「捜査の手を緩めるな」 黒川氏の定年延長に反発<検察捜査の内幕 河井夫妻逮捕(上)>
東京新聞 2020年6月20日 07時16分
「まとまった額の報酬をもらいましたよ。選挙を手伝ってあげた対価やけん。いけんかったかのう」
昨年末、広島地検。男性の話を聞いた検事に緊張が走った。
地検は当時、週刊誌報道をきっかけに参院議員の河井案里容疑者(46)=自民を離党、広島選挙区=の周辺を内偵していた。初当選した昨年七月の参院選で、車上運動員の女性らに法定上限を超える報酬が支払われたという疑惑だった。
男性は陣営スタッフとして戸別訪問を担当した。検事が任意で事情を聴いたところ、案里議員の夫で、報道をきっかけに昨年十月に法相を辞任した克行容疑者(57)=自民を離党、衆院広島3区=から「月七十万円で手伝ってほしい」と頼まれたと口にした。
選挙運動は原則無報酬でなければならない。「ほかにも選挙のために支払った違法な資金があるかもしれない」。検事らは前法相という身内のかつてのトップの不正をかぎ取った。
年明けの一月十五日、地検は河井夫妻の自宅や事務所、陣営関係者の自宅などを一斉に捜索。克行前法相のパソコンから見つかったのが、多数の地元議員らに現金を配ったことをうかがわせるリストだった。
同じころ法務・検察当局は検察ナンバー2の黒川弘務・東京高検検事長(当時)の後任人事で混乱していた。当局は当初、黒川氏の後任に名古屋高検検事長だった林真琴氏を充て、検事総長の稲田伸夫氏が今夏に勇退するタイミングで、林氏を総長にする考えだった。
しかし昨年末、政権側は辻裕教法務事務次官から示されたこの案を一蹴した。そこで法務省は苦肉の策として、政権に近いとされた黒川氏の定年を半年延長する対案を示した。安倍内閣はすぐさま閣議決定し、検事総長に黒川氏が就くことが可能になった。
検事総長人事は法務・検察内部で固め、内閣は追認するというのが長年の慣例だった。それが安倍政権による脱法的な定年延長を許すことになった。
「現金買収事件の捜査の手は絶対に緩めるなという空気が強まった」(検察幹部)のもこのころだった。
克行前法相は安倍晋三首相や菅義偉官房長官に近い存在として知られていた。首相側近の一人として補佐官や党総裁外交特別補佐を歴任し、法相ポストまで得た。
そのため検察内部では、政権中枢に近い克行前法相を立件すれば「政治的中立性が保たれていることのアピールにもつながる」(法務省幹部)という声もささやかれるようになった。
大阪・東京の両地検から大量の応援を得た広島地検は三月三日、車上運動員事件で河井夫妻の秘書ら三人を逮捕、夫妻の国会事務所を捜索した。さらに地元議員や県内の首長、後援会関係者ら百人以上を一気に聴取した。
短期間での大掛かりな捜査に、ある検察幹部は「政権への意趣返しではない」と強調する。だが別の幹部は「国民からどう見られるか、一定程度は意識する」と語り、世論や政権に与える影響を気にしていた。
五月の大型連休中に河井夫妻を任意で事情聴取し、供述内容によっては逮捕許諾請求も辞さない。そんな構えを見せていた検察当局は、思わぬ逆風にさらされることになる。
新型コロナウイルス禍でも推し進められてきた河井夫妻への捜査。法務・検察を巡る問題も重なる中、検察の内部で何が起きていたのか。内幕を探った。
国会を混乱させた「身内」 断念した会期中の逮捕 <検察捜査の内幕 河井夫妻逮捕(中)>
2020年6月21日 07時39分
新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言で、例年とは打って変わって全国的にひっそりとした大型連休。五月四日、東京都内のホテルの一室で、前法相河井克行容疑者(57)=公選法違反(買収)で逮捕、衆院広島3区=が東京地検特捜部の検事と向き合った。
前法相の妻で参院議員の案里容疑者(46)=同、広島選挙区=が初当選した昨夏参院選を巡り、多くの地元議員らは夫妻から現金を受け取ったことを検察の任意聴取に認めていた。
「答えられませんね」
克行前法相はそう言うと押し黙り、多くを語らなかったという。六日の再聴取でも同じだった。案里議員も別の場所で聴取され、買収を否定したとされた。
連休明け、東京・霞が関の検察庁。夫妻の任意聴取の報告を受けた検察幹部らが額を突き合わせていた。
「在宅捜査では地元議員らと口裏合わせをする恐れがある。逮捕を検討せざるを得ない」
国会議員は憲法五〇条の規定で、国会会期中は原則として逮捕されない不逮捕特権がある。会期末は六月十七日だったが、コロナの対策を審議するため、会期延長も十分あり得た。
「会期末がいつになるか見通せない」。捜査が煮詰まりつつあるのに身動きが取れず、いら立ちをあらわにする検察幹部もいた。
会期中の逮捕には国会に逮捕許諾を求め、議決を得なければならない。証拠内容を示して国会で説明する必要もあり、できるなら会期中の逮捕は避けたい。昨年、約十年ぶりの国会議員逮捕となったIR汚職で、特捜部が国会閉会を待って秋元司衆院議員を逮捕したのは年の瀬の十二月二十五日だった。
