山口敏夫氏「東京オリンピック利権の連中を抹殺したい。森さんを辞めさせたい」⇒ 森喜朗氏、安倍首相に泣きついた

2016-08-01 | 政治

山口敏夫氏から辞任要求の森喜朗氏 安倍首相に泣きついた
 NEWSポストセブン2016.08.01 07:00
 東京都知事選挙では、新聞・テレビは小池百合子氏、増田寛也氏、鳥越俊太郎氏の“主要3候補”ばかりを取り上げた。
 しかし、選挙戦取材を重ねると、むしろ面白いのは当選そっちのけ(?)で言いたい放題の“その他の候補”たちだった。
 都知事選の立候補者は過去最多の総勢21人。なかでも、都民を驚かせたのが75歳の山口敏夫・元労働相の出馬だった。政界再編時の変わり身の早さから「政界の牛若丸」の異名を持ち、閣僚経験者で衆議院議員10期という実績は、“主要3候補”をはるかにしのぐ。
 ただし、1994年に二信組事件(※注)に関与した疑いで逮捕され、実刑判決を受けて国政引退に追い込まれた経緯があるだけに、街頭演説に集まった人からは、「まだ生きていたのか」「本当に本物か?」の声が上がっていた。
【※注/1994年、経営破綻に陥った東京協和信用組合、安全信用組合の元理事長らが背任容疑で逮捕された事件。巨額の不正融資が明らかになり、その中に政界への工作資金が含まれていた】
 それでも選挙公報に「監獄より生還」と書くだけあって怖いモノなし。街頭では「オリンピック利権に手を染めている、舛添より100倍、1000倍もの巨悪がいる。いまのオリンピックを支えている人たちに即退陣してもらう」とブチ上げた。“ターゲット”は安倍首相でさえ頭の上がらない森喜朗・元首相(東京五輪組織委会長)だった。山口氏を直撃した。
「もう年も年なので、開票結果とかは気になりません。いつドクターストップがかかるかもわからない。ただ、東京オリンピック利権の連中を抹殺したい。森さんを辞めさせたい。その一心で出てるんです
 どストレートな猛批判に、「さすがの森氏も、安倍首相に『珍念さん(山口氏のあだ名)をなんとかしてくれ』と直訴した」(政治部記者)という話も出回った。それをぶつけると山口氏は、「そうそう。安倍さんからは『森さんも病気だから……』と遠回しにいわれましたよ」とあっさり認めたが、次の演説会場でも気にする様子はない。
オリンピックマフィアの操り人形になるような人を当選させてはいけません
 ノボリには大きく「森辞任せよ」と書かれていた。
※週刊ポスト2016年8月12日号
 ◎上記事は[NEWSポストセブン]からの転載・引用です *強調(太字・着色)は来栖 

――――――――――――――――――――
まさに泡まつ…負けるとわかっていてなぜ“牛若丸”山口氏は出馬したのか
 zakzak 2016.08.11
 今回の東京都知事選に懐かしい人が立候補していた。かつて“政界の牛若丸”と呼ばれた山口敏夫元労相。75歳。もちろん、だれも当選するとは思っていない。結果は、案の定、約1万6000票で第11位だった。まさに泡まつ候補だった。大臣までやった人が、なぜ負けるとわかっていて出馬したのか。
 山口さんは、「東京五輪の巨額な予算が見過ごされている。五輪利権は許さない」と訴え、五輪組織委員会の森喜朗会長らを厳しく批判していた。
 約20年前、東京協和、安全の旧2信用組合(ともに解散)の乱脈融資事件で背任、詐欺などの罪に問われ、懲役3年6月の実刑を受けた。「クリーンとは言わないが、私ほどの人間じゃないと、五輪の問題は解決しない」と連日、ジャンパー姿で生活優先の都政を訴えていた。本気だった。
 山口さんは「ライオンズマンション」で知られる大京の創業者・横山修二氏と親しく、その縁でわが麻布自動車に遊びにきていた。私とも妙に気が合い、よく一緒に飲んだ。
 40年前、世の中がロッキード事件一色だったころ、当選3期目の若手議員だった山口さんは河野洋平氏らと自民党を飛び出し、新自由クラブを結成した。
 その直前、「渡辺さんに頼みがある。目黒にある河野さんの家を買ってくれない? 新党結成の資金が足りないんだ」と言ってきた。私は約300坪の豪邸を3億5000万円で購入し、鹿島建設に頼んで高級マンションを建てた。
 山口さんとはゴルフもよくやった。1980年代、私がハワイのホテルを次々に買収していたころ、ハワイでゴルフもした。長尺のクラブを持って、まさに牛若丸のように動き回っていた。
 また、あのイ・アイ・イの高橋治則さんとも仲がよかった。高橋さんがハイアット・サイパンを買収したとき、私もそのオープンに招待され、高橋さん所有のボーイング727で向かったことがある。そのときも山口さんが一緒だった。
 山口さんが1984年発足の第2次中曽根改造内閣に労働大臣として初入閣したとき、こういうことがあった。私に「大臣室に来てくれ」という連絡があり、行ったら、英国の自動車メーカーのジャガーの労働組合の委員長がいて、「日本の代理店をやらないか」と頼まれた。
 当時、麻布自動車は米国の自動車メーカー・クライスラーの日本総代理店をしていたが、赤字だった。ジャガーを扱うとなると、全国に商売を広げなければならない。それで、この話を西武セゾン・グループに持っていった。で、86年、西武百貨店との共同出資でジャガージャパン株式会社が設立された。懐かしい話だ。
 山口さんとは、ここ20年、会っていないが、機会があったら、なぜ負けるとわかって出馬したのか、聞いてみたい。
<筆者プロフィール>
 渡辺喜太郎(わたなべ・きたろう) 麻布自動車会長。1934年、東京・深川生まれ。22歳で自動車販売会社を設立。不動産業にも進出し、港区に165カ所の土地や建物、ハワイに6つの高級ホテルなど所有し、資産55億ドルで「世界6位」の大富豪に。しかし、バブル崩壊で資産を処分、債務整理を終えた。現在は講演活動などを行っている。著書に『人との出会いがカネを生む/ワルの交遊術50』(仁パブリッシング)。
 ◎上記事は[zakzak]からの転載・引用です
..............


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。