「老いた日々を生きる」とは「喪失を生きる」ことだ2016.7.23 おのれをこの世に繋ぐ鎖を少しづつ外していくのは…

2016-07-23 | 日録

〈来栖の独白2016.7.23.Sat.〉
 欝々として、楽しめない日々。たまたま過去のエントリを見かけ、そうか、「老いた日々を生きる」とは「喪失を生きる」ことだ、と合点がいった。幼年から若年、壮年期は「獲得」の季節であり、老年とは、獲得したものを手放してゆく季節だ。視力、聴力の喪失も気づかぬうちに進んでいる。おのが思うようには体を動かせず、自分が誰であるのか分からなくなったりする(認知症)。過酷な季節といえる。仕方ないだろう。人は持ったままでは死ねぬ。すべてを失ったとき、死にいたるのだ。
 ホイヴェルス師は人生の実りを語ったのだが、私は以下の言葉に共感する。
>おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつ外ずしていくのは、真にえらい仕事。
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ホイヴェルス神父『最上のわざ』おのれをこの世に繋ぐ鎖を少しづつ外していくのは、えらい仕事  コヘレト12章3~5 
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ありがとう、カローラ。ごめんね、カローラ(花冠)。 2009-08-27
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1 コメント

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ありがとう (たにむらこうせつ)
2016-08-16 14:27:32
ご訪問ありがとうございます。
深いメッセージだと感じました。
母や義母の老いの在り方を学びました。
また機会があれば訪問させてください。
ありがとうございます。
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