「憲法9条で平和が守られた。何国人が作ったものであろうと、よいものはよい」という錯誤、思考停止

2015-05-03 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

〈来栖の独白 2015/5/3 Sun. 〉
 『憲法を変えて戦争へ行こう…という世の中にしないための18人の発言』(岩波ブックレット)の中で美輪明宏氏は次のように云う。

 憲法はGHQ(連合国軍総司令部)などが中心になり作られたものです。アメリカの女性も一人参加していました。日本は遅れていましたから、憲法もアメリカの言いなりになってしまったわけです。でも、外国人も人間です。アメリカ人も人間。日本人も人間。中国人もユダヤ人も朝鮮人も、全部人間です。だったら、何国人が作ったものであろうと、人間が作った法律で、すばらしければ、それでよいではありませんか。人間として、地球人としてよいものであれば、よいのです。日本人のどこかのバカな人がよってたかって作るより、はるかによいものです。

> 全部人間です
> すばらしければ、それでよい
> よいものであれば、よい
 なんという杜撰、大雑把、思考停止であることだろう。美しくない。考えることを止め、自己を疑わず批判することを止めた人間は、美しくない。しかし、年齢と相まって、ここ(世間の高評価)まで来ると、美輪氏を諌める人はもはやこの世に一人もいない。美輪明宏といえば想起されるのは三島由紀夫氏だが、三島は憲法改正を叫んで自裁した。三島の頭の中が、果して美輪にどの程度理解できていただろう。三島は言う、「自分を否定する憲法を、どうして守るんだ」と。以下『約束の日 安倍晋三試論』より。


『約束の日 安倍晋三試論』小川榮太郎著 幻冬舎文庫 平成25年7月20日 初版発行 
 (抜粋)
p205~
 そして、また、安倍政治の意義をどの程度理解していたかは別にして、安倍の戦いの深刻さを直感していた人もいる。参議院議員丸山和也もその一人だった。(略)
p206~
 安倍は自らが必要だと信じた戦い、「戦後レジームからの脱却」という壮大な「岩」にしがみつきながら、その意義を、最後まで国会で呼号した。だが、国会議事堂に座っていた議員の中で、本気で、この政治理念の勇者の言葉に耳を傾けていた人は何人いただろう。
 丸山の直覚した「濁流」は、無論国会の野次などではない。(略)「濁流」は、寧ろ、己を失って漂流し続けた日本の戦後史の全重量そのものではなかったか。「戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自らの魂の空白状態へ落ち込んでゆく」(三島由紀夫『檄文』)堕落の全重量そのものではなかったか。極度の体調不良に堪えながら所信表明の原稿を読む安倍の耳には、足元を流れていくその「濁流」の、凄まじい轟音が幻聴されていたのではなかったか…。

      *  *  *  *

…四年待ったんだ。
最後の三十分間だ。
最後の三十分間に……ため、今待ってんだよ。 (ヤジ、さらに激しくなってくる)
諸君は武士だろう。
諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。
どうして自分の否定する憲法をだね、自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。

 昭和45年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入した時の三島由紀夫のバルコニーでの演説である。
 勿論、割腹自殺した三島由紀夫と首相としての安倍晋三とを並べるのが、無茶な比較であることは言うまでもない。
 にもかかわらず、三島を持ち出したのは、安倍が、首相として挑戦した「戦後レジーム」の「濁流」は、かつて、三島由紀夫が自衛隊のバルコニーでの演説中に強烈な無力感をもって対峙していた「ヤジ」の背後の、有無を言わせぬ圧倒的な力と同質のものだと思われるからだ。
p208~
 誰よりも整然としたロジックとレトリックを、誰よりも華麗に駆使できた天才が、名声の絶頂で、非合法な手段に訴え、乾いた声と、貧相な言葉で、絶叫した。この激発は一体何だったのか。彼は何を希望していたのか。世間が興味本位に騒ぎ立てただけだったのは仕方がないとして、彼が決起を促した自衛官さえ、三島を野次り、笑いのめしたのである。佐藤栄作首相は、記者団に対して、「天才と気違いは紙一重というが、気が狂ったとしか思えない。常軌を逸している」と答え、時の防衛庁長官中曽根康弘は「暴力は糾弾すべきだし、自衛隊にとって三島事件は迷惑だ」とコメントした。
 だが、彼らが本当に三島事件に何も感じていなかったというわけではない。佐藤栄作は、日記には「立派な死に方だが場所と方法は許されぬ」と書いていた。当時政治部の記者だった久保紘之(こうし)によれば、コメントを求めた久保に対して、「中曽根は新聞発表用の、通り一遍の批評を口にしたあと、目を閉じて黙り込んでしまった。そのとき涙が一筋スッと頬に伝った」。(久保紘之『田中角栄とその弟子たち---日本権力構造の悲劇』文藝春秋、平成7年、79頁)
 文芸評論家の小林秀雄と後輩の江藤淳も、翌年、対談「歴史について」(『諸君』文藝春秋、昭和46年7月号)で、三島の切腹について、激しいやりとりをしている。(略)
p210~
 一方、江藤は、昭和50年代に入り、アメリカによる占領時代の詳細で丹念な研究によって、「戦後の言語空間」の歪みの起源を明らかにすることになる。戦後思想史上の画期的な転換であった。
 しかし、では「戦後の言語空間」の歪みに、実際に決着を付けるにはどうしたらいいのか。
 江藤はその戦いを託すべき政治家の不在に絶望しつつ、三島の切腹から29年目の夏の激しい夕立時、自ら命を絶つ。「去る6月10日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ」という遺言は余りにも有名になった。江藤を師と仰ぐ福田和也は、追悼文でこう言っている。