「国会審議に影響を与えてしまう上、相手に手の内が筒抜けになる」。ある検察幹部は苦い顔でつぶやいた。法務省幹部はコロナで外出自粛要請が出ていることに触れ、「逮捕許諾請求までして急ぐ必要があるのか」と冷ややかだった。
だが、別の検察幹部は許諾請求の必要を口にした。
「公正さを害された選挙で当選したとすれば、一刻も早く国会から退場してもらわなければいけない」
事実上の捜査指揮を執っていた最高検の幹部は法務・検察内に許諾請求に否定的な意見があると知ると、「誰が言ってるんだ。ここに連れてきてくれ」と怒りをあらわにした。
五月末とみられた緊急事態宣言の解除後、逮捕許諾を求めるという方針に傾いた検察。足を引っ張ったのは法務省だった。黒川弘務・東京高検検事長(当時)の定年延長を正当化するような検察庁法改正案を国会に提出、「検察人事への政治介入を許すものだ」という批判が巻き起こった。
「今動けば政治絡みの捜査だと勘繰られかねない」
そう戸惑う検察幹部もいた。ただ、この時点ではまだ、「法案と捜査は全くの別物」という考えが検察内で大勢を占めていた。
ところが、予期せぬことが起きた。渦中の黒川氏が一部の新聞記者らと賭けマージャンをしたことが発覚して辞職。逆風がさらに吹き荒れる事態になった。
「法務・検察が発信源となり、国会を混乱させている。とてもではないが、逮捕許諾を求められる状況にない」。法務省幹部はそう言って顔をゆがませた。
十七年ぶりの逮捕許諾請求は封じ込めるしかなく、河井夫妻は国会閉会翌日の六月十八日に逮捕された。
「こう聴くからこう答えて」 リハーサルして「自白」動画<検察捜査の内幕 河井夫妻逮捕(下)>
2020年6月22日 07時52分
今年四月、広島地検に出向いた自民党の広島県議は任意聴取の終わり際、東京地検特捜部の検事から笑顔でこう言われたという。
「あなたの説明は正しかった。行動履歴と一致していましたよ」
県議はこの一カ月前、自身のスマートフォンを検察に任意提出。数回にわたった聴取では、前法相の河井克行容疑者(57)=衆院広島3区=から現金を受け取った場所や日時を聴かれ、覚えているままに答えた。
検事が県議の説明を「正しい」と言い切ったのは、スマホの解析で得た衛星利用測位システム(GPS)情報と一致していたから。そのことを検事から明かされた県議は「丸裸にされている」と驚いたという。
克行前法相と妻で参院議員の案里容疑者(46)の自宅から押収したパソコン内の「現金配布リスト」を基に、百人以上の地元議員らから事情聴取を重ねてきた検察当局。ある幹部は当時、「夫妻が容疑を認めるとは考えにくい。仮に現金配布は認めたとしても、買収の趣旨は否定するだろう。受け取った側の証言をいかに積み上げられるかが、捜査のカギだ」と語っていた。
大規模な一斉聴取も終盤となった四月下旬、複数回事情を聴かれていた地元議員らの間では、こんな話題で持ち切りだった。
「『きょうで聴取は終わりです』って言われたら最後に動画を撮られるけん」
検察が任意聴取の仕上げに使った取り調べの録音・録画のことだった。
ある議員は四回目の聴取の途中で、検事に「これから動画を撮ります」と告げられた。「こう聴きますので、こう答えてくださいね」とリハーサルをした後で撮影が始まり、「票の取りまとめの依頼と認識した上で現金を受け取りましたね」「検察官に圧力をかけられていませんね」と聞かれた。いずれも「はい、そうです」と答えた。
議員の胸は疑問や怒りであふれている。「現金を受け取ったという弱みを握られているので、『逮捕されるのでは』と不安にかられ応じた。ありのままの言葉を撮ってほしかった」
二〇一〇年の大阪地検特捜部の証拠改ざん事件で、国民の信頼を失った検察。克行前法相の逮捕は「法相経験者で初」「閣僚経験者では十八年ぶり」と大きく報じられたが、ある若手検事は「定年延長や賭けマージャン問題は、いまだ尾を引いている。信頼を取り戻すには、浮かれずに目の前の仕事をしっかりやるしかない」と気を引き締める。
買収事件は自民党本部から河井夫妻の陣営に一億五千万円の資金提供があった時期と重なる。だれが破格の支援を決めたのか。資金と事件との関連性にも国民の関心が高まる。
前法相という身内の大がかりな選挙買収事件に挑んだ検察。河井夫妻の内偵捜査の途中、政権に自前の人事案を一蹴され、黒川弘務・前東京高検検事長の定年延長を提案したのは、ほかならぬ法務省だった。
「検察人事への脱法的な政治介入」は一時的にかき消されたにすぎない。くしくも同時並行で進められた今回の政界捜査は、国民にとって政治と検察の緊張関係がいかに重要であるかを物語っている。
(この連載は、池田悌一、山田雄之、山下葉月、小野沢健太が担当しました)
◎上記事は[東京新聞]からの転載・引用です
――――――
* 首相重用、河井夫妻も「お友達」? 溝手顕正氏への刺客として案里議員と克行前法相に計1億5千万円を提供
* 河井克行・案里夫妻逮捕 一億五千万円 巨額の資金を総理がいともたやすく動かせる仕組み、これこそが問題 2020.6.19