伊勢原で遺体発見「死刑囚の告白」を隠蔽しようとしていた警視庁 「週刊新潮」2016/5/5・12号

2016-05-11 | 死刑/重刑/生命犯

伊勢原で遺体発見 「死刑囚の告白」を隠蔽しようとしていた警視庁
2016年05月11日 17時10分提供:デイリー新潮
高橋・警視総監率いる警視庁は“放置プレー”に終始した
 20年もの呪縛を解かれ、地中から掘り起こされた亡骸は何を訴えかけるのか。「死刑囚の告白」を基に警視庁は被害者の遺体を発見した。当局は沸き返り、メディアも大きく報じたが、その内幕たるや……。警視庁“職責放棄”の舞台裏を明かす。
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  最初に土中から覗いたのは、ぼろぼろになった布きれだった。周りの土を掘り起こしていくと、細長い布の中には硬い棒状の物質が包まれている。布はズボンの生地で、中にくるまれていたのは、膝を立て、くの字の形に折り曲げられた足の骨だった。肉が一片も残っていない大腿骨、膝の皿、脛骨である。左足側だけ、素材が朽ちた靴を履いている。さらに周囲の土を慎重に取り除いていくと、やがて鑑識課員らの前に、丸みを帯びた頭蓋骨の側頭部が現れた。20年もの間、地中の闇に埋もれていた人骨一式が発掘され、ブナの樹々の合間から差す木漏れ日に照らし出された。
  確定死刑囚が獄中から、警察も把握していなかった複数の殺人を告白した前代未聞の事件が急展開を迎えた。4月19日、警視庁と神奈川県警は、死刑囚の指示で遺体を遺棄した男を、伊勢原市大山の山中に立ち会わせ、捜索を実施。証言通り、林道脇の雑木林の斜面から被害者の白骨化した遺体を発見したのである。前橋スナック銃乱射事件(2003年発生)の首謀者として、一昨年3月、最高裁で死刑が確定した、指定暴力団、住吉会の幹部、矢野治(67)の告白が真実であることが証明された瞬間だった。
 「哀れなもので、遺体は、強い風雨で土砂ごと流されないようにするため、重石として大きな石を胸に抱かされていた。骨の間のあちこちから木の根が生え出していて、改めて時の経過を感じました」(捜査関係者)
  本誌(「週刊新潮」)はいち早くこの「死刑囚の告白」を探知し、今年2月以降、その全貌を報じてきた。今一度、その内容を振り返っておきたい。
 「私は、発覚している件以外にもたくさん人を殺めています。全ての垢を落としてから、刑に臨みたい」
  死刑確定後、矢野は弁護士との面会でこう心情を吐露していた。ほどなく彼はこの言葉を実践すべく、警視庁に2件の殺人を告白する手紙を送ったのだ。
■2人の犠牲者
  闇から闇に葬られていた殺人事件の犠牲者は、2人いる(図1を参照)。最初の被害者は、今回、遺体が発見された、不動産業者の津川静夫さん(失踪時60歳)だ。1996年8月、彼は伊勢原市の自宅から忽然と姿を消したまま、行方が分からなくなっていた。かつて津川さんが競売により2309万円で落札した伊勢原駅前の土地が、再開発で10億円もの資産に高騰。彼に金を貸していた住吉会系組織の若頭がこの土地を奪おうと目論み、矢野に殺害を相談した。共謀の結果、矢野がこれを別の住吉会系の組長に依頼し、津川さんは、その配下の組員に絞殺されたのである。
  そしてもう一人は、90年代半ば、現役の国会議員が多くの国民から多額の金を騙し取り、その一部が永田町に流れた「オレンジ共済事件」で注目を集めた人物だった。事件に絡み、政界工作を行ったとされ、国会に証人喚問された“永田町の黒幕”、斎藤衛である。
  いずれのケースも、矢野の指示を受け、死体を遺棄したのは、彼が率いた「矢野睦会」の組員、結城実氏(仮名)だった。
  津川さんの遺体が発見されたことを受け、新聞、テレビは事件を大きく報じた。
 〈矢野治死刑囚(67)が20年前に別の殺人事件に関与したと警視庁に告白したことを受け、警視庁と神奈川県警は19日、神奈川県伊勢原市の山中を捜索し、遺体を発見した〉(4月20日付朝日新聞朝刊)
 〈19日、供述に基づき、同県伊勢原市の山中を捜索し、遺体を発見〉(同読売新聞朝刊)
 〈捜索のきっかけは、(中略)矢野治死刑囚(67)が「不動産業の男性を20年前に殺害した」と告白する文書を警視庁に送ったこと〉(4月19日のテレ朝news)
  いずれの報道を見ても、矢野の告白を受けた警視庁が水面下で執念の捜査を続け、今般の遺体発掘にこぎ着けたと受けとめられる内容である。
■動かなかった警察
  もっとも当初、警察はこの捜査に消極的だった。それどころか、矢野の告白を隠蔽しようとしていた節すらあるというのが実態だ。
 〈この処、毎晩のようにリュー一世(斎藤衛の反社世界での稼業名)の夢で苦しんでおります。(中略)一日も早くリュー一世を穴から出してやって頂きたくお願いを申し上げます〉
  この斎藤殺しの“告白の書”を、矢野が警視庁目白警察署に送ったのは一昨年12月のことだった。彼が手紙を送付していたことは先に述べた通りだが、その時期は最近ではなく、1年半近くも前のことだったのである。これを受け、目白署の捜査員がすぐさま東京拘置所で矢野の事情聴取を行った。しかしその後、警察の動きはぱったり止まった。
  反応がないことに痺れを切らしたのか、矢野は年が明けた昨年5~6月、今度は津川さん殺しを告白する手紙を、関係先を管轄する渋谷警察署に宛てた。
  これに渋谷署はどう対応したか。彼らは矢野への確認にすら動かず、全く無視したのである。つまり、警視庁は一昨年末以降、1年以上にわたり、事案を放置していたわけだ。これでは矢野の告白を闇に葬ろうとしていたと疑われても仕方あるまい。住吉会関係者が苦笑する。
 「矢野はすでに死刑が確定していて、放っておいても処刑される。そんな男の余罪を立件しても、何の得点にもならない。しかも矢野の告白の動機が、新たな事件の立件による、死刑執行の先延ばしにあることは明白です。こんな奴のために、苦労して穴掘りの泥仕事などしたくないというのが、本音だったのでしょう」
  それは矢野も織り込み済みだった。警察が告白を握り潰すことを恐れ、彼は“保険”をかけていた。目白署や渋谷署に手紙を送付する際、それと同時に週刊新潮編集部にも同じ“告白の書”を送っていたのである。
  この間、本誌は結城氏に接触し、事件の全容を明かすよう、説得を重ねた。取材に1年余を費やした結果、ついに彼は重い口を開き、証言してくれたのだ。
 「津川さんの遺体は、大山の林道脇の雑木林に穴を掘って埋めました。龍一成(斎藤衛)の死体は、埼玉の山中に遺棄した」
  今年2月の本誌の第一報を受け、警視庁は捜査放棄を糊塗すべく、慌てて結城氏への任意聴取に取りかかった。そして今回の遺体発見に至ったというのが、事の真相なのである。
 「特集 これで捜査機関? これで権力の監視役?『死刑囚の告白』を放置して自己批判しない『警視庁』と批判しない『大新聞』」より
「週刊新潮」2016年5月5・12日ゴールデンウイーク特大号 掲載

 ◎上記事は[アメーバニュース]からの転載・引用です
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