 江藤淳は、「弱さ」の文人であった、と思う。その「弱さ」故に、「弱さ」を抱えながら、背筋を伸ばし、胸を張り、誰もが自分の任ではないとする責務を、どのような勇者も尻込みするような責務を引き受けてきたのが、江藤淳という人だった、と。

 しかし、「弱さ」を抱えていない理想家などというものがあるだろうか。「弱さ」と無縁なほど、物を感じる力のない人間に、どのような高い戦いができるだろう。それは単なる「弱さ」ではない。
p211~
 負けを承知で戦いに挑む真の勇者の「弱さ」、いわば高貴な「弱さ」である。
 おそらく、同質の「弱さ」を抱えながら、「どのような勇者もしり込みするような責務を引き受け」る首相として登場したのが、安倍だった。三島由紀夫の切腹は、安倍首相の「戦後レジュームからの脱却」によって、文学者の狂熱から救われ、穏当で希望に満ちた政治言語化された。小林秀雄の『本居宣長』の静かな思索は、安倍首相の「戦後レジュームからの脱却」によって、書斎から解き放たれ、初めて政治言語化された。江藤淳の「戦後の言語空間」批判は、安倍首相の「戦後レジュームからの脱却」によって政治日程に乗り、初めて政治言語化された。
 安倍は、このように、日本を高い精神的位相で守ろうとした高貴な血脈に連なっている。平成の日本人には極めて稀な資質だ。政治家であれば尚更、例外中の例外だろう。安倍が、幹事長時代、小泉内閣メールマガジンの編集後記に次のように書いた時、それは、そうした自覚の宣言でもあったはずである。

 先週この欄で取り上げた吉田松陰が処刑されたのは旧暦で10月27日、新暦でいえば11月25日です。
 この日を選んだかどうかは議論のあるところですが、同じ日に三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で自決しました。彼はその年の7月7日付の産経新聞に『私の中の25年』という論文を寄せ、将来の日本の姿を次のように予言しています。
 「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」
 31年経った今、この予言があたっていたかどうかではなく、21世紀の日本をどうするか議論して行きたいと思います。(「小泉内閣メールマガジン」平成13〈2001〉年11月29日号)

 安倍が引用しているのは、「果たし得ていない約束---私の中の25年」の有名な一節だ。「私の中の25年」とは、言うまでもなく戦後の25年間を指すが、三島はこの論文で、その25年を全面否定している。

 25年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透(p213~)してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルスである。
(略)
 気にかかるのは、私が果して「約束」を果して来たか、ということである。否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められているのである。

 そして、11月25日こそが、正にその「約束」の日となる。安倍が言及しているように、三島の「約束」の日(旧暦でいえば10月27日)は、松陰の命日でもあった。

 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
                                  吉田松陰 辞世
 散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐
                                三島由紀夫 辞世

