「検察リーク」は存在するのか

2010-01-30 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

新聞案内人..2010年01月28日 田中早苗 弁護士
「検察リーク」は存在するのか
 「検察リーク」が問題となっている。「検察リーク」についての世間のイメージはどんなものだろうか。
 捜査情報が日々、メディアに垂れ流されているというイメージだろうか。
 否。多くの読者は、メディアが“ありがたみ”を感じないような情報の垂れ流しなど、検察はしないと思っているだろう。検察は、メディアを情報操作するために情報を小出しにし、さらに、検察批判の報道があろうものなら、特捜部、地検、法務省への出入り禁止処分を課すので、報道は、勢い、検察寄りになる。それが「検察リーク」の実体だと考えているのではないか。
○検察の“言うがまま”を報じてはいないだろう
 「検察リーク」はあるのか、ないのか。ロッキード事件を担当した元特捜検事・堀田力氏は、リークはないと断言する(1月26日付け読売)。
 他方、週刊朝日(2月5日号)には、東京地検特捜部の「関係者」の証言として、「小沢(民主党幹事長)は、何があっても必ずやるよ」、法務大臣の指揮権を「発動させないためにも、もっとマスコミを使って風を強く吹かせないと」という発言を取り上げている。
 しかし、仮に、検察からの情報提供があったとしても、それを報道機関が報じることには問題がないし、その際も、検察の言うがまま、思惑通りに報道しているとは考えがたい。
 朝日新聞の梅田正行・社会エディターは、新聞記者は情報を集め、価値を吟味し、正確に速く伝えることに力を注ぐとし、本来の取材活動と「情報操作」を一緒にされるのは残念でならないと述べている(22日付け朝日)。
 ただ、朝日の声欄を見ると、会社役員の及川輝治さんは、「検察の動きに疑念とある種の不安を覚える」「検察の思惑で政治が動かされれば民主主義は崩れる」「検察の情報のリークと思われる報道も問題だ」などと投書している(26日付け)。この声に代表されるように、読者の中には、検察リークに踊らされている新聞という認識は根強い。
○背景に検察とメディア双方への不信
 その原因の一つは検察不信だろう。
 ロッキードやリクルート事件のとき、私たちは、政界の暗部に斬り込む検察捜査に魅了された。しかし、今では当時考えられなかったような逆風が吹き始めている。ライブドア・村上ファンド事件あたりから、特にビジネスマンを中心として、検察は無理筋の事件を立件していると見るようになったと、私は感じている。社会部記者たちも、最近の検察捜査の問題点には気づいているのだろうが、今回の一連の記事の中には検察権力を監視・チェックするという視点がほとんどみられない。
 2番目の理由は報道不信である。
 読者は、新聞に対し、「政治とカネ」を巡る問題を広く取り上げてもらいたいと思っている。建設会社側から渡ったとされるカネはどういう性格のものか、背景にある両者の関係はどのようなものなのか、さらに、東北における入札に対する小沢氏の影響力が喧伝されているが、なぜ、当時、野党であり、職務権限がない小沢氏に影響力があったといわれているのかなど多面的、大局的に掘り下げた記事を求めている。
 ところが、紙面をみると、形式的な政治資金規正法違反の有無、とりわけ検察がこの法律をどう適用しようと考えているのか、その動きについて大きく取り上げているようにみえる。
 検察の捜査手法の批判はせずに、検察の動きを大きく取り上げる紙面をみるにつけ、読者には検察と報道機関が一体となって、虚偽記載での立件に邁進(まいしん)していると映るのではないか。
 それでは、なぜ、多面的、大局的な報道が少ないのか。
 政治家とカネを巡る報道は、捜査当局が強制捜査に移るまでは「疑惑報道」とならざるを得ない。しかし本来、国会議員の疑惑に関してはどんどん報道されるべきである。
 アメリカでは、現実の悪意の法理といって、公的人物については報道機関が虚偽であることを知っていたか、または、虚偽であることにまったく注意を払わなかったことを、名誉を毀損された側が立証しなければならない。したがって、公人に関する報道は、辛辣で、時には不快なほど鋭い攻撃でも許される。
○大統領を辞任に追い込んだ米国の公人報道
 一方、日本では公人報道に特別なルールがない。
 そして、小泉首相時代から国会議員や自治体の首長による多くの名誉毀損訴訟が提起され、裁判所も名誉毀損の成立を認め、報道機関に対し高額の損害賠償を命じるようになってきた。このような流れの中、新聞社は紛争リスク、訴訟リスクを考え、逮捕された以降の事柄を中心として報道する傾向になる。裁判官のチェックを経た逮捕以降は、被疑事実にお墨付きを与えられたと安心して報道できるからだ。
 ウォーターゲート事件を暴いたワシントン・ポスト。ニクソン大統領を辞任に追い込むことができたのも「現実的悪意の法理」のおかげだと聞く。日本もアメリカのように公人報道には裁判所で別ルールが適用されることが必要だとおもう。
 さて、最後に今回の民主党の対応にも一言いいたい。
 民主党が発足させた「捜査情報の漏洩問題対策チーム」だ。そこでは、東京地検特捜部の捜査情報が漏れたと思われる新聞記事を集め、捜査が終わった段階で国民に示して判断を求めるという。
○民主のチーム発足は人権・報道の自由からみて疑問
 しかし、責任者で元検事の小川敏夫参院議員は、調査しても「結局は、漏洩があったという証明はできないであろう」と発言している(23日付け朝日)。藪の中で終わるのなら、結局、チームの発足は、メディアに都合の悪い報道をさせないようにするためなのではないか。
 この点に関し、大石泰彦・青山学院大教授(メディア倫理)は、「身内の時だけ批判し、報道のあり方に言及するのは与党として不適切だ。民主党の人権や自由に対する考え方の底の浅さが明らかになった感じ」だという(23日付け日経)。まったく同感だ。

【検察を支配する「悪魔」】


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