑される大事件が起きた。これも当初はなぜなのかわからなかったが、その後、正男の暗殺につながっていることがわかった。
 右腕のような存在の保衛省幹部が粛清の対象になった理由は、正男が亡命政権を目論む人物と接触しているという情報を、保衛省以外の部署がつかんだからだ。おそらく、今回の暗殺を実行した部署だと思われるが、その部署は保衛省とライバル関係にある一般警察の人民保安省だと思う。
 本来こうした事実を真っ先にキャッチしなければならない保衛省がキャッチできなかったか、あるいはキャッチしていたのに握り潰したのではないかという疑惑を招いたようだ。
 こうした内部的なトラブルが起きる中、いずれかが、正男はまだ亡命政権に加担する意思表示をしていないのに、あたかも首謀しているかのようなでっち上げ情報を伝えた可能性もある。
 相次ぐ高官の処刑を目の当たりにし、競い合うように正恩に情報を上げて、忠誠を見せつけたという見方もできる。
 いずれにせよ、亡命政権構想が出始めた昨年秋ころから正男の暗殺指令は出ていただろうし、これまでにも殺害するチャンスもあったはずだ。だが、工作員といっても正恩の兄である正男の暗殺実行を躊躇したことがあったのかもしれない。たまたま2月になって実行した結果、うまくいったのではないか。
 ただ、今回の暗殺は正恩にとっては諸刃の剣になる。北朝鮮のニュースでは一切報じていないが、最近はさまざまな手法で国民も情報が入るようになっている。金正日の長男である正男は血統的にはトップに就くだけの大義名分があるだけに、こうした身分の兄を暗殺したとなれば、国内外の印象は悪いはずだ。
 特に国際社会は「兄殺し」というレッテルを貼り、北朝鮮国内では表向きは知らないふりをしていても、徐々に正恩への不満がくすぶり始めるであろう。あまりに狂気じみている正男の暗殺を知った国民が亡命政権樹立に向けて結集する可能性も出てくる。特に正男の息子は、父親の仇として立ち上がる可能性も十分あり、正恩にとっては脅威以外の何ものではない。
 その半面、正恩はますます恐怖心を抱いていく。冷静さを欠いているだけに暴走を止めるのは難しい。特に懸念されるのが正男の子供らがターゲットになることだ。もちろん平一も今回の事件をきっかけに暗殺への機運がぐっと高まるかもしれない。
 一方で正恩とってメリットは、脅威になる存在の芽を摘んだことだろう。平一に「裏切るようなことがあれば次はお前だ」というメッセージを強く打ち出した。これから平一は下手に動くことはできなくなる。兄を暗殺した以上、もうだれを暗殺してもおかしくないという圧力を内外に知らしめたことは、亡命政権樹立を阻止することに大きな効果があったといえるのではないか。(聞き手iRONNA編集部 津田大資)
* り・よんふぁ
 関西大教授。1954年生まれの在日朝鮮人3世。関西大学(夜間部)卒、同大学院博士課程修了。関西大学経済学助手を経て、現職。1991年に平壌の朝鮮社会科学院に留学。専攻は北朝鮮社会経済論。著書に「暴走国家・北朝鮮の狙い」(PHP研究所)など多数。

 ◎上記事は[IRONNA]からの転載・引用です


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