      *  *  *

p215~
 安倍は政治家である。しかも、日本国憲法に規定された現行体制の最高責任者だった。戦後民主主義をバチルス(病原菌)と切って捨てることは許されない。そこで獲得された価値や国家としてのあり方を否定することも許されない。暴力革命もクーデターも、体を張って、否定しなければならぬ側である。
p216~
 安倍が解決し得る課題があり続ける限り、地べたを這いつくばってでも粘らねばならない。政治家は、絶対的に詩人であってはならない。松陰や三島を気取ることは許されない。無論、安倍には、そんな軽薄さは微塵もない。
 しかし、政治家もまた、「実際的利益」を与えるだけが、その責務ではない。少なくとも、安倍はそう信じた。そう信じたからこそ、安倍は、池田勇人の「所得倍増」以来、経済政策しか語らなかった歴代首相の中で唯一、「戦後レジュームからの脱却」という国家の物語を語り、その物語に、政治家としての息を吹きこもうとしたのだ。(略)
p217~
 教育再生への力づよい前進、小泉改革を成長路線へと発展させる経済政策の転換、日本の国際的な地位を強化し、自前の安全保障を支えることになるはずだった主張する外交、アジア・ゲートウェイ構想、日本版NSC、公務員制度改革、自主憲法制定による強く美しい日本の再生・・・。
 だが、これらを国民的な物語にしようとした安倍の志は、政策として果実を結ぶ前に、いやそもそも国民に届く前に、葬られてしまった。
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「地球市民」「世界市民」「世界国家主義」という、人間洞察と状況認識を著しく欠いた「現実離れ」 2012-10-16


2015.5.3 05:01更新
【産経抄】5月3日
 学究肌の男に向かって行動派の男が言う。「本を読むばかりで何にも出来ないのは、皿に盛った牡丹(ぼた)餅を画(え)にかいた牡丹餅と間違えて大人しく眺めているのと同様だ」と。夏目漱石の『虞美人草』に出てくる。
 ▼絵に描いた餅も、実物の餅を眺めるだけの人も役に立たない点では同じだろう。牡丹餅を「平和」に置き換えてみる。自衛隊と日米同盟に守られた平和を、憲法9条に守られた平和と間違えて-。「大人しく眺め」てきた人が戦後の「日本」だとしたら背筋が寒い。
 ▼憲法施行からの68年、「平和の担い手か受益者か」と問われれば、日本は後者の色が濃いだろう。櫻井よしこさんが述べていた。「日本の進むべき道やとるべき選択肢を、自分の頭で突きつめて考えてこなかったからではないか」(『憲法とはなにか』小学館)と。
 ▼国会に憲法調査会ができたのは15年前である。遠慮会釈のない中露や北朝鮮の立ち回りを見るにつけ、一国平和主義の幻想にしがみつく愚を思う。安倍晋三首相とオバマ米大統領の共同声明が示すように、日米同盟の守備範囲は「世界」を視野に語らねばなるまい。
 ▼4月の統一地方選の結果から、小紙が来年夏の参院選を予測したところ、自民党は単独過半数(定数242)を占めるとの試算を得た。与党の公明党、憲法改正に前向きな維新の党を合わせると約170議席である。憲法改正の国会発議に必要な3分の2を超える。
 ▼世界の常識に沿った「平和」の担い手となるなら、憲法改正への道を避けては通れまい。われわれ国民も心と頭の備えが必要である。この先、日本が世界各地で流すであろう汗が甘いか塩辛いかの議論より、まずは動くことであろう。「平和=甘い」の幻想ほど怖いものはない。
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します *強調(太字・着色)は来栖


 中日新聞 朝刊 2015/5/3 Sun.
<平和つなぐ>(1) 戦争の正体、歌い伝える
「日本が70年戦争をせずにきたのは憲法に守られてきたから」と話す美輪明宏さん=カメラマン・御堂義乗さん撮影 写真(=略=来栖)
 戦後七十年の憲法記念日を迎えた。「戦争をしない国」を支えてきた憲法九条は今、危機を迎えている。政府は集団的自衛権が行使できるようにする法整備を着々と進め、その先には改憲も視野に入れる。「これからも憲法を守りたい」。戦争を体験した世代から、二十代の若者まで、世代を超えてその思いをつなぎ、広げようと、メッセージを発信する人たちがいる。
*美輪明宏さん79歳 9条危機、国民に責任
 赤や黄、紫など色とりどりのバラが咲き乱れ、背後には金色の光が差す舞台装置。鮮やかな青のドレスをまとう歌手美輪明宏さん(79)が、鍛え抜かれた美声で「愛の讃歌(さんか)」などシャンソンの名曲を響かせる。そんな華麗なコンサートが二〇一三年に変わった。第二次安倍晋三政権が発足した直後のことだ。
 二部制の前半、照明を落とした舞台で、シンプルなシャツ姿の美輪さんがピンスポットライトに浮かび、自作の反戦歌を歌う。
 あの原爆の火の中を 逃げて走った思い出が 今さらながらによみがえる (美輪明宏作詞・作曲「ふるさとの空の下に」から)
 ロマンあふれるシャンソンとは趣が違う、原爆孤児の悲しみを描いた歌詞。長崎で原爆に遭った自身の体験を重ねた。七十年を経ても拭い去れない悪夢。不戦を誓う憲法を手にした時、「もう逃げ惑う必要がない」と安堵した。その憲法が崩れるかどうかの瀬戸際にある。
 「私たちは憲法に守られてきた。世界一の平和憲法を崩す必要はない」。若い世代も多い観客に伝えたくて、反戦歌を歌う。原爆体験や軍国主義への強い嫌悪が美輪さんを駆り立てている。
     *   
 一九四五年八月九日、いつもと変わらぬ夏休みの朝だった。美輪さんは、防空ずきんを背にかけ、縁側の机で宿題の絵を描いていた。ピカッ。白い閃光(せんこう)の後、ごう音と揺れに襲われた。
 お手伝いさんに手を引かれ外へ出た。全身が火ぶくれてうなり声を上げる人。首のない赤ちゃんの上に倒れ込み泣き転げる女性。「助けてくれ」とつかまれた人の手を振り払うと、肉片が自分の腕についた。
 原爆 水爆大好きな 戦争亡者の親玉よ お前の親や兄弟が 女房や子供が 恋人が 焼けて爛(ただ)れて死ぬだろう 苦しみもがいて死ぬだろう (美輪明宏作詞・作曲「悪魔」から)
 美輪さんにはもう一つ、胸に刻まれた戦争の光景がある。
 実家のカフェで働いていたボーイの三ちゃんが出征した時。汽車が出る寸前だった。三ちゃんの母親は、息子の足にすがり「死ぬなよ。どげんことあっても帰ってこいよ」と叫んだ。
 憲兵に引きずり倒され、頭を打って血を流してもなお、母は「死ぬな」と声を上げた。その三ちゃんが生きて帰ることはなかった。
 「戦争や軍隊、軍国主義の正体をみんな知らなすぎます」
     *
 普通に暮らしていた人たちが、理不尽な暴力と死に直面する。それが美輪さんが体験した戦争の正体だった。だから、「国民を守る」「国を守る」という耳当たりのいい言葉で、改憲の議論が進むことにいら立ちを隠せない。
 「改憲して戦争に参加できるようにって、どうして学習能力がこんなにもないのか」
 そんな政治家を舞台に立たせたのは、国民の選択だった。そのことをもう一度考えてほしいと美輪さんは歌い、語り続けている。「無辜(むこ)の民衆が戦争に駆り出されるのではない。選挙民に重い責任があるのです」 (東京社会部・小林由比) JASRAC出1505216-501
 <みわ・あきひろ>
 長崎市生まれ。16歳でプロの歌手となり、シャンソン喫茶「銀巴里」などに出演。1957年「メケメケ」が大ヒット。日本におけるシンガー・ソングライターの元祖として多数の曲を作った。2012年に初出場したNHK紅白歌合戦で、自作の「ヨイトマケの唄」を歌い、反響を呼んだ。
 ◎上記事の著作権は[中日新聞]に帰属します


[ めぐみさんを守れなかった平和憲法 ] 阿比留瑠比の極言御免 2013-07-18 
 【阿比留瑠比の極言御免】めぐみさんを守れなかった憲法
 産経新聞2013.7.18 21:48
 拉致被害者の有本恵子さんの父で、拉致被害者家族会副代表である明弘さんから先日、筆者あてに手紙が届いた。そこには、こう切々と記されていた。
 「拉致問題が解決できないのは、わが国の争いを好まない憲法のせいであると悟ることができました」
 手紙には明弘さんの過去の新聞への投稿文と、拉致問題の集会で読み上げた文章が同封されていて、やはりこう書いてあった。
 「憲法改正を実現し、独立国家としての種々さまざまな法制を整えなければ、北朝鮮のような無法国家と対決できません」
 実際に外国によって危害を被り、苦しみ抜いてきた当事者の言葉は重い。
 一方、参院選へと目を転じると、候補者たちの政見放送や街頭演説では「戦後日本は現行憲法があったから平和が守られた」といったのんきで、根拠不明の主張が横行している。
 だが、いまだに帰国できない拉致被害者やその家族にしてみれば、日本が「平和な国」などとは思えないはずだ。日本は、人さらいが悪事を働いても目を背けるばかりで、被害者を取り返せもしない危険な無防備国家だったからである。
 「日本の戦後体制、憲法は13歳の少女(拉致被害者の横田めぐみさん)の人生を守れなかった」
 安倍晋三首相は2月、自民党憲法改正推進本部でこう訴えた。「再登板した理由の一つが、拉致問題を解決するためなのは間違いない」(周辺)という首相にとって、現行憲法は実に歯がゆい存在なのだろう。
 首相は「文芸春秋」(今年1月号)では、「(憲法前文が明記する)平和を愛する諸国民が日本人に危害を加えることは最初から想定されていない」と指摘し、昭和52年9月の久米裕さん拉致事件に関してこう書いている。
 「警察当局は、実行犯を逮捕し、北朝鮮の工作機関が拉致に関与していることをつかみながら、『平和を愛する諸国民』との対立を恐れたのか、実行犯の一人を釈放した。その結果、どうなったか。2カ月後の11月、新潟県の海岸から横田めぐみさんが拉致された」
 こうした問題意識を持つのは首相だけではない。日本維新の会の石原慎太郎共同代表も7月13日の演説で、拉致問題と憲法9条についてこう言及した。
「(北朝鮮は)日本は絶対に攻めてこない、本気でけんかするつもりもないだろうと、300人を超す日本人をさらって殺した」
 「殺した」との断言は乱暴過ぎる。とはいえ、現行憲法では国民の基本的人権(生命、自由、財産)が十分に守れないのはその通りだろう。産経新聞が4月に「国民の憲法」要綱を発表した際、横田めぐみさんの父、滋さんはこんなコメントを寄せている。
 「日本が国際交渉に弱いといわれるのは、強く出る(法的な)根拠がないからではないか。(産経要綱が)国民の生命、自由、財産を守ることを国の責務と明示することは、非常に大きなことだ」
 現行憲法を「平和憲法」と呼び称賛する人には、こうした声は届かないようだ。(政治部編集委員)
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します *強調(太字・着色)は来栖
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『帝国の終焉』(「スーパーパワー」でなくなった同盟国・アメリカ)日高義樹著 2012年2月13日第1版第1刷発行 PHP研究所
 〈抜粋〉
p173~
 ヨーロッパで言えば、領土の境界線は地上の一線によって仕切られている。領土を守ることはすなわち国土を守ることだ。そのため軍隊が境界線を守り、領土を防衛している。だが海に囲まれた日本の境界線は海である。当然のことながら日本は、国際的に領海と認められている海域を全て日本の海上兵力で厳しく監視し、守らなければならない。尖閣諸島に対する中国の無謀な行動に対して菅内閣は、自ら国際法の原則を破るような行動をとり、国家についての認識が全くないことを暴露してしまった。
 日本は海上艦艇を増強し、常に領海を監視し防衛する体制を24時間とる必要がある。(略)竹島のケースなどは明らかに日本政府の国際上の義務違反である。南西諸島に陸上自衛隊が常駐態勢を取り始めたが、当然のこととはいえ、限られた予算の中で国際的な慣例と法令を守ろうとする姿勢を明らかにしたと、世界の軍事専門家から称賛されている。
 冷戦が終わり21世紀に入ってから、世界的に海域や領土をめぐる紛争が増えている。北極ではスウェーデンや、ノルウェーといった国が軍事力を増強し、協力態勢を強化し、紛争の排除に全力を挙げている。
p174~
 日本の陸上自衛隊の南西諸島駐留も、国際的な動きの1つであると考えられているが、さらに必要なのは、そういった最前線との通信体制や補給体制を確立することである。
 北朝鮮による日本人拉致事件が明るみに出た時、世界の国々は北朝鮮を非難し、拉致された人々に同情したが、日本という国には同情はしなかった。領土と国民の安全を維持できない日本は、国家の義務を果たしていないとみなされた。北朝鮮の秘密工作員がやすやすと入り込み、国民を拉致していったのを見過ごした日本は、まともな国家ではないと思われても当然だった。
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『憲法が日本を亡ぼす』古森義久著 海竜社 2012年11月15日 第1刷発行
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